きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

秩父事件を歩く④ 椋神社境内の顕彰碑

2017-10-28 19:19:38 | 赤旗記事特集
秩父事件を歩く④ 椋神社境内の顕彰碑
ツルシ カズヒコ

4月初旬。困民党総理・田代栄助が事件後、一時、身を隠していた武甲山(ぶこうさん)の山頂にはうっすらと冠雪があります。新井健二郎さん案内の秩父事件の史跡取材は、秩父市の音楽寺から下吉田の椋(むく)神社へ移動。
明治政府が進めるデフレ政策下、生糸価格の大暴落により困窮を極めた農民3000余名が椋神社に集結し、自由党員を中心に困民党を結成、蜂起したのは―
境内に立つ「秩父事件百年の碑」には、困民党が掲げた要求「負債据置年賦償還、村費軽減、小学校休校、雑収税減免の他、徴兵令改正等」が刻まれています。その再三の請願も却下され、憲法もなく世の中を変革する手段としての選挙もない、当時の民衆の生きるためのやむにやまれぬ蜂起でしたが、軍律で略奪や女性への乱暴などを厳しく禁じていました。
秩父事件顕彰運動の画期となったのは、1972年10月、吉田町で開催された「秩父事件88周年記念集会」でした。参加者500余名、県知事のメッセージが寄せられ、死刑執行された田代栄助や加藤織平(困民党副総理)の孫など事件遺族も参加。この集会で新井さんは地元町議として自ら起草した決議文を読み上げ「100周年には記念碑を建立しよう」ました。



秩父市下吉田の椋神社境内に立つ「秩父事件百年の碑」と新井さん(2017年4月)

100周年が数年後と迫ったころ。新井さんは町議会の一般質問で、秩父事件について記述した小中学校の社会科教科書を開いて見せながら、熱弁をふるいました。
「秩父事件は自由民権運動の一環で、それは全国の子どもたちにとって今や常識です。地元がいまだに暴動視していたら、全世界に恥をさらすことになります。歴史的な事実を知り認識を改め、先祖たちの名誉を回復し、誇り高く町の歴史を語れるように、町のリーダーであるみなさんが率先して取り組まねばなりません」
吉田町議は20人、共産党議員は新井さんひとり。新井さんの獅子奮迅の活動などが奏功し、記念碑を建てる場所は、椋神社と氏子と町行政の協議で同社の境内に決定。それまでにも事件に関わった遺族から同社境内に追悼碑をという要望はありましたが、氏子や神社側から拒絶され歯牙にもかけられませんでした。
篠田健一さん(現・秩父事件研究顕彰協議会会長)は「秩父事件百年の碑」について「あの碑は新井健二郎さんのたたかいを顕彰する碑でもあります」と語っています。
(編集者・ライター)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年10月25日付掲載


秩父事件は自由民権運動の一環で、それは全国の子どもたちにとって今や常識です。地元がいまだに暴動視していたら、全世界に恥をさらすことになる。
正論を吐いて、町をあげての顕彰碑建立になったのですね。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秩父事件を歩く③ 勇気りんり... | トップ | 21年ぶり 自民独占崩す ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

赤旗記事特集」カテゴリの最新記事