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久保建英の記憶

2024-09-09 21:40:24 | ワールドサッカー
今日はネタがないので記憶ネタで、日本代表MF久保建英の記憶です。久保建英は少年時代からバルセロナの育成組織で育ち、今でも見せるマスコミ対応の上手さや、ファウルを受けた際に怪我をしないためのテクニックなどはこの頃に身に着けたのでしょう。もっとも、スペインでも下部組織に外国人枠ができることになり、バルセロナでのプレーが難しくなり中学時代はFC東京でプレーします。

15歳の若さで、当時J3に参戦していたFC東京U-23の一員として、Jリーグデビューを果たします。Jリーグ最年少記録と当時は話題になり、駒沢競技場にJ3にしては異例の5000人近い観衆が入りましたが、それまでの最年少記録を持っていた当時東京Vの森本貴幸はJ1リーグでの記録なので、それと比較する意味はないのでは?と当時は斜に構えていました。

この注目度は間違っていませんでした。久保建英は16歳でトップ昇格し、FC東京でJ1リーグデビューを果たすことになります。もっとも、トップ1年目はJ1で思うような出番を得ることができず、横浜FMに半年だけレンタル移籍してプレーしたこともあります。その後はFC東京に戻り、18歳の若さで今度はレアルマドリードからオファーをもらって、再度スペインの地を踏むことになります。

久保建英ほどの才能でも、世界中からトップレベルが集まってくるレアルマドリードのトップチーム出場は厚い壁で、1部の下位チームのマジョルカや、1部ビジャレアルなどへのレンタル移籍を繰り返すことになります。そんな久保建英がスタメンに定着できるようになったのは現所属のソシエダへの完全移籍がきっかけです。

久保建英は背が低い選手なので、若い頃はどうしてもフィジカルで潰される選手でもありました。それをカバーしているのは彼が持っている瞬間的な速さで、先日の中国戦でも彼の切れのある動きに中国DFはついていけませんでした。また、CKやFKのキッカーとしての役割も大きく、中国戦では彼のCKから、遠藤航が相手DFをうまく出し抜いて貴重な先制点を得ています。

U-23日本代表では東京五輪で4位とあと一歩のところで表彰台を逃し、涙に暮れました。今回のパリ五輪は出場資格はありましたが、ソシエダ側に拒否されると日本協会ではどうすることもできなかったようです。その分はA代表で活躍して、次の北米W杯では主力選手の期待があります。ちょうど、このW杯が久保建英のベストパフォーマンスが見られそうな時期なので、楽しみにしています。

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