茨城県の教育委員の発言
ニュースで耳にしたとたん
怒りはあっという間に沸点まで達した。
が、
冷静になって考えようと思った。
現在、社会福祉を勉強中の私は
この間、といっても戦前戦後、
国連障害者年からのその後と
諸外国と我が国の障害者への処遇、政策の歴史を学んできた。
その歴史は、障害を持つ人々にとって
人権を無視され、否 人権は無きものとされ、
生存さえ許されなかった時代もあった。
社会生活の秩序を乱さないためにと
遠隔地への隔離的な施設処遇をされ、
その生活の場で虐待され、差別が日常茶飯事になされていたのである。
今もこうした虐待は皆無ではない。
日本では、
1948年の優生保護法成立後、1996年の母体保護法への改正まで
知的障害・精神疾患のある女性に
本人の同意なしに、保護者の同意で
公的機関の勧めにより、知能検査の結果を主な指標として
本人の知らないうちに手術をし
生ませないこともあった。
まさにあの発言通りのことが、
つい先ごろまでこの日本で行われていたのである。
知事は、当初「問題ない」とコメント
しかし、批判が高まるにつれて言い訳に回り
発言者は辞表を提出し辞めた。
でもそれで済んでよいわけがない。
あの発言を我々自身がどう受け止め
我々自身の中の差別と偏見をなくす努力(?)をどうするかを問うべきだと思う。
この間の障害者への政策は
当事者と、親の会を中心とした団体の粘り強い運動で勝ち取ってきたものである。
そのこと自体が、人権獲得への闘いの道程であった。
結果、差別や偏見は減ってきたようにも思える。
しかし、まだまだ、誰もが人として平等に人権を持ち
それが守られるべきだということが普遍的な時代は先送りされている。
繰り返される虐待や差別を助長する発言などにそれが現れる。
そして、そうした発言を生むのは政治の責任でもある。
「福祉に金がかかりすぎる」と言う政治の姿勢がそれを言わせるのである。
私自身の中にも
差別や偏見の意識が全くないとは言い切れないことを
自覚している。
社会福祉の勉強はその自己覚知との戦いでもある。
でも一方で、障がいを持つ友人たちを通じて
その意識も大きく変わってきたとも思う。
今後も自分自身の中の差別意識を無くすために
どうあるべきかの模索は続く。
ある尊敬する教授が
障害は個性ではありません!
そう考えることは成長を否定することです。
と授業で講義された。
障害は、人間の発達過程で起こる困りごとであること
一番困っているのは本人であること
その困っていることを表す行動の原因を見極め、
困りごとが発生しないように支援のあり方や関わり方を変えることで
成長を保証支援することができるのだということ
つまり、困りごとを減らすのは支援をする我々如何であると
障害とは何か
今後も考え続けたい。
ニュースで耳にしたとたん
怒りはあっという間に沸点まで達した。
が、
冷静になって考えようと思った。
現在、社会福祉を勉強中の私は
この間、といっても戦前戦後、
国連障害者年からのその後と
諸外国と我が国の障害者への処遇、政策の歴史を学んできた。
その歴史は、障害を持つ人々にとって
人権を無視され、否 人権は無きものとされ、
生存さえ許されなかった時代もあった。
社会生活の秩序を乱さないためにと
遠隔地への隔離的な施設処遇をされ、
その生活の場で虐待され、差別が日常茶飯事になされていたのである。
今もこうした虐待は皆無ではない。
日本では、
1948年の優生保護法成立後、1996年の母体保護法への改正まで
知的障害・精神疾患のある女性に
本人の同意なしに、保護者の同意で
公的機関の勧めにより、知能検査の結果を主な指標として
本人の知らないうちに手術をし
生ませないこともあった。
まさにあの発言通りのことが、
つい先ごろまでこの日本で行われていたのである。
知事は、当初「問題ない」とコメント
しかし、批判が高まるにつれて言い訳に回り
発言者は辞表を提出し辞めた。
でもそれで済んでよいわけがない。
あの発言を我々自身がどう受け止め
我々自身の中の差別と偏見をなくす努力(?)をどうするかを問うべきだと思う。
この間の障害者への政策は
当事者と、親の会を中心とした団体の粘り強い運動で勝ち取ってきたものである。
そのこと自体が、人権獲得への闘いの道程であった。
結果、差別や偏見は減ってきたようにも思える。
しかし、まだまだ、誰もが人として平等に人権を持ち
それが守られるべきだということが普遍的な時代は先送りされている。
繰り返される虐待や差別を助長する発言などにそれが現れる。
そして、そうした発言を生むのは政治の責任でもある。
「福祉に金がかかりすぎる」と言う政治の姿勢がそれを言わせるのである。
私自身の中にも
差別や偏見の意識が全くないとは言い切れないことを
自覚している。
社会福祉の勉強はその自己覚知との戦いでもある。
でも一方で、障がいを持つ友人たちを通じて
その意識も大きく変わってきたとも思う。
今後も自分自身の中の差別意識を無くすために
どうあるべきかの模索は続く。
ある尊敬する教授が
障害は個性ではありません!
そう考えることは成長を否定することです。
と授業で講義された。
障害は、人間の発達過程で起こる困りごとであること
一番困っているのは本人であること
その困っていることを表す行動の原因を見極め、
困りごとが発生しないように支援のあり方や関わり方を変えることで
成長を保証支援することができるのだということ
つまり、困りごとを減らすのは支援をする我々如何であると
障害とは何か
今後も考え続けたい。