Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

ミラノの街

2021-02-11 17:05:27 | 雑記
1996年のサッカー旅、宿はミラノに確保しており、ミラノの街は何度か見て回りました。ロンドン経由でミラノの空港に降りたときは深い霧の中で、冬のミラノがどんよりと曇ることの多い街というイメージはこのときです。実際、この旅の中で晴れた日はなく、日も短いので、夏目漱石が冬のロンドンで憂鬱な気分だったことを想像していました。

ミラノでは、ルネサンスの名画、「最後の晩餐」を見にサンタマリア・デ・グラッツィエ教会に行きました。この絵は修道院の食堂の壁に描かれており、聖職者だから大切にしたのでしょうが、500年近く経った今でも当時の美しさを保っていたのは感動的でした。

ミラノの街は、中世都市に特有な城壁こそ取り壊されて道路になっていましたが、街の中心の旧市街の建物はそのまま残し、新しい建物は郊外に建てる街づくりがなされていました。ミラノの象徴であるドゥオモの屋上に上って、街を見ましたが曇り空だったので見晴らしはあまり良くなかった記憶です。私が泊まった宿はミラノの郊外にある、展示場の近くにあるホテルでした。

当時、ミラノの街は復活祭で賑わっていました。多くのイタリア人が仮装して街に繰り出しており、整髪料を通行人にかけるいたずらも行われていました。ミラノでブランドショップが集まる、中世では異例のアーケード街「ガレリア」も多くの人で賑わっていました。あまり時間がなかったのが残念ですが、今だったらカフェに腰かけて街の雰囲気を楽しむかもしれません。

ミラノにあった城、スフォルチェスコ城も見てきました。城の建物の中は残念ながら閉館時間を過ぎていて見られませんでしたが、城壁に囲まれた日本でいうところの「本丸」の雰囲気は感じてきました。イタリアという国が長く都市国家の分裂国家だったので、ミラノも独立した一つの「国」だった様子も見てきました。

食べ物はイタリアではピザが一般的です。一切れ400円ほど払えば、食べきれないほど大きなピザを出されます。飲み物は大きさを指定する際には「ピッコロサイズ(S)」にしないと、バケツのような大量の飲み物と格闘することになります。パスタを食べたい場合はレストランを探せば食べられます。















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ユベントス練習場の記憶

2021-02-11 15:20:42 | ワールドサッカー
1996年のサッカー旅では、ユベントスの練習場になっていたかつてのユベントスの本拠地、コムナーレスタジアムにも行ってきました。1990年イタリアW杯でトリノの郊外にデッレ・アルピスタジアムが整備されたので、そこに本拠地を移していましたが、ここがユベントスの本拠地だった証に、外側の塀にかつての名選手「プラティニ」の落書きがありました。

スタジアムの椅子はすべて撤去されており、コンクリートの階段だけが残っていました。ここで選手が出てくるのを待っていましたが、練習は非公開になり、道路を渡った向こう側のグラウンドで行われることになりました。コムナーレスタジアムの控室で着替えた選手たちが道路を渡っていくところを待って、サインしてくれたのはGKのアンジェロ・ペルッツィでした。

FWビアリはサインを拒否し、FWデルピエロは小走りにサポーターにつかまらないように逃げてしまっていました。当時、私は一人でツアーに参加したこともあって、写真とサインの両方を狙おうとして中途半端になってしまいました。こういうのは、写真担当とサイン担当を分けておけば、もっと効率よく両方を狙えたでしょう。

非公開練習とは言っても、浦和サポにわかりやすいイメージで言えば大原の奥のグラウンドで非公開練習をやるようなもので、裏道に分け入って見れば練習風景は丸見えでした。この日は首位攻防戦のACミラン戦の前日ということで軽めの調整で、2タッチだけでパスを回し、タイミングを見計らって手でボールを拾って方向を変えるという、傍からは意図がわかりにくい練習でした。

サインをもらえたツアー仲間は、この非公開練習が終わってからコムナーレスタジアムに戻ってくるところを狙っていました。そこでDFフェラーラやMFパウロ・ソウザらのサインをもらえた幸運な人もいました。私はとにかくサインをもらおうと、顔もわかっていなかったDFペソット選手からもらえました。

最後、選手が帰っていくタイミングで、MFデシャンが車を止めて窓を開けて、日本人全員にサインしてくれました。今思えば、デシャンは選手監督両方でW杯で優勝した、フランスの英雄です。これはラッキーでした。練習を見に行った成果はあったと、満足してバスでミラノに戻り、翌日の首位攻防戦に胸躍らせたことは忘れません。




GKアンジェロ・ペルッツィ


MFディディエ・デシャン
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