だいぶ前の話になりますが、写真の元大関栃ノ心が夏場所の6日目に引退を表明していました。夏場所は十両に下がっていた栃ノ心ですが、初日から5連敗という成績で、もう十両を守ることも困難と思ったのでしょう。栃ノ心はあの巨体ながら、小技は持っている力士で、時折変化を見せてギリギリのところで幕内を守っていましたが、怪我で休場して十両に落ちていました。
栃ノ心といえば、私が国技館に行ったときに、初めて生写真を撮らせてくれた力士です。あとで、巡業に行けばこういうファンサービスは当たり前で、そういう理由で応援すると全員を応援することになることを知りましたが、国技館の入場の際に、写真を撮る私を黙認してくれました。ジョージア出身で、柔道やサンボなどの格闘技から相撲に転向してきた力士でした。
思い出すエピソードは、幕内時代に膝のじん帯断裂で4場所休場し、幕下の55枚目という番付から再起してきたことです。四股名の栃ノ心は「心」の強さを持って欲しいと春日野親方がつけた名前ですが、その通り幕下から、2場所連続7戦全勝で十両に復帰し、十両も13勝2敗、15戦全勝と圧倒的な強さですぐに幕内に戻ってきました。痛めた膝をカーボン製の装具で補強していたものの、十両時代から既に横綱とも稽古していたと聞きます。
優勝は1回です。前頭3枚目という位置で、得意の四つ相撲に持ち込めば強いというところを見せた優勝でした。この平幕優勝が評価されて、関脇で2場所連続で二桁勝利を挙げて、大関にも昇進しました。大関としては在位7場所と短命に終わりましたが、一度陥落しながら10勝で大関に戻るなど、ここでも心の強さを見せていました。
相撲ぶりは力の強さを生かした四つ相撲でした。当時の相撲界で、唯一「吊り出し」で勝てた力士で、右四つ左上手を引けば力で持っていくことができる力士でした。同じ右四つだったこともあって、当時の横綱白鵬には25連敗と相性が悪かったですが、その連敗が止まった場所で大関昇進が決まるところに、一つ壁を乗り越えた印象もありました。
引退後は角界には残らないですが、引き続き日本で生活するようです。引退後の9日目にはNHKの大相撲中継のゲストにも呼ばれていました。何をやるにしても、その心の強さで、新たな人生の成功を願いたいものです。
栃ノ心といえば、私が国技館に行ったときに、初めて生写真を撮らせてくれた力士です。あとで、巡業に行けばこういうファンサービスは当たり前で、そういう理由で応援すると全員を応援することになることを知りましたが、国技館の入場の際に、写真を撮る私を黙認してくれました。ジョージア出身で、柔道やサンボなどの格闘技から相撲に転向してきた力士でした。
思い出すエピソードは、幕内時代に膝のじん帯断裂で4場所休場し、幕下の55枚目という番付から再起してきたことです。四股名の栃ノ心は「心」の強さを持って欲しいと春日野親方がつけた名前ですが、その通り幕下から、2場所連続7戦全勝で十両に復帰し、十両も13勝2敗、15戦全勝と圧倒的な強さですぐに幕内に戻ってきました。痛めた膝をカーボン製の装具で補強していたものの、十両時代から既に横綱とも稽古していたと聞きます。
優勝は1回です。前頭3枚目という位置で、得意の四つ相撲に持ち込めば強いというところを見せた優勝でした。この平幕優勝が評価されて、関脇で2場所連続で二桁勝利を挙げて、大関にも昇進しました。大関としては在位7場所と短命に終わりましたが、一度陥落しながら10勝で大関に戻るなど、ここでも心の強さを見せていました。
相撲ぶりは力の強さを生かした四つ相撲でした。当時の相撲界で、唯一「吊り出し」で勝てた力士で、右四つ左上手を引けば力で持っていくことができる力士でした。同じ右四つだったこともあって、当時の横綱白鵬には25連敗と相性が悪かったですが、その連敗が止まった場所で大関昇進が決まるところに、一つ壁を乗り越えた印象もありました。
引退後は角界には残らないですが、引き続き日本で生活するようです。引退後の9日目にはNHKの大相撲中継のゲストにも呼ばれていました。何をやるにしても、その心の強さで、新たな人生の成功を願いたいものです。
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