トニーのお嫁さん 益子から来た捨て猫 マリア
奔放で勝気、すばしっこくアビシニアのような美しい猫でした。
ホームページのアドレス http://home.a01.itscom.net/komaria/index.html
奔放で勝気、すばしっこくアビシニアのような美しい猫でした。
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大往生は魂の旅立ち
この20年、家族の一員だった雄猫トニーが天国に帰っていきました。
マリアという美しいお嫁さんが来て、可愛い4匹の子育て時代は絶頂期。
新居は居間の壁に「猫の事務所」という小屋をつけてもらい、床から
組み上げた楓の木を登って入り、遊んでいました。
気の強い小姑(先住の雌猫)との葛藤や嫁の出奔(!)にめげず、
「君子、危うきに近寄らず」に徹したせいか、綺麗な姿の最期でした。
まさに大往生と言える、その最期に学ぶものがたくさんあって、
今は「悲しいけれど、感謝!」の気持ちに満たされています。
その様子を少しお伝えしましょう。
一ヶ月前から食欲がなくなり、最後の2日間は水しか飲んでいません。
6kgもあった体重は2kg程に減少。顔を近づければ必ずゴロゴロと喉を鳴らしてくれたのに、
しっかりした目つきで横たわるだけです。時々、意外な強さで起き上がり、水を飲んでは
また横たわり、静かにお迎えを待っています。その眼差しからは、「十分に生きた。
色々あったけど、頑張った!さようなら!」というメッセージが読み取れます。
結婚して39年、常に猫がいて色々な出会いと別れを経験してきましたが、
こんな濃密な最期を共有できたことは初めてです。一緒に横たわりながら、
走馬灯のように巡る思い出をたくさん楽しみました。生き物に寿命がある以上、
必ず訪れる別れの時ですが、お互いの年齢と関わり方で、受け容れ方がこんなにも
違うのだ!と感じています。
それは私自身の20年後の姿かもしれない、という親近感のような気もします。
確実に言えるのは、交通事故で安楽死させざるをえなかったリサちゃんや、
天寿を全うできなかった他の猫ちゃんたちに比べて、飼い主としての安堵感、
満足感は計り知れないということです。
不慮の事故や、事件に巻き込まれる心配の多い時代ですが、一生懸命、
やりたいことをやって、良い思い出をたくさん作って旅立ちたいものです。
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この20年、家族の一員だった雄猫トニーが天国に帰っていきました。
マリアという美しいお嫁さんが来て、可愛い4匹の子育て時代は絶頂期。
新居は居間の壁に「猫の事務所」という小屋をつけてもらい、床から
組み上げた楓の木を登って入り、遊んでいました。
気の強い小姑(先住の雌猫)との葛藤や嫁の出奔(!)にめげず、
「君子、危うきに近寄らず」に徹したせいか、綺麗な姿の最期でした。
まさに大往生と言える、その最期に学ぶものがたくさんあって、
今は「悲しいけれど、感謝!」の気持ちに満たされています。
その様子を少しお伝えしましょう。
一ヶ月前から食欲がなくなり、最後の2日間は水しか飲んでいません。
6kgもあった体重は2kg程に減少。顔を近づければ必ずゴロゴロと喉を鳴らしてくれたのに、
しっかりした目つきで横たわるだけです。時々、意外な強さで起き上がり、水を飲んでは
また横たわり、静かにお迎えを待っています。その眼差しからは、「十分に生きた。
