シンガポールからマラッカへ向かうには、長距離バスが便利なようだった。
国境のジョホールバルで乗り換える必要がないのはもとより、バス自体も豪華だったからだ。
実際、シートはフカフカでエアコンも効きすぎるくらいに冷えていた。
こんなバスは初めてだった。
アジアのバスにおいて「デラックスバス」と称するものを額面通りに受け止めてはならない。たいていはぼろバスだからだ。日本のバスがきれいすぎるというのもあるだろう。だが、明らかにはなから「デラックス」など存在もしないのに、そうした呼称を付けているようなものもあった。
ともあれ、シンガポールのバスは快適そのものだった。
ジョホールバル。
日本人、とりわけサッカーが好きな日本人にとってジョホールバルは、マレーシア側の国境の町というイメージより、サッカー日本代表が初めてワールドカップ出場を決めた地としての印象が強いはずである。ジョホールバルのイミグレーションに降りて、なんとなくあの歓喜の痕跡を探そうとしても、ここが単なるイミグレであることに変わりはなく、無機質な建物と無愛想な役人の流れ業務の入国審査だけが、わたしのジョホールバル体験となった。
なんとも呆気ない、味気ない国境超えだった。
一路マラッカへと走りはじめたバスはすっかり車窓の景色を一変させていた。
濃い緑色をした、いかにも南国の密林が視界に広がっている。
あれが天然ゴムのプランテーションなのか。
バスや鉄道の車窓は各国の姿を切り取るひとつの額のような気がする。
上海からここに至るまで、幾つものシーンを、この車窓のフレームを通して見てきた。それは、その国、その町、そしてそこに住む人々の風景を如実に表していた。だけど、そこに見えるものはただの風景などではなく、そこに住む人々の心の有りようを映しているようにも感じる。
わたしは旅人である。ただ通り過ぎていくだけの旅人。
きっと、この先もわたしは幾つもの町を通過し、その度に車窓を通してその風景を見ていくことになるだろう。だが、一瞬にして消えてしまうその風景を出来うるだけ心にとどめ、そこで生きる人々に思いを馳せていければと思うのだ。
マラッカに着いたのは午後3時。それから、安宿にバックパックを置いて、ベッドに腰を落ち着けたのがもう4時を回る頃合いだった。
ここから海はすぐのようだった。
わたしは、シャワーを浴びると海へと急いだ。
日没までには、まだだいぶ時間があったが、わたしはもう居ても立ってもいられなくなった。
マラッカ海峡に沈む、その大きな夕陽を早く見届けたいという気持ちを抑えられなかったのだ。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
国境のジョホールバルで乗り換える必要がないのはもとより、バス自体も豪華だったからだ。
実際、シートはフカフカでエアコンも効きすぎるくらいに冷えていた。
こんなバスは初めてだった。
アジアのバスにおいて「デラックスバス」と称するものを額面通りに受け止めてはならない。たいていはぼろバスだからだ。日本のバスがきれいすぎるというのもあるだろう。だが、明らかにはなから「デラックス」など存在もしないのに、そうした呼称を付けているようなものもあった。
ともあれ、シンガポールのバスは快適そのものだった。
ジョホールバル。
日本人、とりわけサッカーが好きな日本人にとってジョホールバルは、マレーシア側の国境の町というイメージより、サッカー日本代表が初めてワールドカップ出場を決めた地としての印象が強いはずである。ジョホールバルのイミグレーションに降りて、なんとなくあの歓喜の痕跡を探そうとしても、ここが単なるイミグレであることに変わりはなく、無機質な建物と無愛想な役人の流れ業務の入国審査だけが、わたしのジョホールバル体験となった。
なんとも呆気ない、味気ない国境超えだった。
一路マラッカへと走りはじめたバスはすっかり車窓の景色を一変させていた。
濃い緑色をした、いかにも南国の密林が視界に広がっている。
あれが天然ゴムのプランテーションなのか。
バスや鉄道の車窓は各国の姿を切り取るひとつの額のような気がする。
上海からここに至るまで、幾つものシーンを、この車窓のフレームを通して見てきた。それは、その国、その町、そしてそこに住む人々の風景を如実に表していた。だけど、そこに見えるものはただの風景などではなく、そこに住む人々の心の有りようを映しているようにも感じる。
わたしは旅人である。ただ通り過ぎていくだけの旅人。
きっと、この先もわたしは幾つもの町を通過し、その度に車窓を通してその風景を見ていくことになるだろう。だが、一瞬にして消えてしまうその風景を出来うるだけ心にとどめ、そこで生きる人々に思いを馳せていければと思うのだ。
マラッカに着いたのは午後3時。それから、安宿にバックパックを置いて、ベッドに腰を落ち着けたのがもう4時を回る頃合いだった。
ここから海はすぐのようだった。
わたしは、シャワーを浴びると海へと急いだ。
日没までには、まだだいぶ時間があったが、わたしはもう居ても立ってもいられなくなった。
マラッカ海峡に沈む、その大きな夕陽を早く見届けたいという気持ちを抑えられなかったのだ。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
楽しみだな。
その時、何を感じたのか。
どんな想いが去来したのか。
それは大切なこと。
いつか、忘れ去ってしまう前に、お互いに見たマラッカの夕陽を共有したいなって思ったよ。