自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

ミュージカル、再び!

2010-06-20 16:54:41 | 唄と踊り
6月は残すところ僅か10日。今月は未だ3回しか書けていません。
ブログを書く時間も作れないほど、何が忙しいって・・・・・
サロン・ミュージカルの下準備をしているからなんです。

思えば、宇宙研を離れて4年が過ぎ、
私の生活の中から「言いたいことはミュージカルで!」という表現法が
無くなってしまいました。

でも今年は心機一転。
地域活動(元気塾や英語サロン)での上演を思い立ち、
まずは手始めに家族でやることを決めました。

驚きは、5月に86歳になった母がすごくやる気を出して、
アリアや英語の歌に挑戦意欲を示したことです。
でも母の練習環境を整えてあげようとすると、
どうしても伴奏や練習音源をCDに焼かねばなりません。

いきおい、Scoremakerの勉強にも熱が入り、
自動伴奏やイントロ、エンディングの工夫などが格段に進歩しました。
衣装や小物は町田のダイソー(日本で2番目に大きな100円ショップ
<←多分>)で物色し、
寝ても覚めてもアイデアを考えています。

何処で誰に見せようという意図も野望もありませんが、
母が生きがいを見つけて、「長く生き過ぎたワ。生きてるのが辛い。」
なんて言わなくなってくれればラッキーです。



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楽健法 その2 Rakken-hou

2010-06-16 22:26:20 | 推薦図書
「二人ヨーガ」の本にある、著者の詩です。
少し長いのですが、そのまま載せます。
私も人生の折々に多くの出会いがあり、学ばされてきました。
それらの有難い出会いを思い出させてくれた、有難い詩です。

**********************************
闘病五十年
喘息に苦しみ
貧乏にあえいだ男がいた
喘息はついに治らず
さよならをした

息子のわたしに喘息を遺産として残して

闘病十余年
薬づけのまっくらやみの人生であった
まっくらやみだが
神様がどこかにいられるはずだと思い
私は合掌した

合掌すると心のなかに新しい芽が生える

私は思った
合掌は左右の手の出会いである
病気もひとつの出会いである
人間に対する
最高の教育が病気である
病気は
神様のおひとりでさえあるのだと
病気は選ばれた人間に与えられる
神様からの贈り物だ

わたしは病気を楽しむことにした
大切にしようと思った
治そうと思うのは止しにした


ある日わたしは玄米に出会った
玄米を食え
とその坊主はわたしに言った
うまいぞ!
そう言ってにこにこしていた

わたしは玄米をかみしめた
玄米は人生に似て味わい深い
玄米をかみしめるというのは
人生をかみしめることである
歯の合掌である

さまざまの出会いがある
病気の神様のみちびきで
わたしは味わい深い出会いを得た
多くのすぐれた人との出会いをもった

病気こそ父の遺産の唯一最高のものだ

うらみつらみを抱いた若い日を省みて
わたしは合掌する
いまでは健康のありがたさを
しみじみとかみしめながら



P.121 ・・・・・(父は)民間療法も実にいろんなことをやったよう
です。人から教えられた良いと思うことは、何でもやったし、やるつ
もりでもあった。しかし、父は、不幸にして、この詩の中の私のよう
に、根源的な何かを教示してくれるひとりの師に出会わなかった。

あるいは、自身が根源的なものに向かおうとする意思を持っていな
かったのかもしれない。インドには、弟子に準備ができると師が現れる、
という言葉がありますが、それこそ、人間の宿命というものだろうと
思います。
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尾瀬の水芭蕉 Oze 2

2010-06-14 18:28:41 | 登山&Trekking
尾瀬といえば、水芭蕉。
盛りを一週間ほど過ぎていましたが、まだまだ綺麗。
リュウキンカ(立金花)の鮮やかな黄色と入り混じって可憐です。

ただ、全体的には小さく痩せた花が多く、株数も昔(十数年前)の
半分くらいのイメージです。温暖化と鹿の食害で、尾瀬の水芭蕉は
遠からず無くなってしまうのかも・・・と心配になります。
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久しぶりの尾瀬 Oze

2010-06-14 18:16:34 | 登山&Trekking
何年ぶりかの尾瀬湿原です。
金曜夜8時に家を出て、関越道沼田インターから戸倉の駐車場着は11時。
車中泊で翌朝(土曜日)4時起床。4時20分のバス(タクシー)に乗り、
鳩待峠へ。

峠のゲートは5時にしか開かないので、30分近くロスタイムですが、
この間、じっくり準備体操のストレッチ&自力整体ができてラッキー。
ミルク色の霧、逆さ至仏山の映る池の静かさ、鳥の鳴き声・・・・・
全てが美しく、夢のよう。
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「二人ヨーガ楽健法・医者に頼らず生きる術」

2010-06-13 20:35:35 | 推薦図書
山内宥厳(やまのうち・ゆうげん)・著 1981/9初版~2008/10改訂版 
「二人ヨーガ」とは、足で要所を踏む施術を、二人でお互いに交代で
する、という健康法です。著者は病弱だった人生を、この健康法と玄米
食で切り開き、現在は高野山真言宗の僧侶・楽健寺住職さんです。 

以下、私がイイなぁと思った言葉を幾つかご紹介します。

P.123 病気を治すのは、薬なんかではなく、実は毎日のなにげなく
過ごしている生活の在り方にある、ということは、漢方医学や、
アーユルヴェーダ医学(インド伝承医学)をひもといてみると、
明白な基本的な事柄ですが、西洋医学が中心になっている現代の科学
思想による教育で育てられた私たちには、思いもよらないことなのです。

P.167・・・・・・私は基本的には玄米菜食主義を有効なものと考えていますが、
それは自分がそれによって慢性病を克服した経験を持ち、
食事の在り方で病気が治ってゆくことは真理だと思っていますが、
そうでない食生活を誤りとする態度はとりません。

・・・・・・・・・・・・人間の値打ちは何を食って生きているかによって決まる
のではなく、何をやり、どう生きているかによって評価できるので、
食生活の改善は、人間として何をやり、どう生きるかという問題意識を
もち、そのための健康管理として、さまざまな試みをすることに他なら
ないのです。

P/168 どんなにすばらしい食生活にめぐりあって病気が治っても、
人間は詩や小説や演劇の深い楽しみを知り、そこで詩神と出会うので
なければ真に人間を知りこの世に生を享けた本当のよろこびを知るこ
とはできません。





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