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期待通り育った天才少年(原口元気)

2017-07-09 15:21:38 | 浦和レッズ
今日は埼玉スタジアムに行くので、即日更新は難しいと思うので穴埋めネタを用意して出かけます。先日、鈴木啓太のトークショーをのぞいていたら、サプライズゲストに原口元気の姿を見かけました。ブンデスリーガはオフなので、日本に帰国して束の間の休息を楽しんでいるようです。ちょうど思い出すきっかけになったので、原口元気の記憶を書きます。

原口は、埼玉県北部の江南町(現熊谷市)の江南南サッカー少年団の出身です。当時から既に噂に上る存在で、「江南南サッカー少年団にうまい選手がいる」というのが、当時の少年サッカー関係者の間では有名だったと聞きます。ちょうど、その当時は浦和レッズがユース組織の改編に乗り出し、うまい選手はスカウトで集めるという方針になっていたので、原口も中学からレッズの下部組織でプレーするようになりました。

もっとも、当時指導したジュニアユース監督、池田伸康氏によれば、当時の原口はまだまだ自分勝手なところがあったようです。チームのためにプレーするという精神面を鍛えた結果、原口は高校2年の高円宮杯でユース日本一に輝き、翌年は高校3年生ながらトップチームにプロ契約を結んで昇格します。

原口の新人当時のプレーは印象的でした。当時はフィジカルに課題があり、相手に当たられたときの対応に課題がありましたが、サイドハーフとしてポンテや阿部勇樹の出すパスに反応できる、サッカーセンスの高さは当時から光っていました。C大阪戦で左サイドから長いドリブルを見せて決めたミドルシュートが印象的です。

2012年、ミシャが監督になって、1トップで使われたのは原口にとって試練でした。どうしてもフィジカルがあまり強くない原口は、相手の屈強なDFに潰されるプレーもありました。その年はFWとしては少ない6ゴールに終わり、翌年は即戦力として鹿島から興梠を補強されることになります。

しかし、FWでプレーしたことで、どういうボールが欲しいか実感した原口はシャドーでポジションをつかみ、その活躍でドイツのヘルタからオファーを受けて、浦和に移籍金8000万円を残す選手になれました。今、筑波大で走り方を改造して、代表MFにふさわしい走力を得ようとしている原口ですが、ロシアW杯に出て是非とも世界に名を売って欲しいと願っています。

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