あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

イジー・メンツェル監督「英国王給仕人に乾杯!」を見る

2008-10-12 15:46:18 | Weblog


照る日曇る日第173回

2007年のベルリン国際映画祭やチェコ金獅子賞を獲得したイジー・メンツェル監督の最新作「英国王給仕人に乾杯!」を試写会で見ました。原作はミラン・クンデラと並ぶチェコ現代文学の巨匠ボフミル・フラバルだそうですが、私はまだ読んだことはありません。

お話は、タイトル通りコックとして戦前戦後を生き抜いたチェコ人ヤンの生涯を悠揚迫らぬ大戦前の欧州映画のテンポで今年70歳になるプラハ生まれの老監督がたどります。

監督の腕の見せ所は、食欲と性欲と金銭欲、すなわち生命欲へのおらかな肯定。人生の終焉に近づいた大富豪たちの酒池肉林の描写のなんと官能的なこと! 美しく若い女性の輝くような肌を舌なめずりしながら舐めるキャメラのため息の出るような素晴らしさ!
ここには古き良き過ぎし時代への手放しの讃歌があります。

そしてヒトラーによるチェコ占領時代がはじまるとともに、主人公の人生が暗転。併呑されたズデーデン地方出身のドイツ女性を愛したヤンは国内の反ナチ多数派とは異なる悩み多き人生を歩むことになるのですが、くわしくは12月シャンテシネのロードショウーでご覧ください。


♪輝くように若く美しい女を俎上に載せいざやナイフとフォークで召しませ 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野都美術館で「フェルメール展」を見る

2008-10-11 09:57:58 | Weblog


照る日曇る日第172回


濃い金木犀の匂いに誘われるように上野公園を歩いて「フェルメール展」をのぞいてきました。会期ももうすぐ終わりそうだし、なんと本物を7点もまとめて見られるそうだし、連日のように新聞が特集しているので、急いで駆けつけてはみたものの、残念ながら先日の「ピカソ展」のような深甚な感動とは無縁のさめた出会いであったと言わざるをえません。

 フェルメールは同時代の同傾向の画家に比べるとはるかに技巧にたけ、現代人の感性に訴えかけるようなモダンな表現ができた才人でした。それは外部からの光線の取り入れ方や光と影の鮮やかなコントラスト、劇的で謎めいた人物の配置、濡れたように輝く色彩(たとえば「手紙を書く婦人と召使」の朱色のスカート)の熟達した取り扱い方に顕著にあらわれています。

また彼は、映画のストップモーションの手法のように、近世オランダの市民たちを主人公とした長い長い映画のある場面を突然停止させ、その一瞬をまるで一枚の写真のように忠実に再現しようと試みました。

その結果、タブローはまるで「永遠の相の下」に引きずり出された一瞬の静謐と緊迫感、それゆえのするどい美しさを湛えるようになったのです。宗教画に似たある種の祈りと敬虔な感情がそこからもたらされます。世界中の人から愛される秘密はそこにあるのではないでしょうか。

しかし、絵画に生き生きした生命感と、あわよくば魔的な時空への陶酔をもとめてやまない私にとっては、そんなフェルメールの天下の名作も、シュトルムウントドランクなきただの「お絵かき」にすぎません。美術史にとって多少の意味があるとしても、私たちの生きた芸術にとってはなんの価値もない、とっくの昔に死んだ絵なのです。まこと猫に小判とはこのことでしょう。
金曜の遅い午後のこととて人影もそれほど多くはない会場を、私はわずか一〇分で足早に立ち去ったことでした。


♪フェルメールよりも美しきはフェルメール展の上空のあかね雲 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善の研究

2008-10-10 10:00:18 | Weblog


♪バガテルop70

新約聖書のコリント書だかヨハネ伝に「信と望と愛のうちもっとも大いなるものは愛である」と書いてあったように記憶している。どうして覚えているかというと、私の郷里の墓地の標識の古い石に、祖父の字で「信望愛」と書かれているからだ。

しかし信仰と希望と愛情のうちでもっとも重要なものは何かと改めて考えてみると、どれも大切で貴重な価値を内蔵していて、どれがどれに勝るとか劣るとかいちがいに言えないように思われる。
そもそもそういう設問自体がナンセンスなのかもしれないが、かの聖人が最後の愛を選んだのは、前の二つの価値がいかにも抹香(耶蘇教)臭いからではないだろうか。

宗教人特有の親しさを突き放し、より一般人にも広く受け入れやすいアイテムをあえて選び推奨したのではないか、と宗教に無縁の私は下種の勘ぐりをしてみたのだがどうだろう。

キリスト教ではないがギリシア時代からの格率で、「真・善・美」という3つの価値も存在しているが、このうちでもっとも大いなるものは善ではないだろうか。

善とは何か? 

