あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「古井由吉自撰作品5」を読んで

2012-09-15 10:33:32 | Weblog


照る日曇る日第538回

本巻ではいずれも福武書店から1983年に刊行された「槿」と1986年刊の「眉雨」の2冊の単行本を収録しているが、前者の方がはるかに読みでがあった。

 読みでがあると書いたものの、そこで2段組307頁にもまたがって延々と果てしも無く牛の涎のごとく書きつらねてあるのは、中年の男性の主人公杉尾と、同じく中年の女性、井出伊子、萱島國子、行きつけのバアの女将をめぐる精神と肉体の相姦関係、異様なまでの蝮の絡み合いである。

 そこでは主人公に犯されたことがあると主張する者や、実際に犯されてしまう者が登場するのだが、それであるかといってこの本はポルノ小説などでは断じてなく、人世に悩める男女がこの難しい世の中にあってなんとか破綻寸前の彼らの生き方を立て直そうと真摯に努力している点で、むしろ際立って倫理的な特色を示しているのである。

 しかしながら、この全篇に臭い立つ成熟し切った女性の隠微な肉欲と饐えた体臭はいったいなんだろう。次から次に押し寄せる女軍の霊肉一体の攻勢を避けようともせずに真正面から受け止めてしっかと立つ主人公こそ、現代に生きる中年男の理想であろう。

 それにしても、この家の根方にがっつり巣食うているはずの主人公の山の神についてほとんど叙述が無いのは摩訶不思議だ。




横須賀のマクドナルドで口にした1杯100円のコーヒーの不味さよ 蝶人
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横浜新・港区ハンマーヘッド・スタジオを訪ねてみませんか?

2012-09-14 09:43:15 | Weblog


茫洋物見遊山記第92回


猛暑を冒して横浜赤レンガ倉庫の近くの新港ピアに最近出来た「ハンマーヘッド・スタジオ新・港区」を見物してきました。埠頭の先端には船荷を積み下ろしするハンマーヘッド・クレーンが実際に取りつけてあるのでこの命名がなされたようです。

この広大な平屋には横浜市文化観光局の委託を受けてNPO法人BankART1929・新港ピア活用協議会が運営するブースがたくさんあり、そこには青山|目黒ギャラリーなど50組150名を超えるアーティストや建築家、デザイナーたちがこれから2年間限定入居し、多種多様な創作活動を行ったり、各種イヴェント、コラボレーションを展開してゆくそうです。

この注目すべき実験工房は、一般の人々を対象に来たる16日日曜日まで特別限定公開されていまので、横浜みなとみらい地区見物を兼ねて足を運んでみてはいかがでしょう。


 横浜の港の先に突き出たるハンマーヘッドはアートの目印 蝶人


◎横浜新・港区ハンマーヘッドスタジオ限定公開9月7~16日
   http://shinminatoku.bankart1929.com/download/5050yokohama.pdf
   http://shinminatoku.bankart1929.com/download/2012openstudio.pdf
   http://www.facebook.com/HammerHeadStudio
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エクサン・プロバンス音楽祭の「フィガロの結婚」を視聴して

2012-09-13 08:06:49 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第280回

2012年夏の南仏エクサン・プロバンス音楽祭の録画でモーツアルトの「フィガロの結婚」を見ました。7月12日の夜、お馴染み大司教館中庭の収録だが画質はともかく音質はあまり良くない。

カイル・ケテルセンがフィガロを、パトリシア・プティボンがスザンナを歌ったが、可も無く不可も無い歌唱。レザール・フロリサンの合唱もまずまずだったが、ル・セルクル・ドゥ・ラルモニという小編成の古楽オケを率いたジェレミー・ロレールという若い指揮者がまるでスケーターワルツのように序曲を走らせて喜んでいる。テンポはエーリッヒ・クライバーと大体同じだが、そこにはモーツアルト特有の音楽の喜びなぞ微塵も漂わない。

「モーツアルト指揮のモーツアルト知らず」は、例えば小澤征爾とかウエルザー・メストとか準メルクルとかダニエル・ハーディングとかあまた存在しているが、彼らはうわべの演奏効果を気にしながら楽譜をひたすら機械的に音化しているだけで、楽譜に内在する意味がまったく理解できず、よって汲み上げることもできないのだろう。

