あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

リチャード・ドナー監督の「タイムライン」を見て

2012-05-15 10:10:29 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.246

巨大ハイテク企業が製作した転送装置で100年戦争の真っ只中にある1357年のフランスに送り込まれた現代人数名が、失踪した父親と再会したり、英仏の戦争に巻き込まれたり、当時の美人と恋愛したり、秘密兵器を作って史実と違う結果を招来しようとしたりする波乱万丈のSF映画で、波乱万丈のわりにあんまり面白くない。そういう映画でしたね。


雨の日にはすべてのチューリップに傘をさす高橋睦郎こそ詩人というべし 蝶人

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フランク・キャプラ監督の「スミス都へ行く」を見る

2012-05-14 08:05:10 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.245


私の付き合った非ユダヤ系のアメリカ人の多くは、どっちかというと率直で単純明快で
アホでハイテンションでそのノリについていくのが疲れてしまうが、どいつもこいつもひと癖ある陰険な仏蘭西人などと違って、おしなべてお人好しで好きだった。もちろん例外もあるけど。

 この映画を見ているとおそらくフランク・キャプラも、(アホではないけど)そういうアメリカ人だったような気がする。

キャプラの代表作といえばこういうハリウッドの映画ではなくて、大戦中に国の支援を受けて大量に作った愛国映画だ。これらをつらつら眺めていると、連合国は正義の味方で「悪魔の鬼畜枢軸を滅ぼせ」という単純明快な彼の正義感というものがじつに良く分かるが、この作品でも彼の敵味方の黒白がはっきりした熱血漢ぶりが充分に伝わってくる。

1938年のハリウッド映画で、なぜか指名されて上院議員になって田舎から首都に出てきたボーイスカウトバンドリーダーのジェームズ・スチュアートがどんぴしゃりの配役。ワンシントンのリーンカーン像と対面して正義と真実の政治家になろうと決意するドンキホーテにいつしか惹かれてゆくのがジーン・ハリスンで、彼女の助けを借りて上院で繰り広げるエンドレススピーチが本作の最大の見所。

最後はお決まりのハッピーエンドになるのだが後味は悪くない。最後には正義は悪に勝つのだから。



梨の花が咲いたら重治の「梨の花」を読んでみよう 蝶人
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川本三郎著「白秋望景」を読んで

2012-05-13 10:09:44 | Weblog


照る日曇る日第514回

林芙美子に続いて著者が取り上げたのは、なんと北原白秋です。

明治大正昭和の3代にまたがって詩歌の世界で活躍したこのいぶし銀のような文学者の生涯と業績を、前著と同様に慈しむように、呼吸を共にするように、もう2度と戻らない昔を懐かしい昔をしみじみと振り返るように、書き表しています。

 廃市、柳河の自然の中ではぐくまれた伸びやかな詩魂が、若き日の名作「邪宗門」「思ひ出」を生んだのもつかの間、明治45年に引き起こした人妻との姦通罪事件による入獄、そして郷里の実家の倒産と一家逃亡は、詩人の生涯を激変させると共に、その文体と詩形をいわば「社会化」し、鍛え上げることになりました。

 詩壇の寵児として一斉風靡した若き絶頂期よりも、社会的現実との格闘や挫折を経た後の平易な童謡つくり、そしてどこか水墨画を思わせるような、晩年の内心の想いをありのままに歌いながら自由で自在な古淡の境地を高く評価する著者の主張には説得力がありますし、白秋は軟弱で思想が無いと馬鹿にする、頑なで浅墓なイデオロギー論者への反論もじゅうぶん頷けます。

脳内論理の思弁で世界を解釈したつもりの自称思想家よりも、軟弱で繊細な自然鑑賞家の直観的詩藻のほうが世界を正しく射ぬいていることが多いもの。

「からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。」

という詩句には、長谷川等伯の「松林図屏風」の極北の人世観がたゆたっているようです。

また、白秋の「からたちの花」が素晴らしいのは、それまでからたちの白い花や青い棘、まるい金色の実についてうたってきた詩人が第5連で突然、

「からたちのそばで泣いたよ。みんなみんなやさしかったよ。」

と転じるからだ、と説く著者はこの詩句に詩人白秋の真骨頂を見ているのですが、日本文学の本質は「涙」であると断じる著者ならではの卓抜な視点だと思います。


からたちのそばで泣きたる少年が「からたちの花」を作曲したり 蝶人
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ミシェル・ボワロン監督の「殿方ご免遊ばせ」を見て

