中国・天津 魯迅が愛した内山書店復活 日本から輸入した本も 日中交流の懸け橋に
中国の文豪、魯迅(ろじん)が愛した書店として知られる「内山書店」が7月10日、中国・天津に開店し、盛況です。同書店はもともと1917年に日本の内山完造と妻の美喜が上海で開業。45年の日本の敗戦後に閉店し、中国では76年ぶりに復活しました。同書店を運営する趙奇(ちょう・き)社長(38)は「先達に学び、中日交流の懸け橋にしたい」と語ります。
9月下旬、天津市内のモールにある内山書店を訪ねました。明るい店内には魯迅の書籍や日本の文化に関する本、絵本などが並んでいます。日本から輸入された本や雑貨もあり、親子連れや若者でにぎわっていました。
店内に掲げられている写真を説明する趙奇さん
当時の外観再現
壁にはかつての内山書店の写真や書店に関係する文化人の写真が並んでいます。奥に入ると、当時の書店の外観が再現され、著名な泥人形職人、張宇氏が作成した魯迅像が飾られています。店内にはカフェもあり、コーヒーの香りが漂います。
趙さんは「開店して2カ月半、予想以上に多くの人が訪れてくれ、歓迎されている。天津だけでなく、北京や上海、広州など各地から来た人もいた」と笑顔で話します。
上海の内山書店は、晩年の魯迅や日中の文化人、社会活動家らが集まる場となっていました。店内にはテープルと椅子が置かれ、高級宇治茶「雁が音(かりがね)」が無料で飲めましたした。「文芸漫談会」と呼ばれるサロンがときどき開かれ、単に本を売るだけではなく、日中民間人の交流の場でした。
内山書店の精神は、上海にある内山夫妻の墓碑に刻まれた「以書騨為津梁、期文化之交互(書店を懸け橋として、文化交流を期する)」という言葉に表れています。この言葉は新しい書店にも掲げられています。
「内山書店」は東京にもあります。完造の弟、嘉吉(かきち)が1935年に開業し、いまも営業が続いています。趙さんは天津のテレビ局のディレクターだった2013年に同書店を取材してドキュメンタリーを制作。その精神に感銘を受けました。
天津で書店を復活させたいと奔走。同市当局の協力を得て、東京の内山書店が商標使用を認める形で開店が実現しました。趙さんは「内山完造の精神を受け継ぎ、中日相互理解の窓口・懸け橋にしたい。さらに中日の友好と交流の場にしたい」と意気込みを語ります。
天津の内山書店はサロン「漫談会」を週末などに開催。内山書店や魯迅、日中の文化などに関係する講師を呼び、参加者との交流の場としています。
書店内でくつろぐ人たち
友人と出会う場
趙さんは「コーヒーも良いものを安く提供している。お客の要望で日本酒も置くことにした。昔の本や資料なども展示している。訪れた人が新たな本や友人に出会い、楽しんでもらう場にしたい。完造の内山書店も楽しいからこそ、毎日のように魯迅やさまざまな人たちが通ってきた」と語ります。「何十年、何百年と愛される書店にしたい。いずれは上海はじめ北京など中国各地に出店したい」と夢を膨らませます。
日中関係の悪化が指摘されていますが、趙さんはこう強調しました。「対話が多ければ、対立は少なくなる。内山書店は相互理解と交流の場として小さくても役割を果たしたい」
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年10月1日付掲載
かつての内山書店は上海にあったと。晩年の魯迅や日中の文化人、社会活動家らが集まる場に。高級宇治茶「雁が音(かりがね)」が無料で飲めたといいます。
今は、コーヒーも良いものを安く提供している。お客の要望で日本酒も置くことに。
日中関係の悪化が指摘されていますが、趙さんはこう強調。「対話が多ければ、対立は少なくなる。内山書店は相互理解と交流の場として小さくても役割を果たしたい」
中国の文豪、魯迅(ろじん)が愛した書店として知られる「内山書店」が7月10日、中国・天津に開店し、盛況です。同書店はもともと1917年に日本の内山完造と妻の美喜が上海で開業。45年の日本の敗戦後に閉店し、中国では76年ぶりに復活しました。同書店を運営する趙奇(ちょう・き)社長(38)は「先達に学び、中日交流の懸け橋にしたい」と語ります。
9月下旬、天津市内のモールにある内山書店を訪ねました。明るい店内には魯迅の書籍や日本の文化に関する本、絵本などが並んでいます。日本から輸入された本や雑貨もあり、親子連れや若者でにぎわっていました。
店内に掲げられている写真を説明する趙奇さん
当時の外観再現
壁にはかつての内山書店の写真や書店に関係する文化人の写真が並んでいます。奥に入ると、当時の書店の外観が再現され、著名な泥人形職人、張宇氏が作成した魯迅像が飾られています。店内にはカフェもあり、コーヒーの香りが漂います。
趙さんは「開店して2カ月半、予想以上に多くの人が訪れてくれ、歓迎されている。天津だけでなく、北京や上海、広州など各地から来た人もいた」と笑顔で話します。
上海の内山書店は、晩年の魯迅や日中の文化人、社会活動家らが集まる場となっていました。店内にはテープルと椅子が置かれ、高級宇治茶「雁が音(かりがね)」が無料で飲めましたした。「文芸漫談会」と呼ばれるサロンがときどき開かれ、単に本を売るだけではなく、日中民間人の交流の場でした。
内山書店の精神は、上海にある内山夫妻の墓碑に刻まれた「以書騨為津梁、期文化之交互(書店を懸け橋として、文化交流を期する)」という言葉に表れています。この言葉は新しい書店にも掲げられています。
「内山書店」は東京にもあります。完造の弟、嘉吉(かきち)が1935年に開業し、いまも営業が続いています。趙さんは天津のテレビ局のディレクターだった2013年に同書店を取材してドキュメンタリーを制作。その精神に感銘を受けました。
天津で書店を復活させたいと奔走。同市当局の協力を得て、東京の内山書店が商標使用を認める形で開店が実現しました。趙さんは「内山完造の精神を受け継ぎ、中日相互理解の窓口・懸け橋にしたい。さらに中日の友好と交流の場にしたい」と意気込みを語ります。
天津の内山書店はサロン「漫談会」を週末などに開催。内山書店や魯迅、日中の文化などに関係する講師を呼び、参加者との交流の場としています。
書店内でくつろぐ人たち
友人と出会う場
趙さんは「コーヒーも良いものを安く提供している。お客の要望で日本酒も置くことにした。昔の本や資料なども展示している。訪れた人が新たな本や友人に出会い、楽しんでもらう場にしたい。完造の内山書店も楽しいからこそ、毎日のように魯迅やさまざまな人たちが通ってきた」と語ります。「何十年、何百年と愛される書店にしたい。いずれは上海はじめ北京など中国各地に出店したい」と夢を膨らませます。
日中関係の悪化が指摘されていますが、趙さんはこう強調しました。「対話が多ければ、対立は少なくなる。内山書店は相互理解と交流の場として小さくても役割を果たしたい」
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年10月1日付掲載
かつての内山書店は上海にあったと。晩年の魯迅や日中の文化人、社会活動家らが集まる場に。高級宇治茶「雁が音(かりがね)」が無料で飲めたといいます。
今は、コーヒーも良いものを安く提供している。お客の要望で日本酒も置くことに。
日中関係の悪化が指摘されていますが、趙さんはこう強調。「対話が多ければ、対立は少なくなる。内山書店は相互理解と交流の場として小さくても役割を果たしたい」