きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

米国従属経済 金融③ 「プラザ」後の異常円高

2012-09-23 14:10:19 | 経済・産業・中小企業対策など
米国従属経済 金融③ 「プラザ」後の異常円高

日米円ドル委員会が決めた日本の金融自由化や円の国際化はドル高の是正に役立たず、米国の貿易赤字は拡大しました。そこで米国は主要国が協調して直接、ドル売りの市場介入をする戦略を立てました。1985年9月22日のプラザ合意です。これが異常円高を生み、日本に「産業空洞化」をもたらしました。
「プラザ」後のゆきすぎた金融緩和は日本経済にバブル状態をもたらし、バブル崩壊後、今に至るまで停滞が続きます。



ジェトロの統計資料から作成

従順な国日本
ワシントンのプラザ・ホテルで開かれた蔵椙・財務相と中央銀行総裁の会合には日米のほかドイツ、英国、フランスが参加しました。合意文書は「主要非ドル通貨の対ドル・レートのある程度のいっそう秩序ある上昇が望ましい」という表現で、各国の協調市場介入を取り決めました。
準備段階で欧州3力国は声明文で介入を明記することを渋りましたが、日本は米国と連携して介入に積極的な態度をとりました。
米連邦準備制度理事会議長としてプラザ会議に出席したポール・ポルカー氏は自著『富の興亡』で「会合で私が最も驚いたのは、その後総理大臣になった日本の竹下登大蔵大臣が円の10%以上の上昇を許容すると自発的に申し出たことである」と日本の従順ぶりを回想しています。
各国は合意後ただちに市場介入を開始。介入は3カ月に及びました。合意前、1ドル=240円程度だった為替椙場は9月末に216円、翌年1月には200円を突破しました。円高はその後も止まらず、86年5月に開かれた東京サミット時には172円台、87年12月には122円をつけました。



外国為替取引の大手ブローカー、トウキョウフォレックス上田ハーロー=東京都中央区

海外進出図る
異常な円高で日本の中小企業は深刻な打撃を受けました。当時、輸出関連の中小企業が採算点としていたのは1ドル=200~220円です。中小企業庁が行った「輸出型産地への円高影響調査」(86年6月)にょると、輸出比率20%以上の55の産地すべてで新規成約価格の引き下げや受注減が起きました。円高関連倒産(負債総額1000万円以上)件数は85年11月~86年10月の12カ月間で495件。月平均15件程度だった70年代末と比べると、3倍近くに増えました。
異常円高に直面して大企業はいっせいに海外進出に走りました。日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、日本の対外直接投資は1985年以降、5年間で件数で2・5倍、金額で5・5倍に急増しました。
製造業の海外生産比率は85年の3%から90年には6・4%に倍増しました。特に自動車など輸送機械は85年の5・6%から90年に12・6%、95年に20・6%と急増しました。
大企業の急激な海外進出は国内から雇用を奪いました。大手製造企業の海外進出は下請け企業の海外移転を促しましたが、2次、3次下請け以下の海外進出には限界があり、中小企業に新たな困難をもたらしました。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年9月20日付掲載


円高は日本の大企業の海外進出を助けることになったのですね。企業の海外進出によって日本の産業空洞化が起こっても、自らの儲けを確保できたら、「あとは野となれ山となれ」なのですね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