色々あったけど、頑張った!さようなら!」というメッセージが読み取れます。
結婚して39年、常に猫がいて色々な出会いと別れを経験してきましたが、
こんな濃密な最期を共有できたことは初めてです。一緒に横たわりながら、
走馬灯のように巡る思い出をたくさん楽しみました。生き物に寿命がある以上、
必ず訪れる別れの時ですが、お互いの年齢と関わり方で、受け容れ方がこんなにも
違うのだ!と感じています。
それは私自身の20年後の姿かもしれない、という親近感のような気もします。
確実に言えるのは、交通事故で安楽死させざるをえなかったリサちゃんや、
天寿を全うできなかった他の猫ちゃんたちに比べて、飼い主としての安堵感、
満足感は計り知れないということです。
不慮の事故や、事件に巻き込まれる心配の多い時代ですが、一生懸命、
やりたいことをやって、良い思い出をたくさん作って旅立ちたいものです。
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《ち》 腸内は 善玉菌で 超絶コントロール
○○を食べれば「痩せる」とか「健康になれる」という、○○という食品は有りません。
また、朝食を抜くべきか三食きちんと食べるべきかという議論にも「絶対コレ!」という
結論は出しえないと思います。
玄米・雑穀・納豆などの発酵食品・豆製品・旬の魚に海草・根菜・緑黄色野菜・・・・
確かにこれらは現代の健康食品の代表選手ですし、私も毎日食べていて、絶好調です。
「じゃあやっぱり玄米も食べなきゃダメなのね??」と考えるアナタ、それは考え違いです。
玄米を食べるなら良~く噛むことが必要ですし、炒り胡麻や常備菜、漬物と味噌汁程度で
十分お腹が張って、他のおかずはいらなくなってしまうのです。
これを勘違いして、玄米+肉か魚のメインディッシュ、サラダにスープにデザートなどを
食べまくると、たちまち腸内細菌叢が悪くなります。
何故分かるかというと、排便の回数が減り、身体の動きも重くなるからです。
私の個人的な絶好調状態は
1.起きたて排便があり、
2.朝食(具なし味噌汁+コーヒー+リンゴ1/4切れ)後に2度目の排便があり、
3.昼にたっぷりゆっくり玄米食
4.夜は普通のおかずに手作りくるみパン
5.1日1回、1時間以上の運動を楽しむ
という生活の時に実感しています。
玄米歴は20歳くらいからですが、最近まで、これほど良い感じではありませんでした。
「最近」というのは、膝痛になり、自力整体を知って整体法・整食法・整心法を始めた時です。
膝の痛みを治し、百名山やトレッキングに行けるなら何でもしようと思いました。
矢上先生の整食法は特別な食品をとる必要もなく、自分で整体をしながら食べ方をちょっと
変えるだけなので、「時間もお金も浮く上に、心身ともに軽くなる」という、ご利益つきです。
でも「朝食抜き」という一語に拒否反応しか沸かない方には向いていないかもしれません。
何とかして冷えとか痛みを克服したいという動機やチャレンジ精神、実験精神が必要です。
私は山行や海外旅行の度に実験感覚で食べ方を変え、体調や便の具合を観察しています。
実は支払い済みの朝食を食べないのが悔しいだけかもしれませんが、郷に入らば郷に従え!
B&Bやホテルの朝食はしっかりいただきます。(選択可能な山小屋の朝食はスキップです。)
だからお昼はお腹がすかないかと思いきや、結構空腹になるものです。(←いわゆる偽腹)
その上、珍しい料理に挑戦もしたいので、普段より食べること食べること!