リシャール・ブリュネルの演出は1幕になぜか書庫を持ってきてぐるぐるぶん回したり、4幕大詰めではいくつもの東屋を目まぐるしくぶん回したりする。実は後者はリブレットに忠実たらんとしているのだが、見物しているほうはなんのことだかさっぱりわからずただ混乱困惑するのみ。指揮者ともども若気の至りをさらけだしててんとして恥じていない。

かくもモーツアルトの本質からほど遠い演奏を久しぶりに耳にした。私などはテレビの放送視聴だからよいものの、わざわざ現地に足を運びこんな酷い代物を押しつけられる観客の気持はいかばかりだろう。


                 蝉時雨妻子の居らぬ一軒家  蝶人
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大林宣彦監督の「転校生」を見て

2012-09-12 08:33:22 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.308


いくらなんでも神社の階段から2人でごろごろ転がり落ちたら男と女が入れ替わってしまうなんて下手なSFでもありえない。しかしそのありえない無理筋を強引に映画にしてしまうのが監督の腕前で、しばらくすると尾見としのりが小林聡美で小林聡美に見えてきてしまうから映画の魔術とはげに恐ろしいものである。

風光明媚な尾道はカラーよりもモノクロームのほうがよく似合う。ラストでトラックを追いかける小林聡美の八ミリビデオの中の映像こそ、永遠の青春のモンタージュであろう。


蝉時雨行方不明者は見つからぬ 蝶人
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「フルトヴェングラー/ザ・レガシー107枚組CD」を聴いて

2012-09-11 09:25:22 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第279回

フルヴェンがかつてベルリンやウイーンのオケに録音した交響曲や管弦楽、オペラ、歌曲をベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナーなどの作曲家別に全部で11のボックスにパックして全107枚がなんと9490円也という音質もOKな超廉価盤セットです。

ほぼ半年間にわたってちびちび聴いてまいりましたが、やはり聴きごたえがあるのはベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーで、ブルックナーはちょっと曲の本質と違う演奏。ワーグナーの「指輪」の全曲は1953年のローマRIA交響楽団とのライブだが、どうしてスカラ座との録音も入れてくれなかったのか不可解だな。


面白いのはモーツアルトのダ・ポンテ・オペラ、チャイコフスキー、それに自作の交響曲とザルツブルク音楽祭でシュワルツコップと入れたピアノの伴奏など。おまけのDⅤDにはヨアヒム・カイザーという有名なドイツの音楽評論家のフルヴェン讃が聞かれるが、どこかナチ幹部に似た下品な顔つきのこの男、泡を飛ばして偉大なマエストロをほめちぎるが、どこか信用できない嫌な感じでげす。

全CDを通じてのベストは意外にも1953年5月18日にシュナイダーハン、ベルリンフィルと入れたベートーヴェンのバイオリン協奏曲で、これにはしみじみ涙がちょちょ切れました。


蝉が鳴くお前は去年の蝉ならず 蝶人

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内田樹&高橋源一郎著「どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?」を読んで

2012-09-10 08:55:16 | Weblog


照る日曇る日第537回

マーケティングはあらゆる商品やサービスが導入以来、時間の経過と共に成長、成熟、衰退のプロセスを辿ることを教えている。文明文化産業もまた然り。あらゆる偉大な帝国も、勃興し、興隆し、そして沈んだ。かつては4大文明諸国が、近くは大英帝国が、そしていまやこの国が、経済的にも政治的にもどんどん地盤沈下して衰退期を迎えているのである。

下手な悪あがきはやめてこの緩慢な下降、そして死に至る閉塞期を、出来るだけスマートに、出来るだけ明るく楽しく受け入れようという著者たちの提言に、私は前から賛成している筋金入りの非国民的敗北主義者である。

もっともっとうまいもん食いたいよお、きれいな女(男)を毎晩抱きたいよお!と、らあらあ喚きながら眼の色と血相変えて地球狭しと走り回るBRICS&新興経済国の若くて元気な諸君よ。未来は君たちのものだ。

この国はすでに一回終わった国であり、おらっちは、もう終わった人だ。ゲームからおりて、ねんねぐーさせてもらいよ。ところがそういう冷静な歴史認識をいっさい無視して相変わらず右肩上がりの成長を夢見る往生際の悪いドンキホーテが権力の中枢に蠢いているからはなしはややこしくなる。

