1年に3回ほど、六郷土手に行くが、今まで居酒屋に行ったことはない。
この町は、多摩川を渡る宿場町として栄えていたらしい。
2年ほど前、時間があって駅の北側を散策すると、細い小路に昔ながらの宿が密集しているのを見つけたことがある。
当然だろう。
多摩川を渡る前に一泊するのは当然の二-ズだ。
ということは、ここには多くの酒場があって然るべきだが現実はそれほど多くもない。
恐らく、最盛期にはもっと居酒屋も軒を連ねていたことだろう。
だが、今は駅の北側にほんの少しの店だけだ。
ちなみに駅の南口というものはない。
この駅が東京の最南端の駅だからである。
つまり、駅の南側はすぎに多摩川の河川敷になってしまうのだ。
その六郷土手の駅南口を出て徒歩30秒ほどのとこに、「山ゆう」という居酒屋がある。
以前からわたしは気になっていた。
何故なら、店名が我が娘の名前の57.1%ほど共通するからである。
10月の終わり、ある風邪の強い日、六郷土手から直帰するという用事もあって、私は「山ゆう」の暖簾をくぐったのである。
店は意外と広い。
面積の半分はたたきになっており、その向こうは座敷だ。
店内は暗く、辛気臭い。
だが、この風景は妙に懐かしさを感じる。
そうだ、田舎のおばあちゃんチのようだ。
カウンターの木は随分と長いこと使われているようで黒ずんでいる。
生ビールを頼んだ。
お通しは「ポテトサラダ」。
ベテランの男性が厨房に立っているからか。ビールの注ぎ方はやや雑。
ビールはタイムサービスということで50円引きの380円はお得感あり。
ポテサラは手作りだが、ややパサパサしているのは気のせいか。
「煮込み」を頼む。
目の前が厨房なので、調理の様子が一目瞭然なのだが、煮込みは冷蔵庫から取り出し、小鍋で温め始めた。
あまり期待はできなさそうだ。
待たされること10分。温め終わった「煮込み」は量こそ多くて満足だが、これといったパンチがない。
やはり、「煮込み」は大鍋で煮込むものが最高だ。
生ビールを飲み終わった頃に「煮込み」が来たので手持ち無沙汰になった。
「ハイワサー」(350円)を頼むことに。
これはすっきりとしてウマ。
「煮込み」によく合う。
店はおばあちゃんチのように落ち着け、ゆっくりとした気分に浸れるものの、食べ物も田舎料理のようだった。田舎料理を否定しているわけではないが、夏休みに行くおばあちゃんチで苦手なものはトイレと食べものだった。
これは演出ではないのだろうが、「山ゆう」はそんなおばあちゃんチに行った記憶を揺りこしてくれた。
この町は、多摩川を渡る宿場町として栄えていたらしい。
2年ほど前、時間があって駅の北側を散策すると、細い小路に昔ながらの宿が密集しているのを見つけたことがある。
当然だろう。
多摩川を渡る前に一泊するのは当然の二-ズだ。
ということは、ここには多くの酒場があって然るべきだが現実はそれほど多くもない。
恐らく、最盛期にはもっと居酒屋も軒を連ねていたことだろう。
だが、今は駅の北側にほんの少しの店だけだ。
ちなみに駅の南口というものはない。
この駅が東京の最南端の駅だからである。
つまり、駅の南側はすぎに多摩川の河川敷になってしまうのだ。
その六郷土手の駅南口を出て徒歩30秒ほどのとこに、「山ゆう」という居酒屋がある。
以前からわたしは気になっていた。
何故なら、店名が我が娘の名前の57.1%ほど共通するからである。
10月の終わり、ある風邪の強い日、六郷土手から直帰するという用事もあって、私は「山ゆう」の暖簾をくぐったのである。
店は意外と広い。
面積の半分はたたきになっており、その向こうは座敷だ。
店内は暗く、辛気臭い。
だが、この風景は妙に懐かしさを感じる。
そうだ、田舎のおばあちゃんチのようだ。
カウンターの木は随分と長いこと使われているようで黒ずんでいる。
生ビールを頼んだ。
お通しは「ポテトサラダ」。
ベテランの男性が厨房に立っているからか。ビールの注ぎ方はやや雑。
ビールはタイムサービスということで50円引きの380円はお得感あり。
ポテサラは手作りだが、ややパサパサしているのは気のせいか。
「煮込み」を頼む。
目の前が厨房なので、調理の様子が一目瞭然なのだが、煮込みは冷蔵庫から取り出し、小鍋で温め始めた。
あまり期待はできなさそうだ。
待たされること10分。温め終わった「煮込み」は量こそ多くて満足だが、これといったパンチがない。
やはり、「煮込み」は大鍋で煮込むものが最高だ。
生ビールを飲み終わった頃に「煮込み」が来たので手持ち無沙汰になった。
「ハイワサー」(350円)を頼むことに。
これはすっきりとしてウマ。
「煮込み」によく合う。
店はおばあちゃんチのように落ち着け、ゆっくりとした気分に浸れるものの、食べ物も田舎料理のようだった。田舎料理を否定しているわけではないが、夏休みに行くおばあちゃんチで苦手なものはトイレと食べものだった。
これは演出ではないのだろうが、「山ゆう」はそんなおばあちゃんチに行った記憶を揺りこしてくれた。
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