内的自己対話-川の畔のささめごと

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生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(二十五)

2014-06-20 05:00:00 | 哲学

2. 2 習慣と歴史的生命の世界(5)

習慣は次第に実体的観念となる。習慣によつて反省にとつて代る不明瞭な知性、そこでは客観と主観とが合一してゐるこの直接的知性は、実在的なるものと観念的なるものと即ち存在と思惟とがその中で合一してゐるところの、実在的直観である(邦訳四六-四七頁)。

L’habitude est de plus en plus une idée substantielle. L’intelligence obscure qui succède par l’habitude à la réflexion, cette intelligence immédiate où l’objet et le sujet sont confondus, c’est une intuition réelle, où se confondent le réel et l’idéal, l’être et la pensée (Ravaisson, op. cit., p. 136).

 この一節を明示的に参照しながら、西田は、このように定義された実在的直観(或は現実的直観)からも、自身の哲学固有の根本概念の一つである行為的直観を理解することができるだろうと言っている(全集第十巻二九〇-二九一頁)。実在的直観は、意識の発達の極限点であり、現実の全体的な知解として、習慣的な身体運動によって具体化される。この運動は、作るものの活動と作られたものとの生ける統一、つまり歴史的現実の矛盾的自己同一を現実的に構成するものである。意識の生命の只中で習慣によって実現された素質(disposition)において、知識と行動は合一する。
 ところが、西田とラヴェッソンとが最も接近する、まさにこの場所で、両者の間の差異もはっきりと見て取れるのである。一旦は実在的直観を行為的直観と同定しておきながら、西田は、意識の生成の起源にも知性と行動との同一性を見出そうとする。ところが、ラヴェッソンにおいては、この同一性は、意識の発達の極限点においてのみ見出されるものなのである。

これ[=直接的知性、すなわち実在的直観]は意識発展の極地に於て現れるものであるばかりでなく、実は意識発生の根源にあるものであるのである。何となれば、歴史的世界は、作られたものから作るものへと、習慣的に自己形成的であり、我々の意識も此から出て来るものなるが故である(全集第十巻二九一頁)。

 この一節を読むと、意識の生成と発達という問題に関して、西田が、ラヴェッソンの実在的直観に対して、行為的直観はそれをその内に包摂しうるより包括的な概念であると考えていることがわかる。しかし、行為的直観と実在的直観との差異は、それだけに尽きるものではない。生命の進化の全過程を内的かつ動的に把握し直そうという共通する全体的理解への情熱がラヴェッソンと西田それぞれに取らせた探究の方向性の違いもまた、そこによく示されているのである。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(二十四)

2014-06-19 00:00:00 | 哲学

2. 2 習慣と歴史的生命の世界(4)

 ラヴェッソンと西田との間の第三の交叉点は、前者の「現実的直観」(« intuition réelle »、野田訳では「実在的直観」)と後者の「行為的直観」との間の照応関係である。「最も自由な活動性といふ完成せる形式」である意識において、「はたらくものとはたらきを見るものとは同一の存在者である、といふよりは、はたらきとはたらきを見ることとは合一してゐるのである」(« c’est le même être qui agit et qui voit l’acte, ou plutôt l’acte et la vue de l’acte se confondent. L’auteur, le drame, l’acteur, le spectateur, ne font qu’un », Ravaisson, op. cit., p. 119. 邦訳二五頁)。このラヴェッソンのテーゼは、そこに何らの修正を加えることなしに、「見る」ことと「働く」こととの実効的統一性からなる行為的直観の定義として適用することができる(この行為的直観における「見る」ことと「働く」こととの関係については、本稿第四章第一節第一項「行為的直観の世界における身体の両義性」(四月一五日から一八日までの記事)を参照されたい)。実際、西田は、内的統覚によって把握された行為的直観の適切な説明の一つを、ラヴェッソンによる「直接的知性」(« intelligence immédiate »)の中に見出している。この直接的知性は、習慣の形成発展過程において反省を引き継ぐものとして現勢化される。

反対者の間の距離を経巡り且つ量るところの反省に次第に取つて代るものは、相対立するものの中間者、いひかへれば、思惟の主観と客観都の分離の存しない直接的知性である(邦訳四六頁)。

A la réflexion qui parcourt et qui mesure les distances des contraires, les milieux des oppositions, une intelligence immédiate succède par degré, où rien ne sépare le sujet et l’objet de la pensée (ibid., p. 136).