それは悪意と陰険さに満ち満ちたこの末世と腐敗し堕落しきった人間たちが跋扈するこの現実を「無化」する底抜けの善良さである。
善とは、あまりにも弱弱しく儚げに見える無垢な善良さである。大雨が降っているのに、チューリップにせっせと水をやっている知恵遅れの大バカ者だけが持っている善良さである。

最近は大半の人々が真と美を目指してなにやら不穏な動きを示しているようだが、最後に真価を示して全世界を救うものは善であるほかはない。私たちはわれらの内なる善をもっと大切にしたいものだ。

♪このぶんでは村上春樹ももらうだろう08年秋のノーベル賞大バーゲン 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読む

2008-10-09 16:51:32 | Weblog


照る日曇る日第171回

久しぶりにドストエフスキーを手に取った。話題の光文社版ではない。手垢のついた米川版である。昔から雑誌は改造、文庫は岩波、浪曲は廣澤虎造、小唄は赤坂小梅、沙翁は逍遙、トルストイは中村白葉、ドストは米川正夫と相場が決まっているのだ。

それはさておき、「カラマーゾフの兄弟」の最後の最後のエピローグで、多くの子供たちに囲まれてアリョーシャが別れの言葉を述べるくだりは、モーツアルトの「フィガロの結婚」の末尾の合唱を思わずにはいられない。愛と許しと世界の平和を願う音楽だ。同じ作曲家による「魔笛」のパパゲーノとパパゲーナの歌や少年天使の歌、近くはパブロ・カザルスの「鳥の歌」と同じ主題をドストエフスキーは臆面もなく奏でるのである。

それまでの数千ページを費やして、天上と地上、神と悪魔、男と女、貴族と農民、先進国と発展途上国、大人と子供、健常者と障碍者などの間に横たわる過去・現在・未来にまたがるいくつもの深淵を天空遥かなる高みから蛸壺の奥底まで観察し、人の世のどうしようもない存在様式と対立のありようを血と涙と愛をもって追体験し、それらを逐一なめるように描写してきたこのロシアの文豪が、謎の殺人事件による行き場のないカタストロフを無理無体に突破して地表に舞い降りた地点で、この天国の小鳩の歌が高らかに歌われるのだが、その調べはいつしか長調から短調に転じ、作家とアリョーシャの未来に不吉な影を投射したのだった。

事実まもなくドストエフスキーは書斎の書架の下に転がり込んだペンをとろうと無理な姿勢をとったのが原因で肺を傷つけ、あえなく急死し、作品のなかで何度も言及していたカラマーゾフ兄弟の続編はついに書かれないまま永久に未完で終わってしまった。

多くの人々が予想するように、その後のアリョーシャは汚辱にまみれたロシア社会の最底辺を行脚するうちに階級意識にめざめ、過激な社会主義者を経由してツアーリを暴力で打倒する一人一殺のテロリストになるに違いない。ドストエフスキーが亡くなった部屋の隣には、アレクサンドル2世の襲撃犯が潜んでいたのは周知の事実だ。

作家はアリョーシャに仮託して早すぎるレーニンの伝記を書こうとしていたのだろう。作家の脳髄の内部だけで成立していた「神なき世ではすべてが許されている」という仮説が、続編では“現実のもの”になるはずだった。

カラマーゾフの兄弟の長兄ドミートリー(ミーチャ)は無実の罪を逃れてファム・ファタール、グルーシェンカと新大陸アメリカに脱出するが、そこでいかなる運命が待ち構えているんだろう。想像するだにわくわくしてくるし、下男であり父フョードルの私生児でもあるスメルジャコフをシ指嗾して父を死に至らしめた次兄イワンと、恋人カテリーナの2人にはどのような未来がもたらされるのか。これまた興味深いものがある。

偉大なる文学者に突然降りかかったこの不慮の事故さえなければ、私たちはおそらく現在の3倍から5倍の長さの波乱万丈の大長編、悲劇も喜劇も併呑した驚異的な総合芸術をゆくりなく楽しむことができたであろう。太宰治の「グッドバイ」の未完と並んで、これを残念無念と言わずにおらりょうか。