すると、排便は起きたてのみで、一日一回になり、身体がどんどん重くなってきます。
10日間の北欧旅行から帰国した時は2.5kg増でした。でも、玄米と和風のおかずに戻してすぐ、
排便は2回にもどり、体重も殆ど回復です。
人の大腸には500種類、100兆~400兆個の細菌が棲んでいて、総量は約1.5kgだそうです。
そのうち
善玉菌:ビフィズス菌・乳酸菌のような健康に良いもの。全体の20%
悪玉菌:大腸などの健康を損なう。全体の5%
日和見菌:全体の75% だそうです。
日々の食事の内容や質も大切ですが、ストレスや疲労・病気でも悪玉菌が優勢になります。
善玉菌を優位に保ち、好調を意識することが大切です。同時に、不調になっても
自分で生活を変え、自分の意思で回復できるんだ!という自信を持ちましょう。
○○を食べれば「痩せる」とか「健康になれる」という、○○という食品は有りません。
また、朝食を抜くべきか三食きちんと食べるべきかという議論にも「絶対コレ!」という
結論は出しえないと思います。
玄米・雑穀・納豆などの発酵食品・豆製品・旬の魚に海草・根菜・緑黄色野菜・・・・
確かにこれらは現代の健康食品の代表選手ですし、私も毎日食べていて、絶好調です。
「じゃあやっぱり玄米も食べなきゃダメなのね??」と考えるアナタ、それは考え違いです。
玄米を食べるなら良~く噛むことが必要ですし、炒り胡麻や常備菜、漬物と味噌汁程度で
十分お腹が張って、他のおかずはいらなくなってしまうのです。
これを勘違いして、玄米+肉か魚のメインディッシュ、サラダにスープにデザートなどを
食べまくると、たちまち腸内細菌叢が悪くなります。
何故分かるかというと、排便の回数が減り、身体の動きも重くなるからです。
私の個人的な絶好調状態は
1.起きたて排便があり、
2.朝食(具なし味噌汁+コーヒー+リンゴ1/4切れ)後に2度目の排便があり、
3.昼にたっぷりゆっくり玄米食
4.夜は普通のおかずに手作りくるみパン
5.1日1回、1時間以上の運動を楽しむ
という生活の時に実感しています。
玄米歴は20歳くらいからですが、最近まで、これほど良い感じではありませんでした。
「最近」というのは、膝痛になり、自力整体を知って整体法・整食法・整心法を始めた時です。
膝の痛みを治し、百名山やトレッキングに行けるなら何でもしようと思いました。
矢上先生の整食法は特別な食品をとる必要もなく、自分で整体をしながら食べ方をちょっと
変えるだけなので、「時間もお金も浮く上に、心身ともに軽くなる」という、ご利益つきです。
でも「朝食抜き」という一語に拒否反応しか沸かない方には向いていないかもしれません。
何とかして冷えとか痛みを克服したいという動機やチャレンジ精神、実験精神が必要です。
私は山行や海外旅行の度に実験感覚で食べ方を変え、体調や便の具合を観察しています。
実は支払い済みの朝食を食べないのが悔しいだけかもしれませんが、郷に入らば郷に従え!
B&Bやホテルの朝食はしっかりいただきます。(選択可能な山小屋の朝食はスキップです。)
だからお昼はお腹がすかないかと思いきや、結構空腹になるものです。(←いわゆる偽腹)
その上、珍しい料理に挑戦もしたいので、普段より食べること食べること!
すると、排便は起きたてのみで、一日一回になり、身体がどんどん重くなってきます。
10日間の北欧旅行から帰国した時は2.5kg増でした。でも、玄米と和風のおかずに戻してすぐ、
排便は2回にもどり、体重も殆ど回復です。
人の大腸には500種類、100兆~400兆個の細菌が棲んでいて、総量は約1.5kgだそうです。
そのうち
善玉菌:ビフィズス菌・乳酸菌のような健康に良いもの。全体の20%
悪玉菌:大腸などの健康を損なう。全体の5%
日和見菌:全体の75% だそうです。
日々の食事の内容や質も大切ですが、ストレスや疲労・病気でも悪玉菌が優勢になります。
善玉菌を優位に保ち、好調を意識することが大切です。同時に、不調になっても
自分で生活を変え、自分の意思で回復できるんだ!という自信を持ちましょう。
《い》 インプラントの意外な痛み
恥ずかしながら35歳の時に、「口の中は80歳」と歯医者さんから宣告されました。
「貴女は外見は逞しくて健康そうに見えるけど・・・・」というおまけつきです。