反省及び意志に於ては、運動の目的は、一つの観念、即ち完成すべき一理想である、存在すべくまた存在し得、しかも未だ存在せざる何ものかである。それは、実現すべき一つの可能性である(同頁)。

Dans la réflexion et la volonté, la fin du mouvement est une idée, un idéal à accomplir, quelque chose qui doit être, qui peut être, et qui n’est pas encore. C’est une possibilité à réaliser (ibid.).

 したがって、目的と運動との間には距離がある。ところが、習慣の形成発展過程において、目的を目指す意志が、この目的を実現することができる有機的傾向に取って代わられていくにつれて、つまり「目的が運動と、運動が傾向と合一するに従つて」(ibid. 同頁)、「観念は存在となる。観念はそれの決定する運動及び傾向の存在自体且つ全体となるのである」(« l’idée devient être, l’être même et tout être du mouvement et de la tendance qu’elle détermine », ibid. 同頁)。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(二十三)

2014-06-18 00:30:00 | 哲学

2. 2 習慣と歴史的生命の世界(3)

 西田とラヴェッソンとは、その哲学的発想において、どのような点で交叉するのだろうか。以下、特に注目すべきと思われる三つの交叉点を取り上げる。
 第一の交叉点は、生命の始まりに関するテーゼにおいて見出される。ラヴェッソンによれば、生命は、「時間に於ける継起的統一」(« unité successive dans le temps », Ravaisson, De l’habitude, PUF, 1999, p. 110. 邦訳十二-十三頁)である。この統一は「有機組織」(organisation)に他ならず、この有機組織は、「空間に於ける異質的統一」(« unité hétérogène dans l’espace », ibid. 邦訳十二頁)である。そして、「継起と異質性とともに、個性〔不可分割性〕が始まる」(« avec la succession et l’hétérogénéité, l’individualité commence. », ibid. 邦訳十三頁)。「生命とともに個性が始まる。故に、生命の一般的特質は、世界の真中に、一にして不可分な独立の一世界を形成するといふことである」(« Avec la vie commence l’individualité. Le caractère général de la vie, c’est donc qu’au milieu du monde elle forme un monde à part, un et indivisible. », ibid. 同頁)。ラヴェッソンの生命に関するこれらの一般的テーゼに対して、西田は、自身の自己形成的世界の論理に従いながら、それ固有の術語を用いつつ、独自の解釈を与える。

個性的生命が成立すると云ふことは、論理的には、時間空間の矛盾的自己同一的に、世界が自己の中に自己表現的要素を含むと云ふことに他ならない。習慣とは、かゝる世界の自己限定として、形が形自身を形成する、形の自己形成作用に他ならない(全集第十巻二八三頁)。

 ラヴェッソンの習慣を、個別的生命の生成とともに現れる自己形成作用と同定することで、西田は、習慣を自己形成的な歴史的生命の世界の只中での自己形成の原理として位置づけているのである。
 第二の交叉点は、ラヴェッソンによって『習慣論』の冒頭で以下のように規定する「素質」という概念に関して見出される。「習慣は、己がその結果であるところの変化を超えて、存続する」(« l’habitude subsiste au-delà du changement dont elle est le résultat. », ibid., p. 105-106. ここは野田訳を取らず、私訳した)。「習慣は、もはや無く未だ無いところの変化の為に、即ち可能的変化の為に、存続する。[…]それ故習慣は、単に状態であるのみならず、素質であり能力である」(« l’habitude subsiste pour un changement qui n’est plus et qui n’est pas encore, pour un changement possible. […] Ce n’est donc pas seulement un état, mais une disposition, une vertu. », ibid., p. 106. 邦訳七-八頁)。習慣とは、つまり、或る一定の秩序の下に諸事物を配置し、その配置を保持する作用からなっている。習慣は、己が生まれた世界の中に、或る一定期間存続する形の新しい配置を世界に与える能力なのである。この恒常的な形成能力は、人間の意識において十全に働く。この人間の意識においてのみ、私たちは、「習慣の範型」(« le type de l’habitude », ibid., p. 119. 邦訳二五頁)を見出すことができる。

元来機械的世界の宿命性から出て来た存在者が、機械的世界の内部に於て、最も自由な活動性といふ完成せる形式の下に、姿を現はす。然るに、この存在者こそ我々自身である。こゝに意識が始まり、意識の中に知性と意志とが輝き出るのである(邦訳二四-二五頁)。

L’être, sorti, à l’origine, de la fatalité du monde mécanique, se manifeste, dans le monde mécanique, sous la forme accomplie de la plus libre activité. Or, cet être, c’est nous-mêmes. Ici commence la conscience, et dans la conscience éclatent l’intelligence et la volonté (ibid.).

