非核「神戸方式」が3月18日で35周年を迎えました。
3月20日、神戸市内で35周年記念集会が開かれました。
核密約問題の第一人者の一人、不破哲三さんが記念講演をしました。
核兵器持ち込みの「密約」問題の調査は民主党政権の公約でした。昨年の政権発足当時、日本共産党が独自に入手したアメリカの解禁文書を民主党の岡田さんに渡していました。
その調査結果が「有識者会議」なるものから発表されたのですが、①「密約文書」そのものの存在は認める。②しかし、アメリカと日本との認識の違いがあって、「核兵器持ち込みの合意」はなかった。アメリカが勝手にもちこんでいた。③1991年以降、海上艦船に核兵器を積載しないように方針転換しているので、「核密約」は過去の問題になっている。
と言うもの。
しかし、「核密約(討論記録)」の原文を素直に読むと、「核兵器を積載した戦闘機の飛来や艦船の立ち入り(エントリー)はOKですよ」「その戦闘機や艦船が、移動するばあい(たとえばイラクやアブガンに行く場合ですね)もOKですよ」ってことです。
これって、完全に日本が戦争の出撃基地、核攻撃の基地にされるっことですよね。
不破さんは、旧安保条約時のアメリカが好き勝手に基地を使っていた時期。新安保後、表向きは対等平等になった後の「核密約」の時期。その後、その密約の範囲すら超えて、原子力空母の母港化された時期など、リアルな資料をもとに説明してくれました。
その中で、非核「神戸方式」は35年間も、神戸港へのアメリカ艦船の入港を阻んできていますし、国レベルで非核化をしているニュージランドやアメリカの基地をなくしたフィリピンの運動を励ましているとの事。
その重要性を語りました。
【不破さんの講演(音声)】クリックするとMediaPlayerで再生します。
【日米核密約「討論記録」 全文】
核兵器持ち込みの日米密約である「討論記録」の全文は次の通りです。
1、(日米安保)条約第6条の実施に関する交換公文案に言及された。その実効的内容は、次の通りである。
「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更ならびに日本国からおこなわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く)のための基地としての日本国内の施設および区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする」
2、同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された。
A 「装備における重要な変更」は、核兵器および中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)ならびにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それに当たらない。
B 「条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。
C 「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。
D 交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されない。
(注)2000年に日本共産党の不破哲三委員長(当時)が米政府解禁文書から入手した「討論記録」の訳。これは、外務省の調査で見つかったものと「修辞的な部分を除いて同じ」(同省調査報告書)ものです。
集会は午後1時開場、2時開会だったのですが、午後1時にはずら~~っと行列ができていました。
入場の行列_01
500人の会場ですが、1000人以上の人がやってきて、700用意した資料がすべてなくなったそうです。
会場に入れなかった人がロビーで聞きました。300人近くの方は仕方なく帰ってもらったそうです。
不破さんの講演だけあって、ものすごい人気だったのですね!
開会前に、青年のパーフォーマンスがありました。バトンですね。
青年のアトラクション_04
青年のアトラクション_05
海外から来られた来賓のかたのメッセージです。ニュージーランドの方。バニー・リチャーズ
01_ニュージーランド来賓
フィリピンの方。コラソン・ファブロスさん
01_フィリピン来賓
不破さん講演のあと、5月のNPT再検討会議に兵庫県代表として出席するメンバーが壇上にあがりました。
02_NPT会議代表団_01
02_NPT会議代表団_03
参加者には高校生もいます!
02_NPT会議代表団_04
02_NPT会議代表団_05
最後に、集会アピールを拍手で確認しました。
02_アピール採択
記念講演「非核の日本、非核の世界」(レジメ)
講師 不破哲三
1、核密約問題が「非核の日本」への焦点となっている
核密約調査―政府とメディアの議論と混迷を整理すると
核密約の廃棄は、「非核の日本」への避けて通れない関門
2、日米安保条約と核密約
★事前協議と核兵器の問題は60年安保改定交渉の最大の焦点だった
★核密約の締結の経過と内容
★締結した核密約に対する位置づけ
~アメリカの態度と日本の態度を比較すると
3、核密約下の日米関係史
イ、1963年の政府間危機
ケネディ御前会議とライシャワー=大平会談
ロ、とめどなく広がる拡大解釈
1969年・「非核三原則」のもとでの第2の核密約
1973年・密約をもこえた暴挙―核艦船の「母港」受け入れ
ハ、2000年・米国側の密約公開の年の国会討論
4、日本の「非核」化の正念場は公開後の路線選択にある
イ、数々の核密約弁護論
その1・協定などなかった
その2・最初から日米の解釈は違っていた
その3・過去の問題で、現在は意味を失った
ロ、被爆国日本がとるべき道は、核密約廃棄以外にない
「核抑止論」のごまかし―日本の核基地はどんな役割を果たしてきたか
核密約を廃棄してこそ、「非核の日本」を実現できる
ハ、「非核の世界」めざし、被爆国の声をいまこそ
ニ、非核「神戸方式」が輝きを増す時代
【核密約廃棄し「非核日本」へ 神戸方式35周年のつどいで不破氏が講演(「しんぶん赤旗」日刊紙2010.3.21)】