その結果、昨年11月10日のブログにあるような半身浴・歯磨きの習慣がついたので、
「災い転じて福となった」と思っていました。
が、夜毎磨いても、日毎健康に留意して精進しても、歯には寿命と言うものがあり、
駄目になったら補いをせねばなりません。昨年来、時折痛んできた私の右下の2本が、
ついに寿命を迎えたので、抜いてインプラントにすることを決意しました。
3ヶ月以上前に抜歯を済ませ、手術は年明け早々の予定だったのに、山行や北欧旅行などで
伸び伸びになり、今日3/12になり、午後2時間の手術を受け、帰宅したところです。
インプラントについては諸説あり、思案のしどころでした。理由は
1.日本人には向いていない。(顎の骨の質や構造が欧米人と違って弱い)
2.費用が高い。
3.施術例が少なく、失敗の可能性もある。(骨に穴をあけて異物を埋め込むのだから)
それでも私が決心したのは
1.最近の技術革新で、素材のチタンと顎の骨の馴染みが非常に良くなってきている。
2.入れ歯やブリッジは管理が面倒だし、健康な歯への負担が大きいので長期的にには損。
3.上手くいけば、自分の歯と同じように噛めるし、管理が楽。
一番重要なファクターは、
4.もっと高齢になって、骨密度や健康状態が悪くなってからでは活着し難いらしい。
植物の接木のようですが、「ある程度、組織がしっかりしていて、全身状態が良い時が
ベスト」という、信頼する歯医者さんの勧めで決心した訳です。所要時間は2時間。
麻酔のおかげで、外科的な痛みは通常の範囲です。では、何が意外な痛みだったのか??
歯医者さんからのブックレットの他に、インプラントに関する本を2冊ほど読み、
この手術の難しさや問題点は理解していました。だって、顎の骨のMRIを読み解いて、
血管や神経に触らない深さで、なるべくしっかりと心棒を埋め込まねばなりません。
私の場合、当初90分の施術予定が120分に伸びたのは、やはり抜いた部分の組織が弱くて
神経に近いところまで細心の注意で掘り進む必要があったからだそうです。
口を開けっ放しで顎は疲れるし、何より、長時間のガリガリで、もし失敗したら・・・という
不安が心を占領し始めたのです。
また、長い長い手術時間のおかげで、
「あ~、これでまた、天から借りている身体の一部が自然でなくなった!」という
悲しみが胸の痛みとなったようです。
友人の中には「歯はまだ無傷よ!」という人もいるし、総入れ歯の人もいます。
還暦を迎えたということは、
「使いまくって傷んだ身体を大事に修理しながら最期までやりくりする」ということだと、
妙に納得させられた一日でした。
恥ずかしながら35歳の時に、「口の中は80歳」と歯医者さんから宣告されました。
「貴女は外見は逞しくて健康そうに見えるけど・・・・」というおまけつきです。
その結果、昨年11月10日のブログにあるような半身浴・歯磨きの習慣がついたので、
「災い転じて福となった」と思っていました。
が、夜毎磨いても、日毎健康に留意して精進しても、歯には寿命と言うものがあり、
駄目になったら補いをせねばなりません。昨年来、時折痛んできた私の右下の2本が、
ついに寿命を迎えたので、抜いてインプラントにすることを決意しました。
3ヶ月以上前に抜歯を済ませ、手術は年明け早々の予定だったのに、山行や北欧旅行などで
伸び伸びになり、今日3/12になり、午後2時間の手術を受け、帰宅したところです。
インプラントについては諸説あり、思案のしどころでした。理由は
1.日本人には向いていない。(顎の骨の質や構造が欧米人と違って弱い)
2.費用が高い。
3.施術例が少なく、失敗の可能性もある。(骨に穴をあけて異物を埋め込むのだから)
それでも私が決心したのは
1.最近の技術革新で、素材のチタンと顎の骨の馴染みが非常に良くなってきている。
2.入れ歯やブリッジは管理が面倒だし、健康な歯への負担が大きいので長期的にには損。
3.上手くいけば、自分の歯と同じように噛めるし、管理が楽。
一番重要なファクターは、
4.もっと高齢になって、骨密度や健康状態が悪くなってからでは活着し難いらしい。
植物の接木のようですが、「ある程度、組織がしっかりしていて、全身状態が良い時が
ベスト」という、信頼する歯医者さんの勧めで決心した訳です。所要時間は2時間。
麻酔のおかげで、外科的な痛みは通常の範囲です。では、何が意外な痛みだったのか??
