年末が近づく今頃は、高校サッカーを思い出します。今年は準決勝と決勝が地元の埼玉スタジアムなので、可能なら足を運んでみたいと思っています。高校サッカーの思い出では、2003年に当時国見高校の平山相太(現FC東京)を見に行ったことが印象的です。当時、平山はUAEで開催されたワールドユースで、高校生ながらU-20代表に選ばれて2ゴールの活躍でした。もともとは中原(仙台)を招集する予定が、負傷で離脱して平山にお鉢が回ってきたチャンスをものにしたのはさすがです。
当時のユース代表監督、大熊清氏が「まさかあそこまで通用するとは」と驚いたほど、エジプト戦で決勝ゴールを決めたりヘディングで勝ったりと、世界でも通用しそうな勢いでした。その後、平山は日本一有名な高校生選手として、国見高校のエースストライカーとして高校選手権に出てきました。
私は、駒場スタジアムに平山が来た3回戦の広島皆実戦と、国立競技場での決勝の筑陽学園戦を生で見ています。当時の印象は、意外にもヘディングだけではないものでした。スペースに出ることもできますし、足元の技術もしっかりしていました。あまり動かないのが課題でしたが、当時のマスコミには「A代表に入れては?」という意見が載ったこともあります。
その期待通り、平山はアテネ五輪を目指すU-23代表にも招集されました。当時の平山フィーバーは相当で、平山が進学した筑波大でも「平山がロッカールームに来た」などという情報が、学生の間で携帯メールでやりとりされたほどでした。(当時ラインやfacebookはありませんでした。)
アテネ五輪でも、初戦のパラグアイ戦で出番を得ましたが、A代表候補とまで言われたほどの活躍ではありませんでした。平山はその後、筑波大を中退してオランダリーグに挑戦する決断をしましたが、ここで思うように出番を得られなかったことが、彼のサッカー人生で大きなマイナスになってしまいました。
今、思い出しても残念なのは、もし筑波大に残っていればとの判断です。筑波大の体育学部は単位認定が厳しいことで知られますが、スポーツマネジメントやプロとしての自己管理など、いろんなことを学べます。プロとして完成する前に、オランダに渡った青田買いに乗ったことが、彼にとっては残念だったと思います。
当時のユース代表監督、大熊清氏が「まさかあそこまで通用するとは」と驚いたほど、エジプト戦で決勝ゴールを決めたりヘディングで勝ったりと、世界でも通用しそうな勢いでした。その後、平山は日本一有名な高校生選手として、国見高校のエースストライカーとして高校選手権に出てきました。
私は、駒場スタジアムに平山が来た3回戦の広島皆実戦と、国立競技場での決勝の筑陽学園戦を生で見ています。当時の印象は、意外にもヘディングだけではないものでした。スペースに出ることもできますし、足元の技術もしっかりしていました。あまり動かないのが課題でしたが、当時のマスコミには「A代表に入れては?」という意見が載ったこともあります。
その期待通り、平山はアテネ五輪を目指すU-23代表にも招集されました。当時の平山フィーバーは相当で、平山が進学した筑波大でも「平山がロッカールームに来た」などという情報が、学生の間で携帯メールでやりとりされたほどでした。(当時ラインやfacebookはありませんでした。)
アテネ五輪でも、初戦のパラグアイ戦で出番を得ましたが、A代表候補とまで言われたほどの活躍ではありませんでした。平山はその後、筑波大を中退してオランダリーグに挑戦する決断をしましたが、ここで思うように出番を得られなかったことが、彼のサッカー人生で大きなマイナスになってしまいました。
今、思い出しても残念なのは、もし筑波大に残っていればとの判断です。筑波大の体育学部は単位認定が厳しいことで知られますが、スポーツマネジメントやプロとしての自己管理など、いろんなことを学べます。プロとして完成する前に、オランダに渡った青田買いに乗ったことが、彼にとっては残念だったと思います。