昨日の夕方、いつもの林道を散歩していてツキノワグマに出遭った。
クマは夜行性であるが、木の実や果実が実る頃は、昼間も食餌行動をしている。
林道と渓流の間の胡桃の木の二股に腰掛けて、枝を手繰り寄せて実を食べていた。
5メートルほど離れた樹上の熊は既にこちらに気付いて、鋭い視線を投げつけてきたが興奮した様子はなかった。
熊を刺激しないようにそっと通り過ぎて振り帰ったら、満腹になったのか足の裏を舐めたりして寛いでいた。
数枚の写真を撮ったが、せっかくのチャンスなので動画も撮影した。
クマの息遣いが聞こえてくるほどの至近距離で、足がすくみ体が震えてしまったようで、画像がブレて不鮮明だが胸の白い三日月は写っていた。
このまま昼寝をするのではないかと思うほど落ち着いていたが、木から下り始めたので、そっとその場を後にした。
同じ林道を往復したが、行きは少し上り坂で目線を落としていたので、樹上の熊に気が付かなかった。
帰りの下りで目線が同じ高さになって樹上のクマ気が付いたが、相手はかなり前から知っていた筈なのに、その場を立ち去らなかったのは不思議でならない。
クマとの遭遇を避けるために鈴やラジオを鳴らし、万一出遭った時は背中を見せて逃げるものを追う習性があるので、静かに後ずさりするのが良いと教わっていた。
ユキ(柴犬)の首輪のカウベルは鳴っていたし、足音も聞こえた筈なので、五感が鋭く臆病なクマは人の気配を察知して逃げると思っていたが、胡桃を食べ続けていたようだ。
過疎高齢化の進む山里では、活動できる猟師も少なくなり、人の恐ろしさを知らないクマが増えたとも言われているが、そればかりが理由とは思えない。
猟師や猟犬に追われることも少なくなり、防御のために過剰に反応する必要が無くなり、本来の姿になったのではないかと思う。
クマは人を倒せるだけの殺傷能力を持っているので恐れられているが、もともと人と一定の間隔を保ちながら共存できる野生動物である。
危険だから排除するという人間の論理を通せば、やがて九州や四国のようにツキノワグマは絶滅してしまうだろう。
今回、はからずもクマの生と死を身近に見て、豊かな自然があれば彼らが棲むのは当然であり、排除するばかりでなく共存と付き合い方を見直す時期に来ていることを痛感した。