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今回、浦和の新体制発表で背番号が発表になっていました。注目は原口元気選手の背番号9です。本人は9番に意欲を見せていましたが、なかなか実績が伴わず入団時の24番でした。しかし、昨季の成績は11ゴールとプロ初の二桁ゴールで、これなら9番にしてもいいだろうと満場一致の9番だったと思います。
原口は浦和では初めて、17歳で試合に出た早熟の選手です。高校3年の時点で、プロ契約を結んでユースの試合に出られなくする退路の断ち方はいいのかとも思いましたが、当時のフィンケ監督が既にトップの戦力と考えており、その判断は正解でした。
原口を初めて見た印象は、技術的な完成度の高さでした。ボールも正確に足元に止まり、ドリブルを仕掛ける果敢さもあり、阿部勇樹やポンテといった高度な技術を持つ味方のセンスにも付いていけるサッカー頭脳の持ち主でした。ただ、新人当時はまだ「うまいけれど怖くはない」レベルでした。
当時、原口が今でも得意にしている、ドリブルでカットインして切れ込む動きをしても、相手DFがたぶんシュートが入らないだろうと捨てていたこともあります。C大阪戦で、相手ボランチのアマラウがそういう守備をしていたのを、見返すように豪快にミドルを突き刺してみせた快感もありましたが、当時はまだポンテからは「毎日怒られていた」レベルだったようです。
そんな原口にとって、試練になったのは2012年にミシャが監督になり、1トップを任されたことでした。当時、ミシャはFWしかできないタイプをことごとく放出し、本来FWでない原口の技術を期待してトップに置きました。肉体的には成長途上だった原口にとって、FWのポジションで相手からプレッシャーは相当厳しく、フィジカルで潰される場面も見られました。
当時は6得点と、トップとしては不満が残るゴール数でしたが、この経験は間違いなく原口を1ランク上昇させました。2013年はFWの周辺を動くシャドーで起用された原口は自己最多の11ゴールを挙げて、点を取る能力が向上したことを証明します。
今年は原口にとって、本当に9番にふさわしいか、自らのプレーで証明する機会になりました。今まで、何度か試練を乗り越えてきた原口なら、今度も乗り越えてくれると期待しています。
原口は浦和では初めて、17歳で試合に出た早熟の選手です。高校3年の時点で、プロ契約を結んでユースの試合に出られなくする退路の断ち方はいいのかとも思いましたが、当時のフィンケ監督が既にトップの戦力と考えており、その判断は正解でした。
原口を初めて見た印象は、技術的な完成度の高さでした。ボールも正確に足元に止まり、ドリブルを仕掛ける果敢さもあり、阿部勇樹やポンテといった高度な技術を持つ味方のセンスにも付いていけるサッカー頭脳の持ち主でした。ただ、新人当時はまだ「うまいけれど怖くはない」レベルでした。
当時、原口が今でも得意にしている、ドリブルでカットインして切れ込む動きをしても、相手DFがたぶんシュートが入らないだろうと捨てていたこともあります。C大阪戦で、相手ボランチのアマラウがそういう守備をしていたのを、見返すように豪快にミドルを突き刺してみせた快感もありましたが、当時はまだポンテからは「毎日怒られていた」レベルだったようです。
そんな原口にとって、試練になったのは2012年にミシャが監督になり、1トップを任されたことでした。当時、ミシャはFWしかできないタイプをことごとく放出し、本来FWでない原口の技術を期待してトップに置きました。肉体的には成長途上だった原口にとって、FWのポジションで相手からプレッシャーは相当厳しく、フィジカルで潰される場面も見られました。
当時は6得点と、トップとしては不満が残るゴール数でしたが、この経験は間違いなく原口を1ランク上昇させました。2013年はFWの周辺を動くシャドーで起用された原口は自己最多の11ゴールを挙げて、点を取る能力が向上したことを証明します。
今年は原口にとって、本当に9番にふさわしいか、自らのプレーで証明する機会になりました。今まで、何度か試練を乗り越えてきた原口なら、今度も乗り越えてくれると期待しています。
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