ところでそろそろ総選挙だそうだが、著者たちが期待していた細野、橋下、小泉のがっつり激突にならなかったのは残念至極であった。前回の民主党のマニュフェストも酷かったが、今回の維新連中の「船中八策」なんてあきれる。んなもんまるで中学生の今週の努力目標じゃないか。自民党はなんとなんと天皇元首制!だって。21世紀も早々と暮れようとしているのに、このシーラカンスたちはいったいなにを考えているんだろう。

そこへいくと、成長論者が思考停止に陥り、「怨念に燃える破壊家、日本版ジュリアン・ソレル」の橋下市長が学級委員的もぐらたたきに狂奔している間に、内田&高橋コンビは未来教育の理想を和歌山のクラスも学年もカリキュラムもなく、先生も生徒もいない「きのくに子どもの村学園」というフリースクールに求め、理想的な死に里を山口県熊毛郡上関町の「祝島」のおばあさんの生き方に求めているから偉いもんだ。私たちも彼らに見習って若い世代へのさおれなりの贈与を考える必要がある。

しかしこの頭脳明敏にして喜ばしき性善説に立つ二人が、冗談にもせよ「天皇親政」を口走り、「最近の我が国の原発ゼロへの政策転換はアメリカの陰謀」説を垂れ流すとは、世も末というほかはない。

蛇足ながらいくら雑誌の対談を書籍にまとめたものだとはいえ、この本、誤植が多すぎる。もっと真面目に校正せよ。


この期に及んで右肩上がりの成長を夢見る左前左巻きのオッサンたちよ 蝶人
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加賀乙彦著「雲の都第5部 鎮魂の海」を読んで

2012-09-09 08:42:30 | Weblog


照る日曇る日第536回


 前作と同様どこまでが事実で、どこまでがフィクションか分からず、その中途半端さがこの物語への沈入と熱中を妨げてはいるものの、60歳を過ぎた主人公が震災の翌日に家族と共に芦屋に駆けつけ、親戚の遭難と災害を救援するのみならず、おのれの精神科医師としての技量を罹災者の心身のケアに役立てようと単身過酷なボランティアとして勤労奉仕を敢行するくだりは感動的で、小説の出来栄えはともかくその犠牲的精神には深い感銘と共感を覚える。
 
その阪神淡路大震災やオウムのサリン事件、NYの9.11テロなどが生起する中で、登場人物はどんどん歳を取り、その多くが次々に死んでゆく。誠に人世は儚く、諸行は無常の世の中といわざるをえない。

外国では胃ろうなぞせぬと聞く死ぬときは死ぬがよかろう 蝶人
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加賀乙彦著「雲の都第4部幸福の森」を読んで

2012-09-08 09:29:26 | Weblog


照る日曇る日第536回


これはなんでも「自伝的小説」らしいが、自伝にしては小説的過ぎて?全部が嘘かとも疑われるし、小説にしては文章が緩すぎてまるで素人のようで戸惑う。自伝と小説の2つの要素を恣意的にアマルガムにしているために作品に芯が無く、一個の読み物としての主体性が希薄であると感じられる。

同じ「自伝的小説」でもトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」ではこういう不安や不安定はさらさら感じないから、おそらくその原因は、著者の枠組みの設定と文体・文章の吟味が甘いのだろう。後者については渡辺淳一や塩野七生と共通するものがあるが、この2人はあれほど酷い文章を書いても構造自体はきっちりしている。

そのことは、著者の文章と著者が本書で引用している死刑囚の迫真の文を比べてみるとよく分かる。著者は自分の人世に決定的な影響を受けたこの出会いから多くのものを学んだと告白しているが、文体の深さと重さと鋭さについてはまるで無関心だったらしい。

しかし先祖の韓国や韓国人とのつながりなどや、妻とは別の女性との間に出来た息子の自殺やゲーテの故地への訪問記など、文想が乗って来ると精気がみなぎる。出来不出来の差が激しいバレンボイムの演奏のようだ。


われもまた2012年夏の海の点景となり終せぬ  蝶人
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F.W.ムルナウ監督の「吸血鬼ノスフェラトゥ」を見て

2012-09-07 07:52:59 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.307


ドイツ表現主義だかなんだか知らないが、ムルナウの映像は端正で美しく、無声映画ではあるが音楽の支援など必要としない。いやすべての無声映画の映像は、音声の支援をあてにしていなかったから、すべからく端正で力強く、それゆえに美しかったのだ。