3月20日、神戸市内で35周年記念集会が開かれました。
核密約問題の第一人者の一人、不破哲三さんが記念講演をしました。
核兵器持ち込みの「密約」問題の調査は民主党政権の公約でした。昨年の政権発足当時、日本共産党が独自に入手したアメリカの解禁文書を民主党の岡田さんに渡していました。
その調査結果が「有識者会議」なるものから発表されたのですが、①「密約文書」そのものの存在は認める。②しかし、アメリカと日本との認識の違いがあって、「核兵器持ち込みの合意」はなかった。アメリカが勝手にもちこんでいた。③1991年以降、海上艦船に核兵器を積載しないように方針転換しているので、「核密約」は過去の問題になっている。
と言うもの。
しかし、「核密約(討論記録)」の原文を素直に読むと、「核兵器を積載した戦闘機の飛来や艦船の立ち入り(エントリー)はOKですよ」「その戦闘機や艦船が、移動するばあい(たとえばイラクやアブガンに行く場合ですね)もOKですよ」ってことです。
これって、完全に日本が戦争の出撃基地、核攻撃の基地にされるっことですよね。
不破さんは、旧安保条約時のアメリカが好き勝手に基地を使っていた時期。新安保後、表向きは対等平等になった後の「核密約」の時期。その後、その密約の範囲すら超えて、原子力空母の母港化された時期など、リアルな資料をもとに説明してくれました。
その中で、非核「神戸方式」は35年間も、神戸港へのアメリカ艦船の入港を阻んできていますし、国レベルで非核化をしているニュージランドやアメリカの基地をなくしたフィリピンの運動を励ましているとの事。
その重要性を語りました。
【不破さんの講演(音声)】クリックするとMediaPlayerで再生します。
【日米核密約「討論記録」 全文】
核兵器持ち込みの日米密約である「討論記録」の全文は次の通りです。
1、(日米安保)条約第6条の実施に関する交換公文案に言及された。その実効的内容は、次の通りである。
「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更ならびに日本国からおこなわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く)のための基地としての日本国内の施設および区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする」
2、同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された。
A 「装備における重要な変更」は、核兵器および中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)ならびにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それに当たらない。
B 「条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。
C 「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。
D 交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されない。
(注)2000年に日本共産党の不破哲三委員長(当時)が米政府解禁文書から入手した「討論記録」の訳。これは、外務省の調査で見つかったものと「修辞的な部分を除いて同じ」(同省調査報告書)ものです。
集会は午後1時開場、2時開会だったのですが、午後1時にはずら~~っと行列ができていました。
入場の行列_01
500人の会場ですが、1000人以上の人がやってきて、700用意した資料がすべてなくなったそうです。
会場に入れなかった人がロビーで聞きました。300人近くの方は仕方なく帰ってもらったそうです。
不破さんの講演だけあって、ものすごい人気だったのですね!
開会前に、青年のパーフォーマンスがありました。バトンですね。
青年のアトラクション_04
青年のアトラクション_05
海外から来られた来賓のかたのメッセージです。ニュージーランドの方。バニー・リチャーズ
01_ニュージーランド来賓
フィリピンの方。コラソン・ファブロスさん
01_フィリピン来賓
不破さん講演のあと、5月のNPT再検討会議に兵庫県代表として出席するメンバーが壇上にあがりました。
02_NPT会議代表団_01
02_NPT会議代表団_03
参加者には高校生もいます!
02_NPT会議代表団_04
02_NPT会議代表団_05
最後に、集会アピールを拍手で確認しました。
02_アピール採択
記念講演「非核の日本、非核の世界」(レジメ)
講師 不破哲三
1、核密約問題が「非核の日本」への焦点となっている
核密約調査―政府とメディアの議論と混迷を整理すると
核密約の廃棄は、「非核の日本」への避けて通れない関門
2、日米安保条約と核密約
★事前協議と核兵器の問題は60年安保改定交渉の最大の焦点だった
★核密約の締結の経過と内容
★締結した核密約に対する位置づけ
~アメリカの態度と日本の態度を比較すると
3、核密約下の日米関係史
イ、1963年の政府間危機
ケネディ御前会議とライシャワー=大平会談
ロ、とめどなく広がる拡大解釈
1969年・「非核三原則」のもとでの第2の核密約
1973年・密約をもこえた暴挙―核艦船の「母港」受け入れ
ハ、2000年・米国側の密約公開の年の国会討論
4、日本の「非核」化の正念場は公開後の路線選択にある
イ、数々の核密約弁護論
その1・協定などなかった
その2・最初から日米の解釈は違っていた
その3・過去の問題で、現在は意味を失った
ロ、被爆国日本がとるべき道は、核密約廃棄以外にない
「核抑止論」のごまかし―日本の核基地はどんな役割を果たしてきたか
核密約を廃棄してこそ、「非核の日本」を実現できる
ハ、「非核の世界」めざし、被爆国の声をいまこそ
ニ、非核「神戸方式」が輝きを増す時代
【核密約廃棄し「非核日本」へ 神戸方式35周年のつどいで不破氏が講演(「しんぶん赤旗」日刊紙2010.3.21)】
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