歯医者さんからのブックレットの他に、インプラントに関する本を2冊ほど読み、
この手術の難しさや問題点は理解していました。だって、顎の骨のMRIを読み解いて、
血管や神経に触らない深さで、なるべくしっかりと心棒を埋め込まねばなりません。
私の場合、当初90分の施術予定が120分に伸びたのは、やはり抜いた部分の組織が弱くて
神経に近いところまで細心の注意で掘り進む必要があったからだそうです。
口を開けっ放しで顎は疲れるし、何より、長時間のガリガリで、もし失敗したら・・・という
不安が心を占領し始めたのです。
また、長い長い手術時間のおかげで、
「あ~、これでまた、天から借りている身体の一部が自然でなくなった!」という
悲しみが胸の痛みとなったようです。
友人の中には「歯はまだ無傷よ!」という人もいるし、総入れ歯の人もいます。
還暦を迎えたということは、
「使いまくって傷んだ身体を大事に修理しながら最期までやりくりする」ということだと、
妙に納得させられた一日でした。
デンマーク報告③ 認知症または高度要介護者ケアの実態
話は前後しますが、3日間の研修の2日目は統合ケアセンターの訪問でした。
何が統合されているかというと、介護・医療・生活の全てが統合されているのです。
以前は、現在の日本と同じように「在宅が無理になったら施設へ」という流れで、
3つの分野の連携プレーがスムーズでなかったそうです。
この状態から、「コンパクトな住居を介護&医療の場所(在宅ケア)に」変えたおかげで、
高齢者の生活の場に介護と医療の両方が直結した訳です。
私も実際に居室を見せていただくまでは明確に想像できませんでした。それを分かり易く
表現するなら、多分、以下のような感じです。
1.広々とした高級老人ホーム的な個室(当然、趣味の絵や生花が飾られている)に
2.毎日ヘルパーや必要な医療担当者が訪ねてきてくれて、
3.本人の残存機能を最大限保持させるためのケアを受けられ、
4.かかる費用は税金で賄われる。
5.医療&介護する側も、移動距離が短くてすみ、相談体制が整って、
効率的な仕事ができる。
6.全て本人の同意・納得が得られるよう根気良い努力が続けられている。
7.家族は精神的な支えとして、毎日電話したり、気軽に訪ねてきたりするが、
介護に関してはプロに任せる。
8.要介護の高齢者自身も、若いものの生活を犠牲にさせるような事態を決して望まない。
日本からの介護関係者は、北欧諸国の施設を見学したり研修を受けても、
「これは日本では無理だ!」と初めから諦めムードのようです。それは昨日書いたように、
日本にはソフトとハードの二つを統合する人と予算システムが無いし、介護を受ける側にも
遠慮や複雑な感情・事情があるので直ぐに「日本では難しい!」という言葉に繋がるのだと
思います。
とにかく日本には「介護者の健康を守る法律も技術を統括して教育現場に生かしていく
システムもないわけですから。それでもここは、小島ブンゴード孝子さんが著書で書かれているように、
誰かが(出来るだけたくさんの人が)出来る範囲で少しずつ改善を試みて、
その成果を多くの人が共有できるよう、伝えあうシステムを育てていくしかないようです。
旅行の後半、スエーデンに立ち寄りました。観光名所のガムラ・スタンではたくさんの
福祉系大学生が目に付き、若い歓声(嬌声?)が溢れていました。
この中の何人が身体を壊さずに、魅力的な専門家として育ってくれるのか、甚だ不安ですが、
頑張ってもらうほか有りません。それ以前に、要介護の次世代予備軍である団塊世代が、
