新梅田食堂街の熱気が好きだ。東京の新橋とは違うパワーを感じる。
大阪には、粘り気のある、いかにも生きるために飲むぞ!という意気込みがある。大阪はやっぱり生きるために働き、働くために食べて、街が動いているようだ。
この広大な食堂街でもその強靭なパワーに、一応東京の立ち飲みで鍛えられたと自負する者でも、ちょっと躊躇させられるものがある。それをパワーという言葉に置き換えたが、フォースと言っていいかもしれない。聖なるものではなく、あくまで俗っぽいのだが、この新梅田食堂街ですれ違う酔人は誰もが達観した表情をしており、一瞬マスター・ヨーダに重なって見えるときがあるからだ。
大阪という街はすごい。
その新梅田食堂街を歩いた。蕎麦のようなものを食べて〆たかったが、目の前に突如として現れた、たこ焼き屋に衝撃を覚えた。
円柱形の店舗。いや、そもそも店舗の形態として成立しているのか見分けがつかない。この食堂街は雑多だが、一応区画があって、店舗があった。それなりの秩序によって構成されている。だが、このたこ焼き「シオヤ」は通路に突如生えてきたというあんばいである。だが、円柱の店舗には、しっかりと蛇腹のシャッターがついており、正真正銘の店舗であることが分かった。
しかし、なんという狭さだろう。それはさながら小屋を連想した。ふらいんぐふりーまん師がいうところのハット小屋である。果たして、この小屋にたこ焼き器が完備されているのかとつい疑いたくなる。
近づいてみると、「生ビール」が売っていることが分かった。
「生ビール」の小が200円。大が290円と書いてある。
なんて安いのか。
だが、生ビールを買ってもどこで飲むのだろう。客席が見当たらないからてっきりテイクアウトの店だろうと踏んでいたが、そうではなかった。
店舗をつぶさに観察すると微かにカウンターテーブルがある。そのカウンターの奥行は10cmにも満たないかもしれない。
ボクは店頭に立ち、たこ焼きと生ビールの大を頼んだ。
たこ焼きは8個入りで230円。しめて520円である。
店はおばちゃんが切り盛りしていた。
「いつもは10時には店を閉めているんだけどね。今日はなんとなく開けてたんだよ」。
ボクはラッキーだったようだ。
生ビールはセルロイドカップで出てきたが、しっかり冷えていて、おいしい。この極狭の店でたこ焼き器とビールサーバーが設備されているとは到底思えなかった。
そして、たこ焼きのうまいことと言ったら。
さすが本場。玉は小ぶりだが、出しが違う。クリーミーな生地は、練りが違う。だから、生地のきめが細かい。
いやはやうまい。熱々。そしてコリコリのたこ。
店頭に「熱烈歓迎」と書かれたポスターが貼られている。
ボクはおばちゃんに「中国人も来られるんですね」と軽い気持ちでいうと、おばちゃんは真顔になって、中国人のマナーの悪さについて、愚痴をいい始めた。
おばちゃんはよほど腹に据えかねているのだろう。おばちゃんの舌鋒は鋭かった。
熱烈な歓迎ではないようなのだ。
だが、おばちゃんの話はただの嫌味ではなかった。話はブラックだが、笑えるところに救いがある。これが大阪なのだ。大阪のおばちゃんの話はうまい酒の肴なのかもしれない。
たこがつく店は何故かせまい。
そういえば、新橋にある「たこすけ」も極狭である。
だが、圧倒的に「シオヤ」の方が狭い。
それはまるで、たこ壺のようである。
この決めだけでも、この記事には素晴らしい価値があるよ。(笑)
ちなみにハット小屋、ここより広かったと思うよ。(笑)
しかし、ここの中にいるおばちゃんもずっと立ってるくらい狭いんじゃないの?小さな丸椅子くらいあんのかな?
記事中にもあるけれど、新橋に「たこすけ」という、これもまた極狭な立ち飲みがあって、とても偶然とは思えないものを感じるところだ。
確かにハット小屋、横になれる分、広いね。
しかし、ハット小屋ネタでもう20年近く引っ張ってるよねぇ。
「シオヤ」は多分丸椅子みたいなのあるでしょう。おばちゃん、そう若くなかったし。まさか、立ちっぱなしは辛いよ。