 意識は、優れた意味において、「素質」(原語 disposition には、「配置」「意向」「措置」「使用」「自由に利用・処理できること」等の意味もあり、「素質」という訳語だけではその多義性を十分に表せていない憾みがある)である。それは、意識において、世界の可変的・可動的「舞台装置」がそれとして把握されるということである。逆に言えば、この世界の舞台装置が世界自身にそれとして現れる場所、それが意識だということである。
 この場所を、西田は、「場所的有」と呼ぶ(全集第十巻二八五頁)。この場所的有は、その本性や属性との関係において限定される実体的存在に対立する。歴史的世界は、それ自体で自己同一的な実体的存在から成っているのではない。歴史的世界は、超越的・形而上学的な如何なる根拠もなしに、素質としての意識的存在を介して、変化していく。この意識的存在は、作られたものから作るものへと、己自身に特有で、自己形成的・可変的な形を己に与えながら、絶えず動いている。意識的生命は、私たちの中で素質として生きられ、それゆえに、歴史的世界が己の内に己自身を可塑的なものとして表現する無数の中心となる。
 厳密な意味での一個人は、意識とともに始まる。意識は、世界における或る秩序の中での形の自己形成の表現に他ならない。世界の中で、一個人は、身体として自己形成する場所的有として現れる。このように定義された意識的生命においては、つまり優れた意味での人間的生命においては、一個の存在は己自身に具体的な形の下に現れ、そのようにして、その個別的存在において、「世界が自覚するのである」(全集第十巻二八六頁)。私たち個別存在において形成された習慣は、私たちの意識において直接的に把握され、世界を形成する一つの出来事となる。この出来事が、自己形成的な世界の空間・時間的に限定された自発的な自己形成に他ならない。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(二十二)

2014-06-17 00:00:00 | 哲学

2. 2 習慣と歴史的生命の世界(2)

 西田は、ラヴェッソンと「理解への情熱」を共有している。ここで言う「理解」とは、己が表現する目的性によって効力を有つようになる一つの統一性の中に多様性をその全体として捉えることである。それは、一つの意味作用の中に、理解の全対象と理解する意志を有つ己とを融合させることであると言い換えることもできる。この意味で、理解とは、全体的・直接的把握であり、理解するものと理解されるべき諸対象との間に有る本性的な類縁性を前提とする(ここでの「理解」の定義は、Ravaisson, De l’habitude, Métaphysique et morale, Paris, PUF, 1999 の冒頭に据えられた Jacques BILLARD による懇切丁寧な百頁を超える « Introduction »(pp. 1-103) に依拠している)。
 西田は、ラヴェッソンの習慣概念の中に、世界全体の統一性とその再構成とを可能にする根本原理を見ている。これから、私たちは、西田がいかに自身の歴史的生命の論理の中にラヴェッソンの習慣論を取り込もうとしたかを見ていく。このラヴェッソンの習慣論は、その独創性と特異性においてフランス近代哲学史において際立つ『習慣論』の中に極めて凝縮された形で提示されている(ラヴェッソンの『習慣論』については、このブログを始めて間もない昨年六月四日五日に連続して取り上げている)。
 習慣は、その最も広い意味において、「一般的且つ恒常的な存在の仕方、即ち或はその諸要素の全体に亙って或はその諸時期の継起を通じて観られた一存在者の状態」(« la manière d’être générale et permanente, l’état d’une existence considérée, soit dans l’ensemble de ses éléments, soit dans la succession de ses époques », ibid., p. 105. 邦訳は、原則として、岩波文庫野田又夫訳を新字新仮名遣いに改めて引用)である。習慣は、「世界の統一性がそこから「類推」によって考えられるようになるモデル」である(« Introduction » par Jacques Billard, op. cit., p. 55)。習慣の問題は、「自然の全体」(ibid., p. 71)において問われる。習慣は、「不活性な物質から最も純粋な思想に至るまでの全体の統一性」(ibid., p. 55)を意味している。それと同時に、習慣は、「その統一性へと至る方途」(ibid.)でもある。この再び見いだされるべき統一性は、「或る実体の存在の中に、それが物質であれ観念であれ、在るのではなく、本質の中に在るのでもない。それは、形を与えるばかりでなく、その形を維持し、その形を壊そうとするものに抵抗することをそれ固有の働きとする形の力動性の裡に在る」(ibid.)。
 この〈形〉の思想において、ラヴェッソが西田と極めて近い発想を持っていることがわかる。このような発想の西欧における直接的な源泉の一つは、十八世紀末のドイツロマン主義に見出すことができる。「この時代の統一性は、二つの因子の組み合わせに由来すると思われる。一つは、自然をもはや「被造物」という従属的な位階に貶めることなく、自然界の自律性をそれとして認めることで、神学のであった哲学にその独立性を取り戻させようという欲求であり、一つは、詩と哲学との再統一を通じて、万有を包括する全体性、絶対的なものそのものを考え、表現するのにまさに相応しい仕方を見出すという企図である」(Françoise DASTUR, Hölderlin, Le retournement natal, La Versanne, collection « encre marine », 1re édition, 1997, p. 100 ; 2ème édition, 2013, p. 89-90)。このドイツロマン主義の潮流を代表する詩人、文学者、哲学者たちは、生物学的意味での生命と精神的生命とを統一的・包括的に捉えようとする。その一人である詩人ヘルダーリンの作品の中に、西田の生命の思想との親近性が認められることは、西田哲学を西欧近代思想史の系譜に対して位置づけるための一つの重要な指標になる。ヘルダーリンは、全体性を「生ける時間的な全体性として考え、その全体性は己の内に内的差異化過程を統合している」と考える(ibid.)。「思想と表現とに、死せる抽象的な全体性ではなく、[…]生ける全体性をもたらすことを望んでいた」のである(ibid.)。
 ヘルダーリンの親友であり、同じ精神的気圏の中で青年期を送ったシェリングの講義を聴講したことがあるおそらく唯一のフランスン人哲学者であるラヴェッソンが、ゲーテ、シラー、ノヴァーリス、シュレーゲル兄弟、ヘーゲルとこの二人などが共有していたその時代の思想的課題である全体性と絶対性の問題を己の哲学的課題とすることで、ドイツロマン主義との親近性を有っていたこと(それゆえにフランス国内では激しく批判されもした)が、同じくドイツロマン主義に親炙していた西田がラヴェッソンの発想に強く惹かれた理由の一つであろう。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(二十一)