吸血鬼ドラキュラ物の元祖となった1922年製作の古典的作品であるが、ドラキュラを扱ったすべての映像、ドラマを圧して面白く、芸術的な完成度が高い名作である。



朝っぱらから小説を読んでいる極道映画を見ている横着者 蝶人
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「ギュンター・ヴァント・グレート・レコーディングス」を聴いて

2012-09-06 08:28:56 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第278回

北ドイツ放響とのベートーヴェン、ブラームスの交響曲全曲、モーツアルト、シューマン、ストラビンスキーに加え、ケルン放響とのブルックナー、シューベルトの全交響曲などを加えた全28枚組5180円也のCDを聴けば、この人の大器晩成の芸術の最終的な仕上がりの見事さを堪能できるが、ボーナスに加えられた1枚のDⅤDが不朽の価値を持っている。

そこにはこの偉大な指揮者の死の前年2001年11月30日に行われた生涯最後のインタビューが収録されているからである。それによればヴァントが初めてシューベルトのハ長調交響曲を手掛けたのはなんと彼が60歳、そしてブルックナーの第5番を演奏したのは62歳になってから。しかもブルックナーの本当の傑作はその5番と9番だけであり、8番ですら周囲の雑音に影響された箇所があると断言するのである。

芸道の恐ろしさも知らず、なんでもかんでもコンサートにかけて録音しまくる当今のアホ二歳どもに聞かせたい有難い話ではないか。

ととのつまり指揮者の仕事とは、音楽を始めることと終わらせること、そしてその間をつつがなく経過させることである。そして良い指揮者は、演奏の前に深く楽譜を読みこみながら、まず彼自身の脳内で良い音楽を鳴らし、次いでその通りにオーケストラに演奏させなければならない。大半の指揮者はこの最後の2つのプロセスで大なり小なり破綻するが、ヴァントはつねにこの困難な回路をあざやかに踏破することができたのである。


地の果てに斃れし君は世の光地の塩の如く今も耀く 蝶人


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シルベスター・スタローン監督の「ロッキー5」「ロッキー・ザ・ファイナル」を見て

2012-09-05 09:12:45 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.305&306


「ロッキー5」はロッキーが息子から眼を離して有望な新人ボクサーに入れ上げたために起こる様々な波紋を描く。ロッキーのおかげで強いファイターに成りあがったその男は、悪いプロモータにそそのかされて恩人ロッキーを裏切る。ようやく悪い夢から醒めたロッキーは、そのボクサーを叩きのめし、ふたたび家族の愛を取り戻すのだった。

 ロッキー最後の作品は愛妻エイドリアンをがんで喪ったロッキー最後の戦いと再生を描く。イタリアンレストランのオーナーとして成功し50歳になったロートルが、すでに引退して何年も経っていたにもかかわらず、内なる戦いの炎に導かれて、世界ヘビー級の現役チャンピオンに挑戦するという青春の夢よ再びの物語。原題はロッキー・バルボア。この最終作がもっとも撮影画面が美しい。


一日に一首を詠んでいるのは辞世の歌を練習するため 蝶人
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シルベスター・スタローン監督の「ロッキー3」「ロッキー4」を見て

2012-09-04 08:36:03 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.303&304

 アポロを倒したロッキーは連戦連勝するが、効なり名を遂げたその最後の防衛戦で間ひそかに実力を蓄えてきた強敵ミスターTに屈辱のKOを喫したばかりか盟友の名トレーナーを喪って人生の指針を失いアイデンティテイの崩壊に直面する。その生涯最大の危機を救ったのはなんとかつての宿敵アポロであった、というシナリオが心憎い。

 かつての宿敵からの心身両面からの支援を受けたロッキーはみごとタイトルを奪還するのだった。

つづく4作目はお話が政治がらみになっていてきな臭い。旧ソ連の冷酷非情なボクサーに親友のアポロをリング上で殺されたロッキーは、冷戦さなかの敵国に乗りこんでのリベンジ戦に勝利する。

はじめはロッキーを敵視していたロシア人たちが善戦健闘するロッキーの味方をしてソビエト大統領を慌てさせるとか、勝利後の「政治の壁を崩そう」的なロッキーのインタビューが会場の圧倒的共感を得るシーンなどが片腹痛いが、ロッキーはどうしてもこういう「愛国映画」を作りたかったのだろう。



昔阪神、次横浜、今ヤクルト無節操者のわたしでござい 蝶人
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ジョン・G・アヴィルドセン監督の「ロッキー」「ロッキー2」を見て

