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イビチャ・オシムの記憶

2025-01-08 21:04:37 | ワールドサッカー
オフネタ恒例の昔話で、元千葉、日本代表監督のイビチャ・オシム氏の記憶です。オシムは1990年イタリアW杯で当時のユーゴスラビア代表を率いて「欧州のブラジル」と呼ばれた華麗なチームを作ってベスト8と結果を出した監督です。1992年の欧州選手権も代表権を手にしましたが、当時のユーゴスラビア紛争の影響で出場権をはく奪され、それを機に代表監督を辞任していました。

そんな世界有数の名将が日本に来たのは、いくつかの運がありました。まずはオシムはお金で動かない監督だったことです。そのため、Rマドリードなどから高額オファーが届いても断っていました。また、オシムは義理を大事にする監督で、当時のジェフ市原のオファーに誠意を感じたことで、他チームの監督がすべて決まったギリギリのタイミングで来日してきました。

当時のオシム千葉は、浦和サポの私には敵でしたが、とてもやりにくい相手でした。ミスは起こるものという共通理解が行き届いているチームで、浦和は何度も相手ミスを拾っているのですが、そのボール支配の割に点になかなかならない相手でした。オシムは阿部勇樹に絶大な信頼を置いており、浦和のキーマンであるポンテに阿部勇樹をマンツーマンで付ける守備をしてきました。

オシム監督は、千葉のオフィシャルHPに載っていた「オシム語録」でも知られる監督でした。その中には「休みから学ぶものはない」と、事前に休日を予告しなかったことで、休みの日の予定が立てられないと選手からは不満でした。そんなオシムが選手の信頼をつかんだのは、以前は格下相手によく負けていた練習試合で連戦連勝できたからでした。プロのチームである以上、この監督についていけば勝てるとなれば、おのずと信頼はつかめるでしょう。

日本代表監督になってからのオシムも印象的でした。一番の思い出は、試合前のウォーミングアップの練習で、日本代表に割り当てられたコートの半面を目一杯使って、11対10の紅白戦をやっていたことです。これをやるために、オシムは代表候補に負傷者が出ると素早く代替招集をして、常に代表に23人揃う状況にしていました。選手は実戦から学ぶものという、オシムの独特な考えからさせた練習だったことでしょう。

サポーターの私でも印象的だったのですから、毎日一緒に練習した選手たちにはもっとビビットな印象を残したはずです。一昨年亡くなったオシムの教えは、指導を受けた選手たちがこれから監督になって表現していくのでしょう。既にミシャやアマル・オシムなど直系の弟子もJ1で指揮を執りましたが、まだまだこれからオシムの弟子が出現していくでしょう。
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