2014-06-16 00:00:00 | 哲学

2. 2 習慣と歴史的生命の世界(1)

 西田は、しかし、複数の異なった社会からなる歴史的現実の世界に対する個人の関係に関して、自身の生命論が抱えている理論的欠陥にまったく気づいていなかったわけではない。この問題に解決を与えようとする、つまり、生命の論理と社会の論理との間の媒介項の導入を可能にする論理を確立しようとする西田の最後の努力を、未完に終わった論文「生命」の最後の十数頁の中に見出すことができる。そこで、西田は、ラヴェッソンの『習慣論』の忠実かつかなり詳細な解説を行なっているが、それは、自身の生命論の中で種をめぐる問題について不可避的に発生する理論的困難を克服する一つの方途を、フランス近代哲学史の中で異彩を放つ、一八三八年に出版されたこの小著の中に見出そうとしてのことだと私たちは解釈する。
 同書の邦訳は、一九三八年に野田又夫訳が岩波文庫の一冊として出版されており、論文「生命」執筆時に西田がこの邦訳に主に依拠してラヴェッソンを引用していることは明らかである。しかし、西田が原典も参照していることは、邦訳出版以前にすでにラヴェッソンの『習慣論』の内容に数回言及していること、論文「生命」の中に仏語のまま引用されているいくつかの用語が散見されること、弟子の西谷啓治から『習慣論』の原書を借りていること(西谷啓治宛昭和二十年一月六日付書簡参照)などから証拠立てることができる。
 前節で見たように、西田は、自身の歴史的生命の論理の構想の中に種の概念を論理的に組み込むことには十分には成功していなかった。西田の哲学的発想においては、どうしても一と多との矛盾的自己同一という対立する二項の同一性が支配的になってしまうからである。しかし、生命の世界の成立には、種という中間項が不可欠であることを西田は認める。その上で、西田は、一方では、種を常に自己同一的な実体と考えることをはっきりと拒否し、他方では、歴史的生命の世界における種の現実性と、個体の集合と全体的な〈生命〉とへの種の二重の還元不可能性とを、自身の生命論の中に整合的に取り入れようと努力を重ねる。西田は、自己形成的な世界の創造性を可能にする契機として、種を個別性と普遍性との二つの次元の間に位置づけようとする。そうすることで、各個体に自己形成的な固有の形を与える差異化と統一化という対立する二つのベクトルの間に位置づけられる多次元的な何ものかを見出そうとしているのである。
 西田は、ラヴェッソンによって、自然の中で中間的・媒介的な役割を果たしている「素質」(disposition)として捉えられた「習慣」の中に、そのような多次元的な何ものかを見出すことができると考える。ラヴェッソンの『習慣論』の議論の展開を忠実に辿りながら、その中に、種の概念を歴史的生命の論理の中に取り入れることを可能にする具体的契機を捉えようとする。その取り入れの試みは、生物的範疇からの類推に依拠した推論によってではなく、自然の可塑的な秩序という包括的な自然観に従ってなされている。そこで、種の概念は、その実体化が注意深く回避されており、生命の自己形成を現実的に可能にしている可変的で媒介的な概念として捉えられている。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(二十)