2012-05-12 05:43:26 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.243


「BB」ことブリジット・バルドーが主演するアホ馬鹿フランス映画。なんとベベちゃんが仏蘭西の大統領令嬢に扮してアンリ・ヴィダル扮する旦那の秘書官ミシェル・ルグラン!の浮気に対抗して(訪問中のシャルル・ボワイエ扮するボワイエ大公に恋愛ごっこを仕掛けるというドタバタおふざけの一幕物でがす。

 どこをとってどう褒めたらいいのか迷う映画ですが、発色の生々しい総天然色と、1957年当時は健在だったエアフラのプロペラ双発機と全身赤色のスチュアーデスの制服がお洒落です。
ベベちゃんはみだりに裸姿になったりして桃色ブロマイド風に観客を挑発せんとするが、別にどうってことない。こういう低能映画を乱発していたからこそヌーベルヴァーグが勃発したんだということがよく分かる映画です。


音楽を聴くときは必ず目を瞑ってしまうので免許は持っていない、はずの世界のサカモトが日産のEVの広告に出ている摩訶不思議 蝶人
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ウディ・アレン監督の「それでも恋するバルセロナ」を見て

2012-05-11 01:51:28 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.242


2008年制作の米スペイン合作の映画。例に因って例のごとしの恋愛映画で、NYからやって来た若い女性がスペインのぐうえいじゅつ家の掌中にはまって、喜んだり泣いたり苦しんだりするお話だが、こういう題材ならかのエリック・ロメールならもっと上手に演出できたろうにと思ってしまうところが多々あって、さすがの巧者ウディ・アレン、都落ちしてバルセロナで健闘するも、隔靴掻痒の恨みを残すことに相成るのであった。

NHKの衛星放送でオンエアされたこの映画、珍しくなぜか日本語の吹き替えになっていたために出演者のナマの声を聞くことができず、どうもへんちくりんかつへんてこりんな感じだった。

最近劇場公開される洋画でも吹き替え版が増えてきたようだが、これは本来あるべき姿ではないし、目と頭を素早く駆使することを放棄したこういう怠け者ヴァージョンが繁殖すると大喜びするのは吹き替え役の声優だけで、洋画受容史上おおくの弊害虫と禍根ダニを残すことになるだろう。

 それからこの映画の原題は、一人の男を取り合う3人の女の名前「Vicky Cristina Barcelona」なのだが、それがどうして「それでも恋するバルセロナ」という浅墓な邦題になるのか理解に苦しむ。アカデミー助演賞をもらったとかいうペネロペ・クルスのどこがいいのかもさっぱり分からない。


結婚を諦め筆一本に賭ける男哉 蝶人

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根津美術館で「KORIN展」を見て

2012-05-10 11:06:06 | Weblog


茫洋物見遊山記第87回&勝手に建築観光第49回

そろそろ会期も終わりに近づいたので、意を決して南青山まで重い足を運んできました。だいたいこの度の改築を設計した隈研吾という男を私はまるで信用していないし、本展のタイトルのコーリン鉛筆みたいな表示も気に喰わないので、いっそ出かけるのはよそうかとまで思いつめていたのですが、やはり光琳の「八橋図」と「燕子花図」は底抜けに素晴らしかった。いずれがあやめかかきつばた、とはこういう組み合わせをいうのでしょう。

どちらも六曲一双の金地屏風ですが、翠藍の配色の美しさと律動的な配列がもたらす心理的な諧調が絶妙で、いついつまでも眺めていたい気持ちに駆られます。

1世紀ぶりに並んだ双方を比べてみると、向かって右側の「燕子花図」は燕子の花と葉の色がやや重厚で、モーツアルトの後期の交響曲にたとえるとパセチックなト短調k550、左側のたらしこみのある8つの橋と共に描かれた「八橋図」は表向きだけは軽やかなハ長調k551という趣でしょうか。

右から第1、第2扇と流れる宙空に浮かんだ燕子が、生きるよろこびをうたう4つの楽章のように見えてくるから不思議です。これこそ日本が世界に誇る最高傑作、われらの心の永遠の宝でありましょう。同じ光琳の「夏草図屏風」も見るたびに新鮮で、中央の立葵が、あたかもゴッホの向日葵のような生命の輝きをわれらに送って寄越すのでした。