♪100万匹の水母を裂きし博士かな 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ベン・ハー」を鑑賞する

2008-10-08 15:37:09 | Weblog


照る日曇る日第169回

「ベン・ハー」はこの作品だけだと思っていたが、1907年と1925年の2回にわたって映画化されており、ウイリアム・ワイラー監督による1959年製作の本作が3回目だというので驚いた。

とにもかくにもあの血わき肉踊る戦車競走の一大スペクタクルのせいだろう。スピルバーグがスターウオーズで引用したのもこの有名な活劇シーンだった。

しかし副題の「キリストの物語」が示すとおり、この映画はイエス・キリストが本当の主人公で、ベン・ハーやローマの提督や権力闘争やらガレー船による海上決戦やら恋愛はほんの添え物と言わなければならない。敬虔なキリスト教徒による正統派の宗教映画である。

しかし古代や現代や将来の異教徒や無神論者がこの映画を見れば、いったいどうしてユダヤ生まれの一ローカル宗教に、全世界が帰依しなければならないのかと不可解な気持ちになるだろう。映画産業の威力を借り、奇妙な権威を振りかざして無知で無関係な一般大衆に後生大事な唯一神への信仰を押し付けるのは、いかなる大宗教であろうとやめてもらいたいものである。

後年に比較するとワイラーの演出は冴えない。おそらくものすごい経費とエキストラを投じた活劇シーンの処理に忙殺され演出どころではなかったのだろう。ほんらいは主人公はゴルゴダの丘を十字架を背負って登るキリストにかわって背負わなければならないはずだ。

♪東方の博士に落ちたる三つ星 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「巨匠ピカソ展」を見る

2008-10-07 15:03:28 | Weblog


照る日曇る日第168回


雨上がりの月曜日の午後、心ゆくまでピカソの2つのピカソ展を堪能しました。

いつどこで鑑賞しても私の目と心を楽しませてくれるピカソですが、今回の国立新美術館&サントリー美術館あわせて200点以上の大回顧展は、1901年から1972年に至るまでの数多くの作品を制作年代順に配列してあったために、私なりの発見がありました。

それは当り前のことなのでしょうが、彼の芸術が歳月とともに成熟し、ついに最晩年に至って心と技、人格と芸術とが見事に融合し、自由奔放に独自の表現世界を切り開いたということです。

とりわけ1970年から72年にかけて制作された「家族」、「母と子」「風景」(新国)、そして画家が91歳で亡くなる前年に描かれた「若い画家」(サントリー)という題名の自画像は、この恋と冒険と波乱と試行錯誤に満ちた偉大なる芸術家の集大成ともいうべき虚心坦懐にして融通無碍な至高の芸域を私たちにあざやかに示しています。

それまでのピカソは、たとえ抽象画を描く際にも、「女の頭部」とか「マンドリンを持つ男」とかのタイトル(名辞)の意味に最後までとらわれていたようですが、晩年にいたってゲルニカに代表されるそれらのきまじめな名辞の世界との自問自答や自縄自縛からも最終的に解き放たれたように、私には感じられます。

「家族」や「母子」などという題名こそつけられていますが、もはやそれらはどうでもよくなって、対象との直截的な対偶関係を無視し、名辞以前の真に自由な世界に晴々と飛躍していったのではないでしょうか。

いつまでもこれらのキャンバスを眺めていたいと思わずにはいられない、この明るく、楽しく、軽やかで透明な境地にたどりつくまでに、おそらくは彼の初期の青の時代や、キュビズムの冒険や、新古典主義の迷走や、ミノタウロスへの肉薄、シュルレアリスムへの逸脱があったのでしょう。

とりわけ最後の最期の作品は、まるで芭蕉の俳諧のわび、さびの境地に通じるような枯淡と諦念と幻化、さらには一種の悟りさえ想起させる東洋的な作風が印象的で、これを1901年に描かれた有名なセザンヌ風の自画像(サントリー)と対比させて眺めると、ある偉大なる芸術家の生涯の最初と最後の足跡を同時に見せつけられたようで、凡人の一人としても複雑な感慨がわき起こってきます。

それから絶対に言い忘れてはいけないのは、彼の素晴らしい色使いです。初期の青の時代の青などはまだまだ素人の若気の至りであったと痛感させるような深々とした青、緑、そして紫などの色彩の取り合わせのなんと美しいこと。ゴッホのような狂気、をはらんだ濃さはなく、マチスの華麗さ、デユフィの浮遊性はありませんが、色彩本来のありかを正しくわきまえたものの見事な色使いに酔わされます。

