最近、時間がなくてFacebookを見ない日が増えています。
が、たまに開けてみると素敵な書き込みに出会えます。
以下は坪田 知己氏の投稿です。感動したのでシェアさせて頂きます。
107歳になってわかったこと 篠田桃紅
篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、
1913年3月28日 - 2021年3月1日)は、日本の美術家、
版画家、エッセイスト。映画監督の篠田正浩は従弟。
これは亡くなられた歳(107歳)に書かれたものである。
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「人は、用だけを済ませて生きていくと、真実を見落として
しまいます。真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の
言葉のように、求めているところにはありません。
しかし、どこかにあります。
雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいい
と思っています。無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとられています
から、兆しには気がつかないものです。
無駄はとても大事です。無駄が多くならなければ、だめです。
お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きて
きません。安いから買っておこうというのとも違います。
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく
買ってしまう行為です。なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、
ふと、あとで思ってしまうことです。
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。
私は、3万円だと思って買ったバッグが30万円だったことが
ありました。ロを一つ見落としていたのです。
レジで値段を告げられて驚きましたが、いい買い物をしたと思って
います。何十年来とそのバッグを使っています。
そして、買ってしばらくしてから、そのバッグの会社オーナーが
私の作品を居間に飾っていることを雑誌で知って、
あらお互いさまね、と思いました。
時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、
1+1=2の人生です。
無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。
時間も無駄にしています。
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、
どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかも
しれません。つまらないものを買ってしまった。
ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。
無駄はよくなる必然だと思っています。
もし仮に、無駄のまったくない人生を生きてきた人がいたとしたら
どうだろう。
やることなすことすべてうまくいき、日の当たる場所や、
近道だけを選び、効率的で全く無駄のなかった人生。
もしいたとすればの話だが、およそつまらない人間がそこに存在
していることになる。人は、寄り道をしたり、道草をくったり、
どん底を味わったり、失敗や嫌な目に遭うという、人生の無駄を
経験するからこそ、人としての味や深みが出る。
「人生の余白」ともいうべき、人としての遊びや余韻の魅力だ。
「無用の用」という老子の言葉がある。
一見すると役に立たないようなことが、実は大きな役割を果たして
いるということ。 無駄のある人生も、時にいいものだ。
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