シリーズ 原発の深層 第三部・差別と抑圧超えて⑨ 研究者の役割今こそ
抑圧と差別は、核燃料サイクル計画を担う動力炉・核燃料開発事業団(動燃=1967年発足、現・日本原子力研究開発機構)では激しいものがありました。
核燃料サイクルは、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し燃料として使う計画。動燃は高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)などの開発を国家プロジェクトとして、10年を目標に達成するようスタートしました。
余裕ない工程
74年、動燃東海事業所の再処理工場(茨城県東海村)で試験運転中、下請け労働者が転落死亡。75年にはウランをプラント(処理施設)に流す試験を控えて労組が人員確保などとともに80カ所の改善提案をしましたが、これらを無視して動燃は試験を強行しました。
動燃労組委員長を務めた円道正三さん(68)は、「再処理は未確立で危険を伴うから安全を確認しながらステップを踏むべきだと主張しました。しかし、動燃は『再処理は確立された技術だ。安全審査も通っている』といって工程を優先させた」と振り返ります。
プラントはその後数々の不具合がみつかり、たびたび停止。大幅な修理を余儀なくされました。「余裕のない工程は、科学的・技術的な現実を見ない政治的な要求から出てきたものでした」と円道さんは強調します。
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再処理工場(茨城県東海村)での分析作業の様子(動力炉・核燃料開発事業団パンフレットから)
技術者を差別
安全問題に正面から取り組む人たちの排除は、人事・昇給差別を伴いました。上司から「現在の警察も戦前と同じく思想チェックがメーンだ」と脅しまがいの言葉で圧力をかけられたり、組合役員の結婚式に出ようとしただけで「君の将来は保証しかねる」といわれた人もいました。
円道さん自身それまでの仕事を外されます。安全問題の相談など組合員との接触をなくすため、仕事場の電話も取られました。「攻撃は家族に及び、“あの家の子とは遊ぶな”といわれ、社宅から引っ越しを余儀なくされました」と振り返ります。
労組も「健全な原子力開発の推進」を掲げ、労使協調へと変化していきました。
日本共産党の瀬崎博義衆院議員は80年11月、動燃で事故が相次ぐ問題を取り上げ、「技術者を思想信条で差別することが基本方針にあるからだ」と指摘。「研修目的は、日共の労組支配を完全に排除すること」とする監督者研修の感想文を示して異常な労務支配をやめるよう求めました。
「もんじゅ」は95年にナトリウム漏れ火災事故を起こします。1兆円を投じた事業は運転再開のメドもたっていません。97年には再処理工場で火災爆発事故を起こし批判をあび、2005年に動燃は日本原子力研究所と統合され日本原子力研究開発機構となりました。
日本原子力研究開発機構労組委員長の岩井孝さんは強調します。「福島原発の事故収束などますます研究者の果たすべき役割は大きい。多くの研究者は今度こそきちんと役割を発揮したいと思っています。その願いに応える体制を国民とともに求めていきたい」といいます。(おわり)
(第3部「差別と抑圧超えて」は藤原直、池田晋、松沼環が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年11月10日付掲載
本当の意味での「健全な原子力開発」に転換する時期に来ているのではないでしょうか。
基礎研究からやり直して行きましょう。実用化なんて、身の程知らずですヨ!
現在の科学技術では、原子力を安全にコントロールする技術を人類を持ち合わせていないのですから・・・
原子力発電をした後の廃棄物、放射能汚染物を無害化することは開発のメドすらたっていません。
それとも、遠く銀河系外のイスカンダルに助けを求めるのですか?
「宇宙戦艦ヤマト発進!」なんて(*^^)v
抑圧と差別は、核燃料サイクル計画を担う動力炉・核燃料開発事業団(動燃=1967年発足、現・日本原子力研究開発機構)では激しいものがありました。
核燃料サイクルは、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し燃料として使う計画。動燃は高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)などの開発を国家プロジェクトとして、10年を目標に達成するようスタートしました。
余裕ない工程
74年、動燃東海事業所の再処理工場(茨城県東海村)で試験運転中、下請け労働者が転落死亡。75年にはウランをプラント(処理施設)に流す試験を控えて労組が人員確保などとともに80カ所の改善提案をしましたが、これらを無視して動燃は試験を強行しました。
動燃労組委員長を務めた円道正三さん(68)は、「再処理は未確立で危険を伴うから安全を確認しながらステップを踏むべきだと主張しました。しかし、動燃は『再処理は確立された技術だ。安全審査も通っている』といって工程を優先させた」と振り返ります。
プラントはその後数々の不具合がみつかり、たびたび停止。大幅な修理を余儀なくされました。「余裕のない工程は、科学的・技術的な現実を見ない政治的な要求から出てきたものでした」と円道さんは強調します。
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再処理工場(茨城県東海村)での分析作業の様子(動力炉・核燃料開発事業団パンフレットから)
技術者を差別
安全問題に正面から取り組む人たちの排除は、人事・昇給差別を伴いました。上司から「現在の警察も戦前と同じく思想チェックがメーンだ」と脅しまがいの言葉で圧力をかけられたり、組合役員の結婚式に出ようとしただけで「君の将来は保証しかねる」といわれた人もいました。
円道さん自身それまでの仕事を外されます。安全問題の相談など組合員との接触をなくすため、仕事場の電話も取られました。「攻撃は家族に及び、“あの家の子とは遊ぶな”といわれ、社宅から引っ越しを余儀なくされました」と振り返ります。
労組も「健全な原子力開発の推進」を掲げ、労使協調へと変化していきました。
日本共産党の瀬崎博義衆院議員は80年11月、動燃で事故が相次ぐ問題を取り上げ、「技術者を思想信条で差別することが基本方針にあるからだ」と指摘。「研修目的は、日共の労組支配を完全に排除すること」とする監督者研修の感想文を示して異常な労務支配をやめるよう求めました。
「もんじゅ」は95年にナトリウム漏れ火災事故を起こします。1兆円を投じた事業は運転再開のメドもたっていません。97年には再処理工場で火災爆発事故を起こし批判をあび、2005年に動燃は日本原子力研究所と統合され日本原子力研究開発機構となりました。
日本原子力研究開発機構労組委員長の岩井孝さんは強調します。「福島原発の事故収束などますます研究者の果たすべき役割は大きい。多くの研究者は今度こそきちんと役割を発揮したいと思っています。その願いに応える体制を国民とともに求めていきたい」といいます。(おわり)
(第3部「差別と抑圧超えて」は藤原直、池田晋、松沼環が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年11月10日付掲載
本当の意味での「健全な原子力開発」に転換する時期に来ているのではないでしょうか。
基礎研究からやり直して行きましょう。実用化なんて、身の程知らずですヨ!
現在の科学技術では、原子力を安全にコントロールする技術を人類を持ち合わせていないのですから・・・
原子力発電をした後の廃棄物、放射能汚染物を無害化することは開発のメドすらたっていません。
それとも、遠く銀河系外のイスカンダルに助けを求めるのですか?
「宇宙戦艦ヤマト発進!」なんて(*^^)v