しかし、それらの大型の油彩の超大作にも増して私が気に入ったのは、メリメの「カルメン」の挿絵の小さなリトグラフでした。余白をたっぷりとってまるで水彩画のような軽みと遊び心でひといきに描き上げられた闘牛士や闘牛や観衆の描線のなんと生き生きしていることでしょう。私は思わず良寛のひらがなの優美さや、北斎漫画の線の律動を思い浮かべたことでした。今回の作品でただ1点を選べと言われたら、私はこのあまりにも洒脱な筆のすさび(新国作品番号60)をあげるでしょう。


♪有名な青の時代の青よりもなお青き青をわれピカソに見き 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・ウー監督「男たちの挽歌」を呆然と眺める

2008-10-06 21:30:35 | Weblog


照る日曇る日第167回

平成万年失業者じゃによって今月も仕事にあぶれているものだから、BSで放送されていた「男たちの挽歌」という香港映画を3本も見てしまった。

チョウ・ユンファを一躍スターダムに押し上げたホンコン製フィルム・ノワールだそうだが、あらすじもシナリオも演出もあらばこそ、善玉悪玉、素人ギャング警察男女が近親組織国籍入り乱れて弾丸銃弾手榴弾戦車まで登場して弾丸火の球血しぶき雨あられ、やたら人を殺すので辟易しました。

第1作ではやくもかっこいいチョウ・ユンファが殺されてしまうので、2作目では急遽彼そっくりの兄弟がニューヨークから香港に帰還して大活躍するいいかげんさには驚いたが、ベトナム戦争最後の日を舞台にした3作目には、ヒロインの元恋人役の組織のカンボジア人のボス役に時任三郎が登場して中国語をしゃべるのでまたまた驚く。

実は片親が日本人だとあとで種明かしがあるが、中国復帰前の香港を舞台に動乱のアジアのあらぶれた雰囲気を随所にまき散らしたのが歴史的なお手柄だろうか。

欧米そして日本など先進国の映画が精力を喪失していちはやくげいじゅつ的反抗の狼煙を上げたのがこの香港、そして台湾、中国西安、グルジアなどだったが、あれから数十年、世界映画の根拠地は最終的に消滅し、全世界が終焉化じゃなくて周縁化されたような気がする。いやさ、映画はとっくの昔に終わっていたのかも知れないと、この暗澹たる映画の底なしの闇、退嬰と滅亡の断末魔を垣間見ながらひそかに思ったことであった。


♪ピチャピチャと真夜中に水など飲んでいた我が家のムクを思い出すかな 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田洋次の「学校」を見る

2008-10-05 15:07:02 | Weblog

照る日曇る日第167回

93年の第1作は東京の夜間中学に通う国籍、年齢、性別もさまざまな生徒と熱血教師(西田敏行、竹下景子)が繰り広げる教育愛の物語。田中邦衛演じるイノさんの話が中心だが、中国からやってきた若者の就職口に悩む竹下の演技や突然出てくる渥美清、不良の裕木奈江、不登校の中江有里など多彩なキャスティングが楽しい。山田洋次は「真の教育」は夜間中学にあると知っていた。

96年の第2作は、北海道の高等養護学校を舞台に、西田敏行、いしだあゆみ、永瀬正敏の3教師が活躍。永瀬を泣かせ、教室中をパニックに陥れていた障碍の重い生徒を、それに比較すると重くはない生徒(吉岡秀隆)が一喝してまるで魔法のようにおとなしくさせるシーンは、全教師の夢のまた夢だろう。吉岡が、「自分が馬鹿であることを知っている僕は、それを知らずに済んでいるより重度な弟分より不幸だ」と泣くシーンに心打たれる。また3年間の課程を終えて卒業し、荒い世間に乗り出す生徒たちに「ずっとこの学校においてやりたい」と泣く西田にも。
重いテーマだが、アムロのコンサートと、北の大地の雄大な自然を背景にした熱気球をドラマ転換にうまく使った。山田は才人である。

98年の第3作は、東京江東区の職業訓練学校が舞台。自閉症の息子を持つシングルマザー大竹しのぶが見事な演技を見せる。黒田勇機の自閉症児も上手に演じているが、できれば我が家の本物を起用してほしかった。(冗談、冗談)。それにしても山田はこの難しい障碍についてよく勉強しているのには驚いた。ボイラー士をめざすリストラされたリーマン小林捻侍が好演。ラストも情感がこもる。

