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永井雄一郎の記憶

2022-08-09 22:40:35 | 浦和レッズ
先日のOB戦で元気な姿を見せてくれた、元浦和FW永井雄一郎さんの記憶です。永井は中学時代、対戦した中村俊輔が「最も上手い選手」と認めた存在でした。永井は高校時代をクラブチームの三菱養和で過ごし、18歳で入団した浦和でのデビュー戦は今でもよく覚えています。当時、対戦相手の横浜Mは、日本代表の井原、小村の堅守が武器でした。

この相手に、FWで先発出場した永井が見せたドリブルが絶妙でした。井原や小村を抜く場面も見られ、スコアは2-3で敗れましたが「日本に新星誕生」と代表入りすら期待した記事も出たほどです。しかし、当時の永井は体力的にはプロの体になり切れておらず、スタメン出場が続いてくると次第に動きが落ち、シュートも当たり損ねのものもありました。

翌年就任した原監督は、永井の才能は評価しつつも、この欠点が直らないとスタメンでは使えないと判断したようで、永井をドイツ2部のカールスルーエにレンタル移籍させます。このドイツ時代がその後の永井の原点になりました。2部のトップチームでプレーすることはなかったですが、3部に所属するセカンドチームで多くのゲームに出場し、冬の間はドイツで盛んなインドアサッカーで個人技を磨きました。

1999年夏に、1年間のレンタル期限が切れて浦和に戻ってきた永井は、明らかに変わっていました。相手DFに当たられても動じないフィジカルと、標準レベルまで上がっていたヘディングシュートを備えていました。ドリブルの武器は残しながら、強さも備えて浦和に帰ってきた永井は、その後10年間浦和でプレーし、J1通算50ゴールを挙げるほどの活躍を見せました。

浦和での永井で印象的なのは、FWでなくても出場機会を得られたことです。ギドが右アウトサイドで起用したり、斉藤監督が左MFで起用したこともあります。そこでも、上手さを持っている選手なのでそれなりに適用できたことが、浦和で長くプレーできた結果につながりました。2008年、FWにエジミウソンと高原を補強されて出番が少なくなった永井は、その後清水、J2横浜FC、JFL和歌山、J2群馬などでプレーしました。

この日のOB戦で一番光っていたのは永井で、ボランチとしてボールを引き出しながら、時に往年を思い出すドリブルも見せました。コロナ禍でなければ、浦和時代のチャントである「アレ永井アレ」と歌ってみたかったほどです。彼の上手さは、対戦相手の西武台シニアにとっては初めて見るものだったようで、この日の浦和OBの1-0勝利に貢献していました。

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