名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

今日も「山里便り」の看板を下ろしてしまった

2012年03月10日 | セカンドルーム

 

今日の名古屋は、朝から雲が垂れ込めて薄ら寒い。
午後からは晴れ間も出たが、北西の冷たい風に思わず襟を立てた。
夕方から、中学同窓会の打ち合わせがあったので、大須のホテルまで出かけた。

 

クラスの代表が20人ほど集まったが、事前の準備が良く議事はすんなり通って、ご馳走と歓談を楽しんできた。

朝からのんびりテレビを見ていると、震災関連を含めてて、昨今は何かと考えさせられることが多い。
古い辞書に無縁社会とか孤独死という単語は載っていないが、最近はすっかり定着してよく耳にする。
被災地の仮設住宅や復興住宅に限らず、コミュニティが崩壊した地域では、社会現象として老若を問わず顕在化しつつあるようだ。
高齢者の6人に一人が独居であり、結婚しない若者が増えていることも、将来の不安を大きくしている。
近所付き合いや相互扶助も希薄になり、行政サービスも手薄で、問題解決を難しくしている。
そんな折に、「元祖バイリンギャル」といわれた、タレントの山口美江さんが亡くなった。
最も社会との接点が多いと思われる人が、51歳の若さで孤独死したのは意外な出来事だ。
被災者とか独居老人などの特殊事情と思っていたが、どうも一般社会でも無縁とは言い難い状況になってきたようだ。
 
先日読んだ佐伯啓思の「反・幸福論」に、「ムラ」や「イエ」から開放され、「縁」や「しがらみ」を断ち切ろうとしたのが、戦後の日本であると述べていた。
今頃になって「コミュニティ」だ「絆」だと言っているが、近代市民社会なるものを求めた至極当然の結果が孤独死であり、無縁社会であるとも云っている。
それに、「孤独死は何も特異な現象とか現代社会のひずみでもなく、近代化の帰結であり、どうして孤独死が悪いのだ、というしかない。」と言い切っている。
また、「死に関しても猫が自らの死期を悟ったときに姿を消すように、いつのまにかこっそりと孤独死するのが本当の姿なのだ。」とも述べていた。
示唆に富んで面白い本であったが、自己責任社会の冷酷さを知り、確固たる死生観を持たない凡人レベルでは、達観できない領域だと思った。

コメント (4)
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