しかししかし、最後にとっておかれた最大の驚きは、なんと酒井抱一の大作「青楓朱楓図屏風」でした。その朱色と薄緑色の取り合わせの衝撃は、構図の大胆さと相俟って、色彩がこれほど恐るべき魔力を放射したことはかつてなかったのではないでしょうか。ああ極楽極楽。これでよい死土産ができました。

 余談ながら、昔の根津美術館はいつでもひとけがなく、ひっそりしていて、私は常設展示の良寛の書を見るのが好きでした。裏門から入って木造低層の玄関口までわずかな勾配を辿ってゆくと何故かディーリアスの音楽が聴こえてくるようでしたが、今度の改築はそんな私のささやかな心の贅沢をすべてぶち壊しにしてしまい、かつて私がひそかに逢い引きを楽しんでいた奥の日本庭園もいまでは有料になってしまいました。

ほんとにセンスが悪くて才能が無いアホ馬鹿建築家には困ります。先日亡くなった菊竹清訓の醜悪無比なデザインのお陰で私は二度と江戸東京博物館には行けないでしょうし、六本木ヒルズも同様。こういう美意識を無視した無神経な悪しき建築による弊害の責任は彼奴がくたばったとしても半永久的に続くのです。

当美術館の竹林の趣向にしても、隈研吾が2003年に青山梅窓院で試みたと同じ京都料亭風エントランスのクリシエですが、こういう安直で陳腐な仕掛けが果たして一流建築家の仕事といえるのでしょうか。内装だってうちの近所の工務店の方がもっと安価にもっと上手にやるでしょう。

松竹本社ビルといいサントリー美術館といい、この人の小賢い、ちまちました、折衷的なしのぎのテクニックは、そこを使う人の心を曇天の悪性ウイルスのように汚染するに違いありません。私はあえて1991年のM2の精神に立ちもどれ!と言うてやりたくなりました。

雲雀歌い燕子咲けども君在らず東京青山根津美術館 蝶人
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フィルダー・クック監督の「テキサスの5人の仲間」を見て

2012-05-09 07:13:22 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.241


テキサスの超金持ちギャンブラーたち(ジェイソン・ロバーズなど)を銀行主と素人をよそおった夫婦ヘンリー・フォンダ&ジョアン・ウッドワードがぎゃふんといわせる痛快無比の西部劇コメディで、カードゲームに敗れた哀れな夫婦が酷い目に遭わされるとばかり思っていた観客はまんまと一杯喰わされてしまうだろう。

 年に一度は万難を排してポーカーに興じる五人も可笑しいが、苦境に陥った夫を助けようする美貌の妻に騙されてしまう脚本(シドニー・キャロル)がまたよく出来ている。こういう洒落た映画をもっと世界中で作ってもらいたいものだ。


血と肉を切り売りするのさサラリーマン 蝶人
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G・ガルシア=マルケス著「百年の孤独」を読んで

2012-05-08 11:17:48 | Weblog


照る日曇る日第513回&ある晴れた日に第108回


この古き本読み始めて以来我が家に異変相次ぐ
深夜に玄関のベル鳴り柱時計真っ逆さまに落下して柔らかき腹の上をオオムカデ往来す 庭に埋めたる愛犬の夥しきウジ振り払いつつ座敷に飛び込むを懼れて今朝は斎戒沐浴
十二所神社の護符を額に張り付け護摩を焚き畏み畏み加持祈祷
怨敵退散諸霊鎮魂謹んでみたま鎮めの祈りを捧げるなり

山の彼方の空遠く 空の向こうに海がある 
海の向こうから人が来て 人はどんどん人を産む
親の因果は子に報い、子供の因果は孫に来て、
孫の良き血も悪き血も 曾孫と玄孫に流れます 
それでも切れぬ因縁は
巴里にロンドン、ニュウヨオク、
ボストン、東京、リオデジャネイロ、
コマンド、柳河、ローデンバック、
丹波の国の里山の、世界のどこに生まれても、
来孫、崑孫、仍孫、雲孫と 家族大樹は果てもなく
どこどこまでも伸びるのじゃ 
東西南北変わりなく 成さぬ仲でも親は親、豚の尻尾でも子供は子供、
子供を産むのは両親で、二人の親には祖父母あり、
その祖父母には親がいて、親の因果は子に酬い、
奇人変人みな死んで 死んだとおもうたはこりゃ目の錯覚
あれそこに飛ぶ黄色い蝶 真っ赤な雪が降るぞえな 
大きな栗の樹の下で 身の丈十丈の大男 
死んでも見切れぬ夢を見て 色即是空 輪廻転生
一目瞑れば百年で 二目瞑れば千年で 三つ瞑ればスフインクス  
因果は巡る風車 西郷隆盛娘です 
さあさ皆さんお手を拝借 五十六十洟垂れ小僧 
八十九十糞喰らえ 百歳なんてあっと言う間 
万人善人 霊魂不滅 一族再会 倶会一処 
さてもさても
なんのおめえが孤独哉