2012-09-03 09:26:03 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.301&302

スタローンって偉い。普通の映画なら続編を作ることなど誰ひとり考えない。スピルバーグだろうが、ルーカスだろうが。

ところがこの「ロッキー」という映画では、主人公と世界チャンピオンがリングで予想外の大混戦となるのだが、その結末はアナウンスされない。ボクシング映画なのに、白黒どっちが勝ったかを観客に教えないままで終わってしまうなんて、いい根性しているではないか。

ロッキーと同様、無名の新人監督であったシルベスター・スタローンはこの映画の脚本を書きながら、己の成功に絶対的な確信を懐いていたのであるが、恋人エイドリアンとその兄、そしてジムのコーチの3大キャラクターの設定が、後になって効を奏するのだ。

続編ではシナリオのみならずメガフォンも自分で取るようになる。その演出はさすがに素人ぽいものであるが、お話自体がボクシングに題材を取った漫画的動画なので、それが致命的な欠陥になることもない。

現在の判定方式なら圧倒的にチャンピオンのアポロ有利だが、おされにあされた最終回で1発逆転のノックアウトパンチ! これにはボクシングファンならずとも快哉を叫ばずにはおられないだろう。


スマホで笑いfacebookで泣きtwitterで怒り狂うあなた 蝶人
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大島渚監督の「新宿泥棒日記」を見て

2012-09-02 08:26:41 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.300

横尾忠則が紀伊国屋で訳も分からず本を盗んで社長の田辺茂一の自著をもらったり、横山リエが佐藤慶と渡辺文雄に犯されたり、横山と横尾が状況劇場の麿赤児や李礼仙と赤テントで共演したり、突然横山リエがオシッコしたり、佐藤慶がセックスというのは不感症的な性器を感じるようにすることだと語ったり、新宿東口派出所が襲われたり、西口広場でフォーク集会が開かれたり、東口広場でパフォーマンスが行われたり、まるでいきあたりばったりの即興的演出だが、それでも辛うじて「映画」という古典的な範疇に収まっているのは、35ミリや8ミリ手ぶれフィルムからから終始正体不明の訳の分からない60年代潜熱がマグマのように放射され、よく考えてみれば無意味で無内容な言説が恥知らずな直截性と鈍重な肉体性によって覆われているからであって、けっしてこの映画における大島(たち)の視線が男は女を犯す存在であり女は男から犯されるのを待っているなどという安直なテーゼを爬虫類の脳内に安置し、♪ひとつでたほいのよさほいのホイ的なあからさまな男尊女卑のどうしようもない下劣な猥歌で全篇が彩られているからではないのだよ。


この夏も現れ出でたる大ウナギ毎晩川を悠々と泳ぐ 
こんな長さのこんなぶっといウナギでねと腕がどんどん伸びてゆく 蝶人
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大林宣彦監督の「異人たちとの夏」を見て

2012-09-01 09:06:50 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.299


観光とは、文字通り「光を見る旅」、その土地に眠る霊たちを巡る旅である。

だから広島・長崎へ観光した人は原爆の灼光を見、京都では応仁の乱、奈良では聖徳太子や長屋王一族の死者たち、鎌倉では北条一族と彼らが虐殺した御家人たちの怨みをのんだ最期の眼の光を、彼らがそぞろ歩く地面の下に痛々しく感じるのである。

よしんば観光客が地表の風物しか見ていなくとも、地底深く眠る諸霊たちはその血まみれの視線を地表に向けている。移動する彼らは、意識しようがしまいが、地霊から見張られ続けているのだ。

昭和20(1945)年3月10日未明、現在の台東・墨田・江東区のいわゆる下町地区は、米軍の爆撃機B29による空襲を受け、死者およそ10万人、負傷者4万人、罹災者100万人という未曾有の大被害を被った。そして今でも浅草を訪れて、雷門から仲見世を通り、観音堂の裏手に至ると、この業火に焼かれて死んだ亡者たちが水を求める声がいまなお聞こえてくる。

「異人たちの夏」は、原作者の山田太一がその浅草で非業の死を遂げた人々の霊に捧げた鎮魂歌である。そして浅草伝法院通りの葡萄棚の露店を潜り抜ければ、今でも秋吉久美子と片岡鶴太郎夫婦が、私たちを歓待してくれるだろう。



たった一匹のお前のためにもうもうと焚く蚊取線香 蝶人


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