整食・整心・整体を心がけ、健康は自分でつくりだすものだという意識を強く持って、
「介護なんて要らないぜ!」と叫べる老後を迎えたいものです。
*写真は、個室でなく、洒落た談話室で陽気なお喋りを楽しむレディーです。
ご本人と介護の方の許可を得て撮らせていただきました。
話は前後しますが、3日間の研修の2日目は統合ケアセンターの訪問でした。
何が統合されているかというと、介護・医療・生活の全てが統合されているのです。
以前は、現在の日本と同じように「在宅が無理になったら施設へ」という流れで、
3つの分野の連携プレーがスムーズでなかったそうです。
この状態から、「コンパクトな住居を介護&医療の場所(在宅ケア)に」変えたおかげで、
高齢者の生活の場に介護と医療の両方が直結した訳です。
私も実際に居室を見せていただくまでは明確に想像できませんでした。それを分かり易く
表現するなら、多分、以下のような感じです。
1.広々とした高級老人ホーム的な個室(当然、趣味の絵や生花が飾られている)に
2.毎日ヘルパーや必要な医療担当者が訪ねてきてくれて、
3.本人の残存機能を最大限保持させるためのケアを受けられ、
4.かかる費用は税金で賄われる。
5.医療&介護する側も、移動距離が短くてすみ、相談体制が整って、
効率的な仕事ができる。
6.全て本人の同意・納得が得られるよう根気良い努力が続けられている。
7.家族は精神的な支えとして、毎日電話したり、気軽に訪ねてきたりするが、
介護に関してはプロに任せる。
8.要介護の高齢者自身も、若いものの生活を犠牲にさせるような事態を決して望まない。
日本からの介護関係者は、北欧諸国の施設を見学したり研修を受けても、
「これは日本では無理だ!」と初めから諦めムードのようです。それは昨日書いたように、
日本にはソフトとハードの二つを統合する人と予算システムが無いし、介護を受ける側にも
遠慮や複雑な感情・事情があるので直ぐに「日本では難しい!」という言葉に繋がるのだと
思います。
とにかく日本には「介護者の健康を守る法律も技術を統括して教育現場に生かしていく
システムもないわけですから。それでもここは、小島ブンゴード孝子さんが著書で書かれているように、
誰かが(出来るだけたくさんの人が)出来る範囲で少しずつ改善を試みて、
その成果を多くの人が共有できるよう、伝えあうシステムを育てていくしかないようです。
旅行の後半、スエーデンに立ち寄りました。観光名所のガムラ・スタンではたくさんの
福祉系大学生が目に付き、若い歓声(嬌声?)が溢れていました。
この中の何人が身体を壊さずに、魅力的な専門家として育ってくれるのか、甚だ不安ですが、
頑張ってもらうほか有りません。それ以前に、要介護の次世代予備軍である団塊世代が、
整食・整心・整体を心がけ、健康は自分でつくりだすものだという意識を強く持って、
「介護なんて要らないぜ!」と叫べる老後を迎えたいものです。
*写真は、個室でなく、洒落た談話室で陽気なお喋りを楽しむレディーです。
ご本人と介護の方の許可を得て撮らせていただきました。
《て》 テーマを決めて暮らす手順 デンマーク報告②
デンマークにあって日本にないものって何だろう?と考えています。
その答えの一つを、昨日の全寮制高齢者国民高等学校の訪問で見たような気がします。
学ぶ意欲:新聞や本を読むとか、テレビの教養番組を見ることとは違います。
「学ぶ」とは、きちんとテーマを決め、目標を持って知識を得て、
さらにそれをアウトプットする(=行動に移す)ことだそうです。
そういう意味で、生活の中に「学習活動」がある人は、どのくらい居るでしょうか?
