朝方には雨は上がっていたが、あたりの山は霧に包まれていた。
冷え込みもなく、道路の雪も消えて水路も露出部分も増えていた。
林道もぬかるみ、散歩から戻ってくると、ユキのお腹が跳ね上げた泥で汚れている。
話は変わるが、進級・卒業のシーズンを迎えて、新聞の地域版が何かと話題を提供している。
飛騨最北の山之村小中学校は在校生が十数人の小さな学校で、今年の卒業生は中学が1名で小学校が3名である。
卒業する中学生は町の高校へ進学して、寮生活を送るとのことだ。
同学年が600人の都会のマンモス中学で育った者としては、たった一人の中学生活を想像することができない。
聞くところによると、小学生の面倒を見たり学校全体をまとめて、リーダーシップを発揮したとのことだ。
山之村へは天蓋山や寺地山、二十五山などに登った折に度々訪れている。
標高が1000メートルほどの高地に、田畑や家が点在する風景はのどかで美しいが、自然環境は厳しく過疎高齢化が進んでいる。
私の住む町の岩滝小学校も児童数が25名で、数年先には10名ほどに減少するといわれている。
どちらも過疎の山里の学校で、豊かな自然環境と行き届いた教育が行われているが、生徒の減少は免れず廃校の議論が持ち上がっている。
素直で礼儀正しい子供たちは、競争社会を知らないままに進学していくので、環境の変化に戸惑うことも多いとのことだ。
他人を蹴落としてまで競争に勝つよりは、下級生の世話をしたり、動物や花を育てる心を養う方が余ほど大切だと思う。
また、飛騨で6年ぶりに東大の合格者が出たと、新聞が写真入で大きく報じていた。
学習塾や家庭教師など受験勉強をする環境にも恵まれていないし、都会で見られるような受験に対する刺激も競争心も少なく、切実感や価値観も少し違う。
偏差値やペーパーテストに強い人間がもてはやされた結果、医師や弁護士、教師、政治家、など、規範となるべき人たちがとんでもない犯罪を犯したり、倫理にもとる行為を平気でしている。
大学が全入となり、卒業しても定職に就けない時代に、学歴社会がどう変化するかは分からないが、世界に通用する木工職人や左官、高冷地野菜や飛騨牛の成功者を輩出した飛騨に生まれた若者たちが、正しい道を選ぶことを期待したい。