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稲本潤一の記憶

2022-12-20 20:39:03 | 他チーム
先日の阿部勇樹引退試合で写真を撮ることができた、元日本代表ボランチ、稲本潤一さんの記憶です。稲本はガンバ大阪の育成システムから育ったボランチで、17歳でJ1デビューを果たした早熟の天才でした。もっとも、浦和戦では相手ボランチの動きに注目して見ることは少ないので、彼の記憶で大きいのは2002年W杯日韓大会での活躍です。

当時、稲本はU-23のシドニー五輪代表から、A代表に昇格してきました。シドニー五輪代表をトルシエ監督が指揮していたことで、トルシエ監督の独特な戦術を消化する時間があり、3バックでラインを高く保ってオフサイドも時には取りに行く強気な戦いの肝でした。当時の日本代表では、相方の戸田に守備的な役割を託して、思い切って上がっていく動きを得意にしていました。

その役割がうまくはまったのが、このときのW杯でした。稲本は相手ベルギーが警戒していなかった隙をうまく突いて、自陣から上がってゴールを決め、日本代表の勝ち点1に貢献すると、続くロシア戦でもチームを勝利に導くゴールを決めました。当時はまだ珍しかった「海外組」で、G大阪からイングランドのアーセナルに移籍したのがこの頃でした。

もっとも、稲本の全盛期は長くありませんでした。トルシエ監督の後を継いだジーコ監督は、最初の頃は「黄金の4人」と言って中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本の同時起用を狙っていましたが、次第に中田英寿をボランチで起用するようになり、稲本は日本代表での地位を失うことになります。クラブでもフルハム(イングランド)時代は活躍しましたが、フランクフルト、ガラタサライ(トルコ)など少しずつ力の落ちるクラブに移籍していきます。

それでも、昨年までJ3(昨年はJ2)のFC相模原でプレーするなど、息の長い選手でした。本人が現役に対して強いこだわりがあったのでしょう。日本代表でのW杯が一度きりだった悔しさもあったのでしょう。今でも、下部リーグではプレーしており、阿部勇樹引退試合でも動けていました。彼の写真を見て、ベルギー戦での懐かしい記憶が戻ってきたので、ネタにしました。

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