美しくて使いやすい建物:素敵なホールの存在は知っています。が、多くの場合、
使用料が高く、数も少なく、市民が気楽に発表会や稽古に
使える状況ではありません。
この二つを統合する人と予算システム:これが日本で一番欠落している要素だと思います。
学ぶ意欲に応える、優秀な講師陣を揃えること。学ぶ側と指導する側、
双方にとって使い勝手の良い教室と設備。居心地良く、美しい環境など、
厳しい予算管理の下で維持されるソフトとハードのことです。
今回訪れたマリエリスト高齢者高等学校は海辺のリゾート地にあり、緑あふれる敷地の
玄関脇にそびえるコンサートホールの素晴らしいこと!ステージの背中と屋根は
ガラス張りで青空と松林の緑が映え、音響工学を駆使した石壁はシンプルな白です。
9時からの朝礼では必ず生演奏があるそうで、各科の先生がピアノやフルート、
ヴァイオリンなどで伴奏。生徒と一緒に歌い、美しい響きと外の自然が調和して
本当に心地よい空間となっていました。
<因みに私たちが訪ねたこの日は、「さくら」を演奏してくださって、一緒に歌い、
楽しみました。>
圧巻は、このホールでのレクチャーに入る時で、ガラスの壁(ペアガラス)の中を
ブラインドがせり上がり、真っ暗にすることが可能です。同時にスライド用スクリーンが
下りてきて、レクチャーを分かり易いものにします。生徒さんは、杖や補助具を使われて
いても、自分で自分のことが出来れば何歳でもオーケーだそうです。
日本にも学ぶ意欲満々の人はたくさん居ます。カルチャーセンターは大変な盛況ですし、
リタイヤしてから大学へ入りなおしたり、資格をとってキャリアアップを目指す友人も
何人もいます。問題はその費用です。学校やカルチャー、ジムは全て有料ですから、
それなりの生活設計と貯金がなければできません。快適な場所で合宿や成果発表会を
持とうとするなら、さらなるお金が必要です。最近はインターネットの普及で、何処に
どんな施設があり、使用料はいくらかかるか?などの情報は集めやすくなりました。
が、インターネットを自由に使える環境にない高齢者にとっては、良い環境とはいえません。
デンマークでは高齢者高等学校でも街のアクティビティセンターでもパソコン教室が
あって、大勢の人が先輩や講師の助けを借りて色々なソフトに挑戦していました。
アクティビティとしては、洋裁・工作・健康体操・コーラス・陶芸・絵付け・英会話など
多彩なプログラムがあります。
全寮制国民高等学校の場合、2週間の受講料と食事込み宿泊基本料金は、
一人約45,000円ですが、収入の少ない人には国や市から援助金が出るそうです。
そのため、国民年金だけで生活している人でも十分参加できます。
これらを支えるのは、生まれた時から奨励され続けている「自分がやりたいこと
(勉強でも生活でも)は全て自分で決める」という人生哲学と税金です。収入の半分近くを
税金として納めるのですから、その使い道には厳しい目が注がれています。
一旦決まったことも、毎年見直しがあり、管理する側と使用者側が細かい相談を繰り返して、
頻繁に改良していくそうです。
日本の庶民は、お上の決めたことに唯々諾々と従うだけの歴史が長かったので、
自己責任で考え、選びとっていく作業や概念に慣れていないと思います。
でも、時代はどんどん変化しています。私たちの意識も迅速に変えながら、
大切なものは残し、
必要なこと(自分で考えること、税金や政治を自分たちのこととして捉えることなど)に
目を向けなければいけないと、痛切に思いました。
デンマークにあって日本にないものって何だろう?と考えています。
その答えの一つを、昨日の全寮制高齢者国民高等学校の訪問で見たような気がします。
学ぶ意欲:新聞や本を読むとか、テレビの教養番組を見ることとは違います。
「学ぶ」とは、きちんとテーマを決め、目標を持って知識を得て、
さらにそれをアウトプットする(=行動に移す)ことだそうです。
そういう意味で、生活の中に「学習活動」がある人は、どのくらい居るでしょうか?