2014-06-15 00:00:00 | 哲学

2. 1 歴史的生命の論理の中へ〈種〉概念を導入することに伴う困難(8)

 最後期西田哲学における生命論への〈種〉概念の導入が引き起こさざるを得ない理論的困難を取り上げた本節の締め括りとして、もう一つの重要な論点を指摘しておきたい。
 6月11日の記事に引用した、西田が生物的種としての〈民族〉概念に与えた定義を、今一度思い起こしてみよう。「種は個性的現実を媒介として相対し相争ふのである。個性的現実を媒介として民族と民族とが相対し相争ふことによつて民族が民族となるのである」(全集第八巻)。民族を種として実体化し、あたかも一つの意志を有った主体として行動できるかのように考える、このような〈生命〉一般論が容易に戦争肯定の論理として利用されうることはすぐに見て取れることである。自己実現・自己保存・自己発展をそれぞれに意志する複数の民族間の対立が引き起こす紛争、さらには戦争を正当化する論理として西田の生命論を利用することを禁ずる理論的装置は、その生命論そのもの中には組み込まれていない。
 このような西田の生命一般論は、それが無媒介に人間の共同体の歴史に適用されるとき、定義上、戦争の可能性を容認せざるを得なくなるばかりでなく、進化は闘争を必然的に孕むという歴史観に立って、戦争に或る積極的な価値を与えてしまうことも論理的に避けがたい。このような歴史観に立てば、種としての民族は、相対立し、相争うほかないものとなり、しかも、諸個人は種に一方的に帰属させられ、無差別的にそこに同化させられてしまうから、諸個人はそれぞれの唯一性という価値を剥奪されてしまわざるを得ない。
 しかしながら、西田の歴史的生命の論理は、他方で、個物 ― 行動する身体的自己である私たち個人 ― に、創造的世界である歴史的生命の世界における創造的要素という、他のものには還元できない価値を与えていることを忘れるわけにはいかない。歴史的生命の論理は、個人にとっての一つの自立的行動原理としても発展させ得る。なぜなら、西田の論理に従えば、それぞれの個人は、己が属する進化的な共同体の中にあって、一つの己に固有な創造的役割を果たし、既存の権威が己の個人としての創造性を脅かし排除しようとするときには、その権威を拒否することができる一個の独立した存在としての身分を有つという帰結を導き出しうるからである。自己形成的な世界の或る場所或る時代に生きるものとしての個人の有限性と特殊性とにそれとして価値を与えることによって、歴史的生命の論理は、上に見たような理論的陥穽に対して無防備な生命一般論を超克する契機を、少なくともその可能態において、内包してもいるのである。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(十九)

2014-06-14 01:30:00 | 哲学

2. 1 歴史的生命の論理の中へ〈種〉概念を導入することに伴う困難(7)

