私の通っていた、都内の中高一貫の某学校には、利根川歩行という毎年2回開かれるイベントがありました。当時、体力のなかった私は、毎回雨天中止の博物館見学を期待していましたが、私の在学中は一度も中止になりませんでした。最初は群馬県内からスタートして、毎回25kmほど利根川を下り、つなぎ合わせて最終的には銚子を目指して歩きます。
利根川の土手の上は車道は少なく、周囲の田園風景を見渡すことができました。緑を見ると落ち着くのは人間の本性のようで、そんな風景を見ることは好きでした。しかし、体力自慢の仲間は、この25kmを走ったりしていましたが、私のような落伍者にとっては、前に行く仲間は焦りを生む存在でしかありません。ただ、ゆっくり歩きたい仲間は毎回誰かはいて、話をしながら歩いていたので、孤独ではなかったです。
この利根川歩行では、車道を可能な限り横断させないようになっていて、橋はくぐることが多かったです。橋の下は、日陰のほとんどない利根川歩行では、貴重な日陰で、絶好の休憩スポットでした。上を走る車のガタゴトという音を聞きながら、食べるおやつは気持ちをリフレッシュさせてくれました。
当時は普段運動をしていなかった私にとってこの距離は余りにも長く、最後はへとへとになって帰りのバスに辿り着いてばかりでした。在学中は苦しい思い出の方が強かったです。ただ疲れるためだけに、なぜこんなことをやるのだろうと、疑問に思っていました。
しかし、この経験は無駄ではありませんでした。卒業後、スポーツを始めて体力のついた私は、浦和の自宅から自転車でこの利根川の地を再び踏みました。自転車で当時の歩行ルートの一部をたどり、当時の同級生と思い出を語ることができました。ああ、あのとき歩いていて良かったなと、初めて思うことができました。
利根川の土手の上は車道は少なく、周囲の田園風景を見渡すことができました。緑を見ると落ち着くのは人間の本性のようで、そんな風景を見ることは好きでした。しかし、体力自慢の仲間は、この25kmを走ったりしていましたが、私のような落伍者にとっては、前に行く仲間は焦りを生む存在でしかありません。ただ、ゆっくり歩きたい仲間は毎回誰かはいて、話をしながら歩いていたので、孤独ではなかったです。
この利根川歩行では、車道を可能な限り横断させないようになっていて、橋はくぐることが多かったです。橋の下は、日陰のほとんどない利根川歩行では、貴重な日陰で、絶好の休憩スポットでした。上を走る車のガタゴトという音を聞きながら、食べるおやつは気持ちをリフレッシュさせてくれました。
当時は普段運動をしていなかった私にとってこの距離は余りにも長く、最後はへとへとになって帰りのバスに辿り着いてばかりでした。在学中は苦しい思い出の方が強かったです。ただ疲れるためだけに、なぜこんなことをやるのだろうと、疑問に思っていました。
しかし、この経験は無駄ではありませんでした。卒業後、スポーツを始めて体力のついた私は、浦和の自宅から自転車でこの利根川の地を再び踏みました。自転車で当時の歩行ルートの一部をたどり、当時の同級生と思い出を語ることができました。ああ、あのとき歩いていて良かったなと、初めて思うことができました。
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