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そろそろオールドファンの仲間入りをし始めた私の世代は、親方衆にお馴染みの顔ぶれが出てきています。その一人が写真の元関脇、琴ノ若の佐渡ヶ嶽親方です。琴ノ若は今で言う「イケメン関取」で、現役時代は雑誌numberの表紙を飾ったこともあります。
相撲協会は人気復活にあの手この手を考えています。この琴ノ若はチケットのもぎりをやっていて、写真撮影にも気さくに応じてくれました。場内でファンサービスをしていた元横綱大乃国の芝田山親方の写真も撮りましたが手ぶれでひどい写真なので公開しません。
琴ノ若といえば、長い相撲が多かったので、「ミスター1分」という見出しがスポーツ紙に載ったことが記憶にあります。個人的には長い相撲は好きで、仕切り時間なら他のことをすることもありますが、長い相撲なら食い入るように見ます。それだけ長い相撲で勝てた琴ノ若は身体能力が高かったのでしょうが、もっと速い相撲で勝てと先代の親方には注意されていました。
また、琴ノ若は長身で変化がなく、普通の四つ相撲なので、当時の横綱貴乃花にはカモにされていました。当時の貴乃花の四つ相撲の安定感は抜群で、右四つでも左四つでも対応できる貴乃花の前には、琴ノ若はまわしを切られてしまい、完敗することが多かった記憶があります。
琴ノ若は先代の親方の娘と結婚していて、義理の親子になった以上、佐渡ヶ嶽部屋を継ぐのは決まっていました。娘にはよくしてくれると人間性は評価していた先代は「それなら相撲だけどうにかならんか」と取り口に注文をつけるのが常でした。
琴ノ若の現役生活は長く、37歳まで幕内を維持しました。現役の最後の頃は病気がちになっていた先代に代わり、序の口の力士の稽古も見るようになり、本人も「師匠代行」と話していました。先代の定年退職までは現役にこだわった琴ノ若ですが、力士と親方を兼務することは禁止されているので、その定年退職と同時に引退して佐渡ヶ嶽部屋を継ぎました。
まさかチケットのもぎりで青春時代の関取衆の姿を見るとは予想していませんでしたが、思い出すきっかけになったのでブログネタにしました。今日の観戦の感想は後日書きます。
相撲協会は人気復活にあの手この手を考えています。この琴ノ若はチケットのもぎりをやっていて、写真撮影にも気さくに応じてくれました。場内でファンサービスをしていた元横綱大乃国の芝田山親方の写真も撮りましたが手ぶれでひどい写真なので公開しません。
琴ノ若といえば、長い相撲が多かったので、「ミスター1分」という見出しがスポーツ紙に載ったことが記憶にあります。個人的には長い相撲は好きで、仕切り時間なら他のことをすることもありますが、長い相撲なら食い入るように見ます。それだけ長い相撲で勝てた琴ノ若は身体能力が高かったのでしょうが、もっと速い相撲で勝てと先代の親方には注意されていました。
また、琴ノ若は長身で変化がなく、普通の四つ相撲なので、当時の横綱貴乃花にはカモにされていました。当時の貴乃花の四つ相撲の安定感は抜群で、右四つでも左四つでも対応できる貴乃花の前には、琴ノ若はまわしを切られてしまい、完敗することが多かった記憶があります。
琴ノ若は先代の親方の娘と結婚していて、義理の親子になった以上、佐渡ヶ嶽部屋を継ぐのは決まっていました。娘にはよくしてくれると人間性は評価していた先代は「それなら相撲だけどうにかならんか」と取り口に注文をつけるのが常でした。
琴ノ若の現役生活は長く、37歳まで幕内を維持しました。現役の最後の頃は病気がちになっていた先代に代わり、序の口の力士の稽古も見るようになり、本人も「師匠代行」と話していました。先代の定年退職までは現役にこだわった琴ノ若ですが、力士と親方を兼務することは禁止されているので、その定年退職と同時に引退して佐渡ヶ嶽部屋を継ぎました。
まさかチケットのもぎりで青春時代の関取衆の姿を見るとは予想していませんでしたが、思い出すきっかけになったのでブログネタにしました。今日の観戦の感想は後日書きます。
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