京大をはじめ複数の大学で、入試問題を試験時間中に「Yahoo!知恵袋」に投稿して回答を募るという事件が起きた。
先月の入試で試験監督を務めた者としても他人事ではない。
今のところ、メディアの関心はその「方法」に集中しているようだ。
いずれ「aicezuki」の正体が分かれば、「方法」だけでなく、「目的」も明らかになるだろう。
それにしても、大胆なことを、あっさりとやってのけたものだ(笑)。
「ネットと社会」という観点から見たら、今回のことは、かなり大きな出来事だと思う。
オーバーに言えば、ウイキリークスによる「米国務省公電の漏えい問題」や、海保庁の「尖閣諸島・中国漁船衝突ビデオ流出問題」などと並べるべきだ。
つまり、ネットというメディアが、世の中に破壊的なインパクトを与え得るという実例なのである。
米国務省や海保庁もそうだったが、今回の各大学当局も(文科省も)、「防止策の検討」という形での動きを見せている。
まあ、それはそれで当然かもしれない。
確かに原因(方法)を推測しながらでも防止策は立てられるし、実行もできる。
しかし、「入試会場への携帯電話持ち込み禁止」や、「携帯電話に対する妨害電波」といった方策のみ議論しても、根本的な解決にはならないような気がするのだ。
今回のことは、「aicezuki」の目的が何であったにせよ、多分、その目的以上の結果を生んでしまった。
これまで当たり前のように有効だと信じられてきた社会システムが、どうやらそうではなくなってきていることを知らしめてしまった、とでもいうべき事態。
「大学入試」という一つの社会的制度の問題にとどまらない課題を提示した、と言ってもいい。
先日のニュージーランドでの地震に遭遇した学生や教員は、ガレキの下で、携帯電話からメールを発信し続けた。
「じじんおきた」「うごけない」といった文字が、遠い日本にいる家族や関係者に彼らの生存を伝え、「がんばれ」の返信が彼らへの大きな励ましとなった。
ケータイだろうがスマートフォンだろうが、ツール(道具)はツールだ。
しかし、使い方によって、人間の命が救われることもあれば、社会という鍋の底を抜いてしまうこともできるツールなのだ。
単なる善悪の問題ではなく、すでに私たちはそういう社会に生きているという事実を、あらためて認識しているところです。
さて、本当に「aicezuki」はどうやったんだろう。
これはこれで、すごく知りたい(笑)。