碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「TVガイド」創刊50周年

2012年05月08日 | テレビ・ラジオ・メディア

「TVガイド」の創刊50周年記念出版である、「表紙で振り返るTVガイド50年」(東京ニュース通信社)が出た。

そうかあ、1962年の創刊だから、50年かあ。

来年、日本のテレビが60周年を迎える。

「TVガイド」という雑誌は、テレビの歴史という意味で、貴重な記録のひとつだ。

まずは、拍手でしょう。

それに、50年分の表紙というのが、眺めるだけで、かなり面白い。

その時代の、その時の、紛れもない“旬の顔”がそこにある。

もはや永遠に見られない顔、いつの間にか消えた顔、そして今もどこかで見る顔。

いやあ、芸能界とテレビの栄枯盛衰ここにあり、です(笑)。

今期の連ドラ、震災報道の検証をめぐって

2012年05月08日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

『北海道新聞』に連載している「碓井広義の放送時評」。

今回は、4月クールの連ドラなどについて書いています。


連続ドラマの発想
横並びやめ日常に着目を

4月に始まった新しい連続ドラマの特徴は、「警察・推理物」が7本も並んでいることだ。理由はいくつかある。殺人事件は人の生死に関わるため、ドラマチックな物語展開が可能だ。事件解決に向けて特異なキャラクターも登場させやすい。さらに、一話完結の形式が現代の視聴スタイルにマッチしていることも挙げられる。

しかし、テレビの中とはいえ、月曜から日曜までほぼ毎晩、誰かが殺されているのだ。ドラマ作りの発想が、横並びの金太郎あめ状態に陥ってはいないだろうか。ごく普通の人たちの日常生活の中にあるドラマ性に、もっと着目してもいい。

その意味で、連続テレビ小説「梅ちゃん先生」(NHK)を支持したい。戦後の焼け跡から立ち上がろうとする人々の姿に励まされるとともに、人間の成長と社会の復興が、一見何でもない日常の積み重ねの先にあることを教えているからだ。

 報道の検証進む

一方、震災から1年以上が経過し、テレビ報道の検証が進んでいる。早大の伊藤守教授による「ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか」(平凡社新書)は、当日からの1週間に、学者、解説委員、アナウンサーなどが何を言っていたのかを再構成した労作だ。

また、放送批評懇談会発行の月刊誌「GALAC(ぎゃらく)」は、5月発売の6月号で「震災1年をどう伝えたか」という特集を組んだ。今年3月11日前後の全番組を批評家や研究者が手分けして視聴し、各局の姿勢を分析している。

こうした活字の動きに比べ、放送界に目立った変化はない。4月改編でも新たな報道・ドキュメンタリー枠は見当たらないのだ。

 記者の視点前面

そんな中、TBSが4月1日に「報道の魂」で放送したのが、「オムニバス・ドキュメンタリー 3・11大震災 記者たちの眼差しⅣ」(道内は放送なし)である。被災地に入った系列局の記者たちによる19本の取材リポートだ。

たとえば山陽放送(岡山)の瀧川華織記者は、宮城県南三陸町の「生まれたばかりの赤ちゃん」という〝明るい話題〟を取材する。その一方で、授かった命を諦める被災家族がいたことも知るのだ。多様な現実を前に動揺し、考え込みながら、自分の実感も含めて伝えようとする記者。こうした署名性のある取り組みは、徐々にテレビ報道への信頼につながっていくはずだ。

4月2日の当欄で、石巻日日新聞の所在地を岩手としたのは宮城の誤りでした。訂正させていただきます。

(北海道新聞 2012.05.07)