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野人2号(大柴健二)

2016-08-17 22:05:00 | 浦和レッズ
一昨日、関根貴大選手のことを勝手に「新野人」と書きましたが、過去には本家野人の岡野雅行選手以外にも「野人」と呼ばれた選手はいました。それは、1996年から2000年まで浦和に在籍したFW、大柴健二さんです。現在は埼玉県志木市でサラリーマンと聞きます。

大柴は国士舘大学から1996年に浦和入りしました。当時はサインがなく、サインを求められると楷書で名前を書いていました。そのサインを持っている方は貴重です。髪を伸ばしたスピード型FWだった理由で、岡野に例えられ、野人2号と呼ばれていました。アマチュア時代に無名選手だったキャリアも岡野そっくりです。

大柴のキャリアのハイライトは、1998年の13ゴールです。当時、結婚したばかりだった大柴は、義父から1点ごとにお小遣いがもらえることに発奮して、特に1stステージでゴールを量産しました。13ゴールは予想以上だったので、ついに義父が払いきれなくなったほどでした。

彼の得点パターンは、そのスピードを生かしてDFラインの裏に抜け出すものがほとんどでした。1998年はエース福田が負傷がちだったので、岡野、大柴の「野人2トップ」の試合もありました。今思うと、スピード型2枚をどうやって合わせていたか不思議ですが、この2トップは浦和らしい、カウンターから走るサッカーを象徴するコンビでした。

しかし、大柴の絶頂期は長く続きませんでした。翌1999年は残留争いで苦しんだチームと同様に、大柴自身も輝きを失いました。いいパスで敵陣を崩してもらえないと、大柴の得点パターンの裏へ走る形は難しかったこともあって、パスを出せる小野伸二の負傷とともに大柴も点が取れなくなりました。

その後は2000年を最後に浦和を去り、C大阪、横浜FCと渡り歩いて現役を終えます。決してテクニックで魅せた選手ではなかったですが、久しぶりに思い出したので記事にしました。懐かしい過去です。

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