美しくて使いやすい建物:素敵なホールの存在は知っています。が、多くの場合、
使用料が高く、数も少なく、市民が気楽に発表会や稽古に
使える状況ではありません。
この二つを統合する人と予算システム:これが日本で一番欠落している要素だと思います。
学ぶ意欲に応える、優秀な講師陣を揃えること。学ぶ側と指導する側、
双方にとって使い勝手の良い教室と設備。居心地良く、美しい環境など、
厳しい予算管理の下で維持されるソフトとハードのことです。
今回訪れたマリエリスト高齢者高等学校は海辺のリゾート地にあり、緑あふれる敷地の
玄関脇にそびえるコンサートホールの素晴らしいこと!ステージの背中と屋根は
ガラス張りで青空と松林の緑が映え、音響工学を駆使した石壁はシンプルな白です。
9時からの朝礼では必ず生演奏があるそうで、各科の先生がピアノやフルート、
ヴァイオリンなどで伴奏。生徒と一緒に歌い、美しい響きと外の自然が調和して
本当に心地よい空間となっていました。
<因みに私たちが訪ねたこの日は、「さくら」を演奏してくださって、一緒に歌い、
楽しみました。>
圧巻は、このホールでのレクチャーに入る時で、ガラスの壁(ペアガラス)の中を
ブラインドがせり上がり、真っ暗にすることが可能です。同時にスライド用スクリーンが
下りてきて、レクチャーを分かり易いものにします。生徒さんは、杖や補助具を使われて
いても、自分で自分のことが出来れば何歳でもオーケーだそうです。
日本にも学ぶ意欲満々の人はたくさん居ます。カルチャーセンターは大変な盛況ですし、
リタイヤしてから大学へ入りなおしたり、資格をとってキャリアアップを目指す友人も
何人もいます。問題はその費用です。学校やカルチャー、ジムは全て有料ですから、
それなりの生活設計と貯金がなければできません。快適な場所で合宿や成果発表会を
持とうとするなら、さらなるお金が必要です。最近はインターネットの普及で、何処に
どんな施設があり、使用料はいくらかかるか?などの情報は集めやすくなりました。
が、インターネットを自由に使える環境にない高齢者にとっては、良い環境とはいえません。
デンマークでは高齢者高等学校でも街のアクティビティセンターでもパソコン教室が
あって、大勢の人が先輩や講師の助けを借りて色々なソフトに挑戦していました。
アクティビティとしては、洋裁・工作・健康体操・コーラス・陶芸・絵付け・英会話など
多彩なプログラムがあります。
全寮制国民高等学校の場合、2週間の受講料と食事込み宿泊基本料金は、
一人約45,000円ですが、収入の少ない人には国や市から援助金が出るそうです。
そのため、国民年金だけで生活している人でも十分参加できます。
これらを支えるのは、生まれた時から奨励され続けている「自分がやりたいこと
(勉強でも生活でも)は全て自分で決める」という人生哲学と税金です。収入の半分近くを
税金として納めるのですから、その使い道には厳しい目が注がれています。
一旦決まったことも、毎年見直しがあり、管理する側と使用者側が細かい相談を繰り返して、
頻繁に改良していくそうです。
日本の庶民は、お上の決めたことに唯々諾々と従うだけの歴史が長かったので、
自己責任で考え、選びとっていく作業や概念に慣れていないと思います。
でも、時代はどんどん変化しています。私たちの意識も迅速に変えながら、
大切なものは残し、
必要なこと(自分で考えること、税金や政治を自分たちのこととして捉えることなど)に
目を向けなければいけないと、痛切に思いました。