        百年の孤独閲してリラの花 蝶人

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熊井啓監督の「黒部の太陽」を見て

2012-05-07 08:26:40 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.240


 暗くて狭いトンレルの中で三船敏郎と裕次郎と辰巳柳太郎が行ったり来たりする。柳太郎の演技は分かるが、後の二人がどういう演技をしているのかはほとんど分からない。

もちろん世紀の難工事だったことはよく分かるし、艱難汝を玉にして見事貫通させたうれしさも分かるが、わたしはこういう大和魂根性大政翼賛体育会系の映画はどうも苦手だ。黒沢プロは確かにいい映画を作っているし大好きだが、三船プロだとか石原プロって映画じゃないものを作っていたような気がしていまでも好きになれない。

日色ともゑとか樫山文枝なんていう女優も出てきたがいまはどういう仕事をしているんだろう?

それにしても熊井啓のように軟弱で繊細な監督がよくもこういう土建屋映画を最後まで撮り終えたものだと、妙なところに感心しました。それに黛ってなんでも劇伴音楽を引きうける人なんだなあ。 


イタドリのなかには必ず蛇が眠ってる 蝶人
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篠田正浩監督の「瀬戸内少年野球団」を見て

2012-05-06 08:50:29 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.239


阿久悠の原作を田村孟が脚本にし、篠田正浩が演出した敗戦後の淡路島で起こる悲喜こもごもの物語。これが遺作となった夏目雅子、監督夫人の岩下志麻、若き日の渡辺謙、郷ひろみ、島田紳介、戦犯となってシンガポールで処刑される海軍の元提督に伊丹十三、その娘の佐倉しおり、ちあきなおみ、大滝秀治など数多くのスタアが出演しているが、見終わって演技していたのは岩下と伊丹という印象が残るのはなぜだろう。

 それにしても敗戦の混乱の中で女児一人を含む九名の野球団を立ち上げ、子供たちを夢中にさせる夏目雅子先生の五齢の蚕のように透き通った青白い肌がいつまでもスクリーンの奥で揺曳しているような奇妙な感慨を伴う不思議な映画である。

篠田正浩という人はまだ心身ともに頑丈なのにもう映画は撮らないというが、新藤兼人の爪の垢でも飲んでも一度ぐあんばってもらいたいものだ。されど郷・夏目夫妻が取り組んだ島での花卉栽培は、その後どのような進展をみせたのだろうか?


人参の葉っぱを残して下さいな黄揚羽の幼虫の大好物なので 蝶人

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マーチン・ブレスト監督の「セント・オブ・ウーマン」を見て

2012-05-05 07:48:18 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.238


これは米国陸軍を退役した盲目の元軍人とある若者との人情物語。アル・パチーノ扮するこの誇り高い軍人が自動車を猛スピードで運転したり、美女とダンスを踊るシーンは思わず感嘆してしまうのだが、よく考えると彼は単に盲人の役を演じているだけである。

実際は目を開けて実際に見ながら演技しているだけのことなのに、それでもハラハラドキドキするというのは、見ている私が生物学的に勝手にそういう枠を作っているからだろう。

画面の中でただ泣いたり喚いたりしているだけなのに、それを実際に起こっていることと勘違いする心的機構とは、考えてみれば不可思議かつ不条理なものだ。もっともこれあるからドラマの虚構が成立しているからだが、あまりにも無抵抗にその単純で幼稚な枠組みの中にからめとられてしまう自分を眺めていると、その愚かさと軽薄さに自分で自分が嫌になってしまうとともに、人間にその効果抜群の麻酔薬のような心的メカニズムを与えた神様に異議を唱えたくもなるのである。

なおこの映画のタイトルは、その軍人が盲目なのに匂いで美女を見分けたり香水の名を言い当てたりできる超能力?を所有していることに因っている。


ただ一軒日章旗を掲げてるさすがは十二所町内会長 蝶人


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ヘンリー・コスター監督の「ハーヴェイ」を見て

2012-05-04 11:37:52 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.237


私達の世界には多くの霊が存在しているはずだが、1950年制作のこの映画では、それが実際に存在していることを確信する立場から描かれてひときわ異彩を放っている。

 霊というてもケルト神話に出てくる善良な巨大なウサギで、これがジェームズ・スチュアートに取り付いている、といわんよりは彼の親友で、一緒にタクシーに乗るしレストランにも入る。

