さて、次に私の興味を引いたのは、
音楽学校経営をビジネス・モデルとして確立した、
<新納重臣>という人の先見性、営業能力、実行力です。
1933年生まれで、鳥取県米子市で薬局を営む家の次男。
歌うことが好きなお母さんの影響で、
色々な歌を聴いて育ち、
「楽譜がなくとも、耳で覚えたそれらのメロディを
学校のオルガンで弾くのが楽しくてたまらなかった」
「誰にも手ほどきを受けないのに、探り弾きというのか、
耳で覚えたメロディを探っていくうちに、
いつのまにか両手で弾けるようになっていました。
われながら左手の和音がよくとれたものだと思います」とのこと。
ものごころがついて以来、ギター、ジャズバンドに熱中。
大学進学後、すぐ退学して、
美保飛行場(米子空港)の進駐軍PXで働き、通訳もこなしていた。
という、音感の良い少年だったようです。
PXで働きながらジャズ、C&W漬けの生活、
22歳で上京、大学生活を送りながら新宿歌舞伎町のジャズ喫茶通い、
<
即興演奏の重要性をいち早く感じ取っていた>
私より少し上の世代で、このように、
専門教育を受けなくても、音感でリズムや和音を体得し、
英語も商売もFeelingで成功してきた人の話はよく聞きます。
何となく羨ましい世代・・・じゃなくて、やはり才能か?
その後、新納氏は大学卒業、
大手ベッドメーカーに就職、完全歩合給の営業職に。
ニーズに合わせた独自の営業で抜群の成績を上げたそうな。
その後、河合楽器製作所に就職。
「銀行のファミリー向け社員寮をターゲットにする」という戦略で、
またもや全国のトップの営業マンに。
その後、顧客からの要請にヒントを得て、
<ピアノ教室を主宰して、その生徒にピアノを売る>方向へ。
教室が増えれば、講師の確保が必要になり、音大生のアルバイトを集め、
教室運営が順調にいけば、またピアノが売れ、講師が喜び、
という好循環が生まれ、
P.220「営業のおもしろさ、醍醐味を完全に知り尽くした」そうです。
ピアノブームが下火になってから、幼児リトミックに目をつけ、
講師養成の必要から学校を設立、音楽関係の殆どの仕事が学べるようにする。
そして、時代の流れは<シニア>!
P.224 「本音楽院に入学してくる学生たちには、必ず仕事を紹介します。
それが学生たちがいちばん望んでいることだと思うのです。
人を喜ばせる、人を満足させる。
結局これに尽きると思いますね」
新納氏の理想が実現し、多くの若い学生さんや、中高年が
音楽関係の仕事を得て、楽しく、高齢化社会の担い手になってくれれば
万々歳です。そのような社会に近づくよう、祈ります。
と、敢えて書くのは、
福祉の現場では、人手不足、低賃金、職業病(腰痛など)が当たり前の時代。
音楽療法など、素晴らしいケアが期待できるのは、
一部のボランティアに恵まれた病院組織や高齢者施設だけ、と聞くからです。
音楽療法士が、理学療法士や言語療法士のように、
病んだ人のQOLを上げるために必要な存在であると国が認めて、
多くの施設に配備されるよう、運動が必要だと思います。