 昨日見た社会ダーウィニズムに対する西田の驚くべき無警戒なナイーヴさは、西田哲学の最終的立場である歴史的生命の論理の中への種の概念の導入を不成功に終わらせた理論的欠陥が何処にあるかをよく示している。歴史的種という概念が生物的種からの類推によって構想されているかぎり、この理論的欠陥を克服することはできない。たとえ、この二つの種の概念が互いに区別され、生物の進化を内包した歴史的進化における二つの異なった進化の段階と位置づけたとしても、それは不可能である。この種の類推的思考は、個別的生命の主体と種に固有な集合的生命の主体とを、あたかも同心円のように重ね合わせることができると考えることへと私たちを容易に導いてしまう。そのとき、私たちは全体主義的発想まで半歩の所まで来てしまっている。場所の論理は、すべての生命体を包摂する無限に進化的な〈生命〉の論理へと変容させられるとき、そして、その結果として、その〈生命〉の中に諸個人が埋没させられ、個体としての自律性・独立性・自由が完全に奪われるとき、全体主義の理論的基礎として利用されてしまう危険から逃れるにはあまりにも無防備であるという弱点を露呈してしまうのである。
 人間が進化の産物であるということは、しかし、人間がその進化の諸条件を一切変更することはできないということを意味しているわけではない。人間は、自らの行動を律するための道徳を作り出すことができるという意味で自律的であり得る。人間は、ある一定の生命環境の中で生きるものとして作られながら、その中で新しい環境条件・生存条件を己のために作り出すことができる。歴史的身体である人間は、作られたものであるからこそ、作るものなのである。このように考えることには、西田も反対しないであろう。
 ところが、上に見たような西田の〈生命〉の論理では、進化の主体としての種に優位性が置かれ、それに対して個体としての人間の創造性には副次的な位置しか与えられない。このような考え方は、もはや時代遅れであり、せいぜい歴史的関心の対象にしかなりえないであろうか。しかし、個体から種へと、論理によってではなく類推によって移行してしまう社会生物学的発想の危険性を考えるとき、このような考え方を改めて批判的に検討しておくことは、今日尚、無益ではないと私たちは考える。
 西田の生命論は、生命を民族や血として実体化するという誤った自然化から私たちを守ってはくれない。しかし、それを一方的に批判することがここでの私たちの目的ではない。なぜなら、西田は、他方では、実体化されることは定義上あり得ない自己形成的な形として生命を把握する反実体論的な生命論を展開してもいるからである。西田の生命論は、一方で、容易には克服しがたい論理的不整合を孕んでいることは否定しがたいが、他方では、今日尚検討に値する理論的可能性を包蔵してもいるのである。










生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(十八)

2014-06-13 00:00:00 | 哲学

2. 1 歴史的生命の論理の中へ〈種〉概念を導入することに伴う困難(6)

 西田は、何ら理論的根拠づけの手続きを踏むことなしに「血」という概念を導入することによって、生物、民族、社会などの概念を、歴史的身体による歴史的世界の形成というヴィジョンの下、一つの包括的な生命論の中に取り込もうとする。

我々は歴史的身体的に歴史的世界形成的となるのである。血は自己表現的であるのである。民族精神の根柢が血の神秘に求められる所以である。社会の成立には、民族が基とならなければならない。血の自己表現がなければならない。無論それだけで社会が成立するのではない。主体と環境との相互限定的に、作られたものから作るものへと、ポイエーシス的に社会が形成せられて行くのである。併し民族と云ふものが歴史的社会形成の根柢に考へられるかぎり、社会成立の根柢には血の自己表現と云ふことが考へられねばならない。而して血の自己表現と云ふことは、生物的身体が自己自身の内に世界の自己表現的要素を含むと云ふことからでなければならない(全集第十巻二六六頁)。