はじめはそんな馬鹿な話があるかと思っていた人も、だんだんその存在を信じるようになるばかりか、いや絶対に居るはずだ→いや居てくれないと困る→居ないと地球が寂しくなる、というプロセスを辿るに至るのである。

 私はこういう霊についてとくとくと語る青山某や美輪某が大嫌いであるが、この映画に出てくるような幻影のウサギなら大歓迎で、じつは拙宅にもすでに大きくて人間に似たのが1ぴきいるのでこの映画を見て我が意を得たりの心境になった。

 血肉を備えてもっともらしいことをワンワン吠えたてる人間などもう要らないけれど、こういうこの世とあの世を自在に往来する平和と平安の徒はどんどん増殖していって宇宙に充満してほしい。

 見えない人には永久に見えないが、見える人には直ぐ見えるウサギは、人の心を幸せにするのである。


霊園の果てに佇ちたり聖マリア 蝶人
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ビリー・ワイルダー監督の「第一七捕虜収容所」を見て

2012-05-03 11:10:59 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.236


これはミュージカルの原作を映画化した大脱走物語だが、名匠の緩急自在な演出力が随所に発揮されている。

当初ドイツのスパイと疑われていたウイリアム・ホールデンが真犯人を捜し出して鼻を明かせるのだが、このクリーブランド生まれと称する密偵の顔立ちが見るからにドイツ人なので途中で犯人と分かってしまうのが難点と云えば難点。

 しかし旧日本帝国の収容所とは違ってこの捕虜収容所の捕虜たちのなんと生き生きしていること。米兵が穴を掘って脱走してもドイツは処刑したりはせず、なにやら敵味方でゲームを楽しんでいるように見えなくもない。

同じテーマで映画にしたら、邦画ではユーモアもウイットもない陰惨そのものの地獄絵になるだろう。


彼奴があのとき云うたるはこういうことかと20年後に得心することもあるなり 蝶人
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バート・ケネディ監督の「大列車強盗」を見て

2012-05-02 08:22:35 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.235


1972年制作のこの西部劇映画は、なんといっても晩年の御大ジョン・ウェインがその出っ腹で存在感を示していて、それなりの見ごたえがある。

誰かがどこかに隠した大金を欲望にまみれたガンマンたちが争奪するというよくある話だが、はじめは処女の如く殊勝な女らしさを見せてあらくれ男たちの同情を誘っていたアン・マーグレットちゃんが最後に思いもかけぬ正体を見せて一大どんでン返しとなり、そこからこの映画の題名通りの本物の列車強盗が始まるというプロットも面白い。

機知と哄笑をまぶした奇特な一大娯楽西部劇として、映画史に少しは名をとどめておく値打ちはあるでしょう。


無惨やな子等に盗られしオタマジャクシ 蝶人
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フランシス・コッポラ監督の「コットンクラブ」を見て

2012-05-01 08:27:27 | Weblog



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.234

大恐慌前後、禁酒法時代のNYのエンターテインメント界とギャング社会の興隆を2つの愛の交流を軸にして描く。

当時のハーレムの歓楽スポットに集うマフィアたちやチャプリンやギャグニーやグロリア・スワンソン、デューク・エリントンなどが登場し、歌や踊りやショウの数々をたっぷり楽しめるのは結構だが、どうも活動写真的推力に欠けるのはなぜだろう。

ひとつには主役のリチャード・ギアの役柄が中途半端なのと、ダイアン・レインの素人芝居が足を引っ張り、せっかくグレゴリー・ハインズが見事なタップを見せたり、それとシンクロしてギャングの暗殺シーンを見せても、そういう手法自身にもはやなんの目新しさもないので観衆が鼻白むということがある。

70年代に大ヒットした「ゴッドファーザー」ではマフィアの抗争そのものを徹底的に描いたので、1984年に製作したこの作品では少しフォーカスをずらしてギャング噺とラブストーリーの2焦点に据えたことが裏目にでたのかもしれない。

ラストなどは噴飯もので、名監督らしからぬ不出来な上がりになったのはとても残念である。



「報連相」する間もなくて喉に落つ 蝶人
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