思うことは数えきれないくらいあります。本当に自分自身の時間が作れなくて。めまいがするくらい疲弊しています。「働くのだから当然」という意見もあると思います。こういう場には書けないようなストレスもあります。全てを押し殺して何かを成し遂げる。それって本当に必要なのか。自分自身の「生き方」の問題なのかなという気もしてます。
2024年のシーズンが終わりました。個人的には「惨敗」だったと思っています。選手には申し訳ない気持ちしかありません。女子の指導をさせてもらっていく中で「結果が出せなければ辞める覚悟」という話もしてきました。今シーズンの結果が周囲からどのように思われるかは分かりません。私自身は「上手くいかなかった」と感じています。持っている力を最大限に引き出すことができなかった。もちろん、突発的な故障もありました。それだけではなく「足りないモノ」があったからこのような結果になったのだと思っています。
感じ方は人それぞれだと思っています。「良かった」と言ってくれる人もいるかもしれません。自分自身に「甘い言葉」をかけてもらう事は安心する部分もあるので受け入れやすい。しかしながら本当にそれが「プラスになるのか」と言われたら違うと思っています。もっともっと自分自身を見つめなおす必要があります。選手がいてくれるからできることもある。「次は上手くいくから」という話ではない。そういう考えでは「次も同じことになる」のです。「次はない」という不退転の気持ち。本当に自分自身持てていたでしょうか。
陸上競技について考える時間が著しく減っていました。きちんとした振り返りができていない。上手くいかないことに対しては間違いなく「原因」があります。私自身が厳しく選手に接すれば良かったのかという話になりますが、「それぞれの考え方」をある程度方向修正できない限りは上手くいくことはないと思っています。自分たちはやっているという感覚。そこから抜け出せるかどうか。
本当に少しの合間を縫って1年前の練習計画を見てみました。今になって考えると明らかに不足している部分があったなと感じています。「身体の使い方」に関してはかなりやるようになっていました。その反面、「身体作り」の部分が顕著に減っていた。どうしても「しんどいこと」になるとモチベーションが下がります。トレーニング系の効果はその選手の「想いの強さ」に比例します。きつくなると「妥協してしまう」選手も出てくる。そうなると見ている方も「ちょっとしんどいな」という気持ちになります。結局、そこで「少しくらいはいいか」という部分が出てしまう。
春先に故障者が出ました。この要因も実は「筋力不足」だったのではないかと思っています。身体が動くようになってその動きに筋力的に耐えられなかったのではないかと。従来であればそこは外せない部分です。それがいつの間にか「不足していた」と今になって感じています。ある程度考えてやっていたつもりです。徹底的にやりたいと思っていた部分が「甘さ」が出ていた。冬に何をするかという部分。基礎筋力の向上と動きの修正。時間があるからこそしっかりとやらないといけない。それがいつの間にかできなくなっていた。
シャフト補強などもかなり減っていました。これはきついので・・・。他の部分で補えばいいと思っていましたが十分ではなかったのだと思います。結局、それが「スプリント能力の向上」につながらなかった。身体の前側で足を動かしたいのに前まで持ってくる筋力がない。ウエイトを導入して筋力をつける気はありません。正しい動きをしていれば自然と必要な筋力が上がるのは間違いないと思います。しかし、股関節周辺の筋力をもっと強化しておけばスプリントが上がる可能性があったと思います。「技術的に・・・」という意見もあると思います。が、現場で見ていて本当に必要なことは何かという部分だと思います。
自分自身が「時間が作れない」というのも実際にありました。何かを捨て去って「時間を作る」ことも必要なのだろうなとは思っています。今の生活の中で自分が捨てられるものがあるのか。背負っている仕事のいくつかを捨て去れば生活に余裕が出てくるかもしれません。それが本当に「正しい」のかどうか。分かりません。それでもやるしかないのかなと。「生き方」を見直す必要性もあると思っています。
まとまりませんが。少しだけ書いておきます。やるからには「徹底的にやる」必要があると思っています。それだけは確か。