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鈴木啓太の記憶

2019-07-13 11:33:59 | 浦和レッズ
先日の埼スタのビフォーゲームトークショーにいた、元浦和MF鈴木啓太さんの思い出です。鈴木啓太は澤登などを輩出した静岡県の東海大翔洋高校の出身で、浦和にはJ2時代の2000年に加入しました。もっとも、1年目は浦和が予定していたサテライトリーグへの参加をJ2降格で見送ったというチーム事情があり、大原で大学生相手の練習試合が続く苦しい状況でした。

その1年目、天皇杯2回戦のホンダロック戦を見ていた来季監督のチッタ氏が鈴木啓太を見て期待を持っており、背番号が31から13に一気に昇格します。この13番が鈴木啓太の象徴になりました。当時の浦和のボランチは石井俊也でしたが、途中辞任したチッタ監督の後任であるピッタ監督が、石井をDFに回して鈴木啓太をボランチに抜擢します。

それ以降、浦和のボランチといえば鈴木啓太が定番になりました。オフト監督時代は内舘秀樹と組んでいた時期もありますが、鈴木啓太とダブルボランチを組んだ中で印象的なのは長谷部誠です。長谷部自身がインタビューで「後ろは啓太君が何とかしてくれるから思い切って行っていい」とギドから指示が出ていたことを明かしています。

鈴木啓太といえばアンカータイプの印象ですが、走力も持っており相手がマークしにくい存在でした。のちのミシャ時代は阿部勇樹とダブルボランチを組んでいましたが、相手が1トップ2シャドーを消しに行く守備をしてきた裏をかいて、鈴木啓太が上がって行くとチャンスになることが多かった印象です。ミドルシュートの精度こそ今一つだった記憶ですが、鈴木啓太が上がって行ける体力があったからこそです。

そんな鈴木啓太がポジションを失ったのは、トップ下だった柏木のボランチコンバートでした。柏木の持っている、ゲームメーカーとしての力を後ろから出す方針に変わったことで、攻撃力では柏木に敵わない鈴木啓太の出番は減りました。最終戦のときに「自分には浦和以上に愛せるチームがありません」とサポーターの前で引退を宣言しました。

今、鈴木啓太は腸内環境を整えるベンチャー企業の経営に関わっています。現役時代に他競技も含めたアスリートとのつながりがあったので、それを生かしています。解説などで出てくることもあり、まだ元気なんだなと安心できます。OB戦などで見られるといいですね。

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