 この一節では、明らかに、生物学的次元での「血」という概念が、無媒介的に社会文化的次元での「血」と結合され、その結果として、前者が民族の直接的基礎と見なされている。しかしながら、忘れてはならないことは、生物学的意味での血もまた、一つの文化的対象なのであり、そのかぎり、歴史的対象なのだということである。それは、その概念としての登場においても、その後それが蒙る意味の変化においても、そうなのである。なぜなら、その概念としての登場もその後の意味の変化も、科学の進歩によってもたらされるからである。生物学的意味での血もまた、人間の反省的思考によってそれとして同定されるものであり、したがって、歴史とは無関係に不変な自己同一的実体として理論的基礎の位置を占めることはできない。歴史的存在として、私たちは、生物学的血に対して一定の関係を維持するが、それは、私たちの共同的概念的知見が、科学のもたらす表象を取り入れる仕方に応じてのことである。しかし、この関係は、私たちに生命とその現われについての原初的な知を与えるものではない。
 この一節に典型的な形で見られるのは、一種の還元主義的思考である。それは、生物的次元から社会的次元への理論的手続きを欠いた無媒介な移行に終わるか、有機体について得られた科学的知見の極めて杜撰で不当な一般化に過ぎない。いずれの場合にも、歴史的に限定され、どちらの方向にも同化不可能な二つの次元を媒介するための論理的契機を欠いているという点で同じ欠陥を有っている。たとえ最晩年いかに困難な歴史的状況の中で哲学的探究に万難を排して打ち込んでいたかを酌量するとしても、西田はここで弁護することが困難な理論的逸脱を犯してしまっていると言わざるを得ない。
 なぜなら、そこに見られるのは、十九世紀末から二十世紀初めにかけて、ヨーロッパ社会に蔓延した社会ダーウィニズムが犯した過ちである優生学の社会的適用の時代錯誤的な繰り返しに過ぎないからである。ところが、西田の哲学的狙いは、まさにそのような西洋近代主義の超克にあったのではなかったか。この問題に関しての西田の態度は、一個の哲学者としてあまりにもナイーヴであると言わざるをえない。
 様々な形を取った社会ダーウィニズムに共通する二重の理論的逸脱 ― 社会の「自然化」と社会学の「科学化」― に関して、西田は、まったくその危険に気づいていない。この社会の「自然化」と社会学の「科学化」とは、密接に絡み合っている。なぜなら、社会学の科学化は、極めてしばしば、自然を支配している法則と同程度に一様に適用可能な法則の支配の下に社会を置こうとする、社会の自然化を介して実行されるからである。この所謂社会学的法則は、一般に、生物学におけるダーウィニズムを模倣する形で構想されており、このような法則に基礎づけられた社会学は、生物学と接合された一種の擬似的な「自然科学」のようなものとなり、生物学の諸法則の超個体的次元への非論理的な拡張的適用に過ぎなくなる。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(十七)

2014-06-12 00:00:00 | 哲学

2. 1 歴史的生命の論理の中へ〈種〉概念を導入することに伴う困難(5)

 何が歴史的種を、つまり歴史的生命の形を現実的に構成しているのだろうか。それは、世界の自己表現的要素である「歴史的身体」にほかならない。以下、少し長くなるが、西田が最晩年「真の生命の世界」というとき何を考えていたかが凝縮された形で表現されている箇所を、その特有な思考のスタイルを見るためにも、そこに見られる頻繁な同一表現の反復を一切省略せずに引用する。

それ自身によつて有り、それ自身によつて動く真実在の世界は、全体的一の自己否定的に、空間的に、何処までも物質的である。併し矛盾的自己同一的に、逆に全体的一の自己肯定的に、時間的に、何処までも生命的である。世界は絶対現在の自己限定として無限に自己に於て自己を映す、自己表現的である、自己表現的に自己自身を形成する。是に於て世界は身体的である、個物的多は細胞的である。併し世界が絶対現在の自己限定として何処までも自己表現と云ふ時、単に内と外との整合的関係として、時間によつて裏附けられた空間の自己限定として、形が形自身を限定すると云ふに止まることはできない。かゝる生命は尚空間的である、物質的である、全体的である。かゝる生命の世界は尚それ自身によつて有り、それ自身によつて動く世界ではない。真の生命の世界ではない、真の生命の世界、それ自身によつて有り、それ自身によつて動く世界は、何処までも内が外、外が内に、絶対の否定即肯定として創造的世界でなければならない。自己表現に於て自己を有つと云ふことは、自己を他に於て有つ、自己を外に有つと云ふことでなければならない。併し単なる外に、自己と云ふものはない。自己を外に有つと云ふことは、外を内に有つこと、他を自己に於て有つことでなければならない。自己表現的に自己自身を形成する世界は、単に内外の整合的に自己自身を形成する世界ではなくして、内に絶対の自己否定を含み、絶対の否定即肯定的に、自己自身を創造する世界でなければならない。内外の整合的世界は創造的世界によつて基礎附けられて居るのである。創造的世界とは、無体系的な、恣意的な世界ではない、絶対の自己否定によつて裏附けられた世界であるのである。是に於て個物的多は単に種的細胞的即ち萌芽的ではなくして創造的要素として意志的である。自己自身の内に世界を表現する、世界を宿すことによつて、無限に欲求的であり、世界の自己表現的要素として何処までも意志的であり、形成的である。かゝる場合、私は歴史的身体的と云ふのである(全集第十巻二六〇-二六一頁)。