2000年に製作された第4作は15歳の不登校児のビルドングスロマンにして長大なロードムービー。主演の金井勇太が長距離ドラーバーの赤井英和、麻実れい、シベリア帰りの不良老人丹波哲郎に巡り合いながら世間と己にめざめていくプロセスを感動的に描く。よくは知らないが、この作品は松竹大船撮影所と丹波の遺作ではないだろうか。

あんな歴史のある撮影所を京浜女子大などにたたき売って、その代わりに別の場所にまた撮影所を作って、当時の松竹はいったい何を考えていたんだろう。

シリーズといっても現在までに4本しかないが、普通のシリーズものと違ってだんだん内容が良くなってきているのが山田洋次のすごいところ。この人と井上ひさしは代々木の頭で脚本を書いても、手と足(撮影と演出現場)がそこから大いに逸脱して噴出するところが素晴らしい。芸術がその本性を発揮してかたくななイデオロギーを乗り越えるのである。

♪幸せはわが枕辺に妻子居て安けき寝息を耳にするとき 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムーティ指揮ヴェルディ「仮面舞踏会」を観る

2008-10-04 10:49:55 | Weblog


♪音楽千夜一夜第44回

2001年5月にミラノ・スカラ座で行われた公演。伯爵のリチートラと女占い師が立派に歌っている。クレギナのアメリアは最初は不調だが、徐々に乗ってくる。

演出は女性映画監督のリリアナ・カヴァーナだが特にどうということはない。強いて言えば3幕の墓場の装置がシンプルで良いのと、2場の舞踏会の群衆シーンの処理くらいか。ポネルやゼフィレッリに比べるとなんと凡庸な演出であるかと思うが、最近のあほバカ演出家どもと違って英国から独立して間がない米国という歴史的現実を踏まえた舞台なので安心して見ていられる。

ムーティの指揮は例によって立派だが、いささか退屈である。

最後に昨今のクラシック界についてひとこと。
のだめだかくそだめだか知らないが、猫も杓子もクラシックにまたたびのように寄り付いてうっとりするのはいい加減にやめてほしい。昔は非国民しかこの種の音楽を聴かなかったものだ。モーツアルトの音楽であなたの息子の頭が突然良くなったり、ねむの木の葉っぱがぐっすり眠ったりするわけがないのだ。それからモーツアルトを歯医者やデパートでBGMで気安く流すな。あれは癒しどころか死霊の音楽である。うかつに耳にすると祟られて霊魂を彼岸に持っていかれるぞよ。

それから中欧の聞いたこともない寄せ集めオペラや世にも怪しい管弦楽集団の来日金稼ぎ公演にいくら金持ちだからというてみだりに大枚をはたくな。この外国かぶれの耳なし芳一め。そんなに朝青龍を見たいか。もっと価値のある国内公演がどっさりあるぞ。特に各地のアマチュアオケの演奏は腐敗堕落したNHK皇居楽団の何層倍も心を撃つぞ。ニャロメ。


帝国と己を癒着させ強き日本を呼号する人 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダニエル・ハーディング指揮「イドメネオ」を見る

2008-10-03 14:17:56 | Weblog


♪音楽千夜一夜第43回

05年12月5日、ミラノ・スカラ座におけるモーツアルトのオペラ「イドメネオ」の公演記録である。指揮はこれもたまたまダニエル・ハーディング。古楽の奏法を要所要所で世界一のオーケストラに強いて、いわゆるひとつの現代風の演奏に仕立てているが、かつて老ベームがライプチッヒ・シュターツカペレとウイーンと入れた同曲のLPの演奏に比べれば大人と子供、月とスッポンというも愚かなりである。

私はオペラの演出はもとより、最近の指揮も演奏も退化の一途を辿っているとしか思えない。もっともトルコの恐るべきピアニスト、ファジル・サイなどが突如出現して腐れ耳の年寄衆を驚倒させる事件もときおり起こるから、端倪すべからざる再現芸術界とはいえばいえそうだが。

さて「イドメネオ」だが、曲は後年のダポンテ3部作に比べるともちろん見劣りするが、いずれのアリアも合唱もさすがモーツアルトならではの劇性と抒情に充ち溢れ、われらの耳目を釘づけにする。

