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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

この人に聞きたい 竹下景子 第5回 国連世界食糧計画の大使10年 「給食楽しかったです」ルワンダ青年に胸熱く

2021-07-24 07:48:03 | 赤旗記事特集
この人に聞きたい 竹下景子 第5回 国連世界食糧計画の大使10年 「給食楽しかったです」ルワンダ青年に胸熱く
〈竹下さんは、2010年から国連世界食糧計画(WFP)の日本窓口、国連WFP協会の親善大使を務めています。昨年、WFPはノーベル平和賞を受賞しました〉
これまでセネガル、フィリピン、スリランカ、スーダン、ルワンダを視察しました。ノーベル平和賞受賞は、大使就任10周年の節目でもあったので、感慨深かったですね。
WFPの一番の目的は、自然災害や紛争などで飢餓に陥った地域に、緊急に物資を届けることです。それが復興の段階になると、荒れた土地を改良して農業を発展させるといった経済的自立につながる支援に変わります。
母子栄養支援と学校給食支援もあります。19年に訪れたルワンダでは、給食支援を受けて育った高校3年生と20歳の青年に会うことができました。2人とも将来への夢をしっかりと持っていて「学校給食は楽しかった思い出です」と話してくれました。支援の成果を実感した瞬間でうれしかったですね。
〈竹下さんが思い出すのは、子どもの頃の学校給食です〉
私たちは、学校給食の脱脂粉乳を飲んだ世代です。それが国連からの支援だったということは、おとなになって知りました。
まずくて鼻をつまんで飲んでいました。だけど、その脱脂粉乳で私たちは育ったのだと思うと、命に直結する支援だったのだな、と。当時の日本には、栄養不良の子どもたちが、まだいっぱいいましたからね。
今はコロナ禍で寄付も減り、大変厳しい状況です。一方、紛争はなくならず、難民は増加傾向にあります。途上国に学校給食を届ける「レッドカップキャンペーン」の参加企業の商品を買うだけでも支援になります。ぜひ多くの方に、ご協力いただけたらと思います。



2019年7月ルワンダ視察(国連WFP協会提供)©Mayumi Rui

「憲法生かそう」
〈憲法への思いも特別なものがあります〉
時の政府に都合のいいように憲法を変えようという動きは、危機に乗じてたびたび出てきます。今回はコロナパンデミック(世界的大流行)に乗じて「また来たな」という感じです。
ご近所で親しくさせていただいていた作家の半藤一利先生は、この憲法をせめて100年「生かそう」と、ずっとおっしゃっていました。100年持ちこたえれば、その存在意義に価値を見いだしてくれる国が増えるはずだ、と。世の中がきな臭くなる中で、東京大空襲で「命拾い」した先生としては、言わずにはいられなかったんだと思います。

戦争経験した父
〈戦争を体験した父にも思いをはせます〉
父は長崎の貧しい農家の次男坊だったので、満州(中国東北部)に夢を託し、名古屋高等商業学校(現名古屋大学)に進学した後、満州の官吏養成学校に入りました。そこで現地の人たちに農業指導をしていたようです。
もとをただせば、満州国は日本の侵略による傀儡(かいらい)政権です。でも父のような立場の人間は、純粋に民族の壁を越えた新しい国家ができると考えたのでしょう。現地の人との交流も深まって、お見合い話まであったそうです。
軍隊に召集されて、戦後は3年間シベリアに抑留されました。父がいたイルクーツク地区の第一収容所は暖房設備が備わり、比較的恵まれていました。それでも最初の冬は、たくさんの方が寒さと栄養失調で亡くなったそうです。
帰国後は「あいつはアカだから」と、なかなか就職できませんでした。やっと税務署の徴収課に入ったものの、無理やり取り立てることに疑問を感じた父は、公務員を辞めて39歳で弁護士になりました。
専門は税務訴訟です。国が相手なので、連戦連敗。国選弁護を引き受けることも多かったですね。父はそれもよし、としていたようです。子どもだった私には「弱い人の味方をするのが弁護士なんだ」と話していました。
〈竹下さんは、俳優になってまもなく半世紀になります〉
気がつけば周りにすてきな方たちがいて、のびのびと育てていただきました。夫にも「お母さんは運がいいね」とよく言われます。
ただ演技はこれでいいと思ったことはありません。登山のようなもので、頂上に近づいたと思ったら、またちょっと遠のいていく。永遠に答えはないのかもしれません。
ここ数年は、演じることは自分自身を追求することなのかもしれない、と思うようになりました。演じる上での方程式が私の中にあるわけではないので「私自身はそれをどう感じるのだろう」と思いながら演じています。自分は何者なのか。この年になっても、わからないですね。新しい台本に出合うたび、新しい自分に出会えるような気がします。(おわり)

「しんぶん赤旗」日曜版 2021年7月11日付掲載


戦後の学校給食の脱脂粉乳も国連からの支援。
国連世界食糧計画の大使10年の竹下景子さん。ノーベル平和賞受賞に感慨深いものが。
父の事。帰国後、やっと税務署の徴収課に入ったものの、無理やり取り立てることに疑問を感じた父は、公務員を辞めて39歳で弁護士になりました。
専門は税務訴訟です。国が相手なので、連戦連敗。国選弁護を引き受けることも多かった。父はそれもよし、としていたようです。子どもだった私には「弱い人の味方をするのが弁護士なんだ」と話していたと。
俳優になってもうすぐ半世紀。ここ数年は、演じることは自分自身を追求することなのかもしれない、と思うようになりました。演じる上での方程式が私の中にあるわけではないので「私自身はそれをどう感じるのだろう」と思いながら演じていると。


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