 この箇所を読むかぎり、歴史的身体は、何よりもまず個別的な人間身体を指している。この人間身体が、歴史的世界において制作的に働き、その世界を対象化されかつ対象化する一定の形として表現する。歴史的身体は、歴史的世界においてそれ固有の働きを有っているが、それでも尚、生物的世界に帰属する生物的身体とは不可分である。しかし、歴史的身体は、絶えず歴史的秩序に向かって生物的秩序を超え出て行こうとする。歴史的身体は、「生物体の如く単に自己自身の存在を目的とする目的的存在ではなくして、自己否定即自己肯定として何処までも自己を越えたものに於て自己を有つのである」(同巻二六三頁)。そうであるかぎりにおいて、歴史的身体は、真の生命の世界である歴史的生命の世界の創造的要素なのである。
 生物的身体と歴史的身体との間の還元不可能な差異は、歴史的身体にはそれ固有の創造的形成作用があるということである。この作用が意識的・意志的に或る新しいものを身体の外部に作り出し、その作り出されたものが身体のそれ以後の制作的行為の新しい形を限定する。
 ところが、ここで重大な問題が発生する。というのは、西田は、最初は個別的な人間身体のために構想されたこの歴史的身体の定義を、無媒介にかつ直接的に、人間社会の定義にも適用するからである。社会が個別的な人間身体の延長であるかのように構想するのである。しかし、人間身体と社会との関係、つまり、定義上歴史的身体であるところの私たちの身体と類推によって歴史的身体とみなされる社会との関係についての議論は、西田において、一つの人間社会論として成り立つほど十分に詳細で厳密な仕方では展開されていない。そこに見られるのは、容易に正当化しがたい、さらには危険でさえある類推的思考である。なぜなら、このような無媒介な類推を容認してしまうと、有機的な全体と見なされた社会の中に、個体であるところの諸個人が無差別的に没入してしまい、創造的な個別性が隠蔽されてしまうからである。ところが、この個別性こそ、歴史的に限定された私たちそれぞれの身体に、或る社会に帰属しつつ、その社会に対する自律性・独立性・自由をもたらしてくれるものなのである。
 無媒介に生命論と社会論とを繋ぐことによって、西田は、ここで、致命的とも言える理論的陥穽に陥ってしまっていることは否定しがたい。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(十六)

2014-06-11 00:00:00 | 哲学

2. 1 歴史的生命の論理の中へ〈種〉概念を導入することに伴う困難(4)

社会とは歴史的生産様式である。作られたものが作るものを離れない生物的生命に於ては、生産者は消費者である。併し作られたものが客観的な物として作るものを作る社会に於ては、その間に社会的形式といふものが入つて来る。生産も消費も之によるのである。社会といふものは、その成立の根柢に於て、既に弁証法的でなければならない。単なる民族的発展ではない。社会は単に家族の広げられたものではない。そこには歴史的形成作用が働かねばならない(全集第八巻一八四-一八五頁)。

 何が民族から社会への飛躍的進化を可能にしているのだろうか。種としての民族の発展は、或る一つの種に固有な枠組みを超え出るものではない。その発展過程は、或る種を他の種から区別し、それらに対立させ、それらと闘争状態に置く諸価値の伝承によって、その種の同一性を確保することから成っている。「種は個性的現実を媒介として相対し相争ふのである。個性的現実を媒介として民族と民族とが相対し相争ふことによって民族が民族となるのである」(同巻一九四頁)。
 それに対して、社会の生成は、何らかの民族的な慣習に還元不可能な規範的形式の創造によって成立するものである。この規範的形式は、或る特定の民族的種の次元を超え出て、複数の種を内包することができる。この社会という次元においては、進化する形式が形成され、その形式の中では、人間の諸々の行動が、生命の対象化されかつ対象化する「形」において表現される。この対象化されかつ対象化する「形」は、或る社会のすべての構成要素にとって現実的有効性を有ち、その有効性は諸構成要素の相異なった起源によって左右されない。
 この「形」は、その下では対象として作られたものがそれを作るものを現実的に限定するという点において弁証法的である。この「形」は、作られたものと作るものとの間の相互表現形式である。つまり、作られたものは、作られたものに働きかける行動の様式に或る一定の仕方で対応する面において現れる。社会という表現形式においては、作られたものと作るものとは、対象化されかつ対象化するように、互いに他を表現し合う。社会はまた生産様式でもあり、内側から弁証法的にその社会そのものを進化させうる新しい形がそこに生み出される。さらに、一つの社会は、創造の形式を限定する既存の諸形式の構成形態を出発点として、或る特定の歴史を形成する。そのようにして、一つの社会は、現に実在している諸社会がそれに他ならない進化する歴史的種の多様性から成る普遍的歴史の構成要素の一つとなる。