面白いのは、表題役イドメネオの息子イダマンテに恋するヒロイン、イリアが歌う「手紙の歌」。趣向と曲想が「フィガロ」の伯爵夫人とスザンナの有名な手紙のシーンを先取りしているようだ。

歌手はまずまずの出来だが、ゆいいつ良いのは敵役エレクトラを歌ったエンマ・ベル嬢か。リュック・ボンディの演出は凡庸そのもの。もすこし真面目に仕事をせよ。結局さすがと思わされたのはスカラ座の管弦楽と合唱のみだった。


♪強き日本!明るき日本!と獅子吠せり国権病に罹りし男 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダニエル・ハーディング指揮「ドン・ジョバンニ」を見る

2008-10-02 10:49:36 | Weblog


♪音楽千夜一夜第42回

2002年のモーツアルト・イヤーに南仏エクサン・プロバンスの大司教館の中庭で行われたライブ公演である。
若き俊才ダニエル・ハーディングが古楽演奏のマーラー室内管弦楽団を勢いこんで振るのだが、ティンパニーの強打も夏の夜空に吸い込まれ、音も演奏も歌唱もすべてが散漫で薄っぺらに聞こえてしまう。こんなライブをよくも収録したものだ。

しかしさすがに見るべきはピーター・ブルックの演出で、シンプルな装置と色鮮やかな照明とシックな衣装を駆使して、あざやかに舞台を転換し、まるで現代演劇のように軽快に登場人物を操ってみせるが、地獄落ちの迫力は皆無である。

最後の六重唱を地獄に落ちたはずのドン・ジョバンニと、落としたはずの騎士の石像が脇に並んで聞いているというのは、いったいどういう意味なのだろう? 

歌手は中堅どころの実力派だが、いずれも可もなく不可もないまずまずの出来栄え。ということは、この名作の演奏史に付け加えるべきなにものもないということだ。ああ、往年の大指揮者の音楽と大歌手の歌声がげに懐かしい。

米帝の手前勝手な金融危機ただ一言も世界人民に謝罪せず 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若林宣編「戦う広告」を読んで

2008-10-01 09:45:34 | Weblog


照る日曇る日第166回

大東亜戦争当時の日本は、国も国民も異常だったが、広告も異常だった。

「撃ちてし止まん」、だの「欲しがりません勝つまでは」、だの「七生報国」などという大政翼賛会のおかかえコピーライターが書いた見事な?檄文に産業界は一斉に飛びついた。

「億兆一心非常時突」「堅忍持久は最後の勝利だ」「土守る心が護る瑞穂国」(いずれも朝日新聞)、「健康翼賛」(わかもと本舗)、「鉛筆も兵器だ」「着剣した鉛筆」(トンボ鉛筆)、「スパイのご用心」(三菱鉛筆)、「机上挺身隊」(地球鉛筆)、「進め一億火の玉だ」(東芝)、「進め進め突撃だ、驕鬼米英撃滅の日まで」(塩野義製薬)、「一億挺身、報復増産」(住友化学工業)、「送れ飛行機、貯め抜け戦費」(住友銀行)、「みたみわれ大君にすべてを捧げささげたてまつらん」(三和銀行)みたみわれ力のかぎり働く抜かん(日本紅茶)、「皇国再起」(三和銀行)「国民総特攻」(住友通信工業)


などという現在も名前こそ一部変わってもしぶとく存続している大企業の戦争中の広告を眺めていると、つねに「新体制」に追随して権力と大衆に媚びるこの隠微な接客業の下卑た奴隷根性が、なまじ私自身にもほろ苦い体験があるだけに、見る者の心胆をそぞろ寒からしめるのである。

そして時と所、対象敵こそ異なるものの、今日も広告代理店や制作会社の片隅で、「屠れ米英我らの敵だ」、「感謝貯蓄は投資報国で」、「見敵必殺この戦果」、「富国徴兵堅忍持久」、「諸君の友達を射殺したアメリカの飛行機をたたき落とすために」などと同工異曲の大衆俗耳詩歌を作詞作曲する数多くの広告戦士たちが、60年前とまったく同一の精神構造とリテラシー機能を駆使して華やかに活躍している。

一言にして尽くせば、恐るべき破壊兵器が、純粋無垢な中立的科学者の脳髄から生まれてきたように、戦争と平和のイデオロギーは、まったく無思想な純粋言語技術専門家のお筆先きから今も昔も誕生するのである。


道端に斃れし獣一匹さも余の死骸に似たり 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする