師よ。
元気そうで安心したよ。
いよいよ帰国だって?そうするとこの手紙も帰国してから読むかもしれんね。
師とこないだ飲んだとき、確か師は今回の世界戦が「最後になるかもしれんな」と言っていたね。でも、こないだ師からの貰ったコメント(セルビアへの手紙第三便参照)には「そろそろやめようかと思ったけれど、まだなっとくいかないかんじもするし、まだまだ修行の旅は終わらないかもしれないよ」と書いていたね。
この2ヶ月間いろいろあったんだろうナ。その答えはとっても師らしいと思ったよ。
『深夜特急』「第15章 絹と酒」、沢木耕太郎はギリシャからイタリアへ渡ろうとする地中海の船の中でこのように科白する場面、師は覚えているか?
「滅びるものは滅びるにまかせておけばいい。現代にシルクロードを甦らせ、息づかせるのは、学者や作家などの成熟した大人ではなく、ただ道を道として歩く、歴史にも風土にも知識のない彼らなのかもしれません。彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、仏塔でもモスクでもなく、それは自分自身であるはずです」
確かに以前とは比べようもないほど師の旅へのスタンスは変わっただろう。今度、師の旅観をじっくり聞かせてほしいよ。
自分自身も3年前にマレー半島を北上したとき、以前の旅のときに抱えていた「危うさ」がとうにどこかへ失われてしまったと感じたよ。でもね、道を踏み外してしまう危うさはなくなったけれど、自分自身を写す鏡の目線に変わりはなかったように思う。
少し前、旅の道程を綴った文章にこんなことを書いた。
『放浪には時間の不思議が常につきまとう。
インドのゴア。
海辺に近い屋台で遅い朝食を摂り、チャイを飲みながら青い海を前にタバコをふかしていると、今頃東京都心へ向かう電車の中は足の踏み場もないラッシュアワーに見舞われているのだろうな、などと考えてみたりする。
或いはカルカッタへ向かう夜汽車の中。
蒸し暑い満員の三等車に揺られ、固くて狭い寝台ベッドで眠れない夜を過ごす。遠い、日本で一体誰がこんな私の姿を案じてくれるというのか。』(旅文章「175cm」より)
インドでの過酷な旅では常にある気持ちが俺を奮い立たせていたよ。
それは「ザマミロ」という気持ちだった。
今でこそ、なんてちっぽけな考えだろうと思ってみたりもする。当時俺がインドの熱風に晒されながら人の生き死にと背中合わせの旅を続けていたことなど日本の全国の人に知る由もなく、知ったところで何の意味もないとも思うんだが、そのとき俺は「金も名誉も持っていないけれど、こんな素晴らしい風景を見ながら過ごしているんだ。ラッシュに揉まれる人々よ。ザマミロ。」と思いながらインド亜大陸を1周したような気がする。それはある部分では真実であるとも今でも思っている。
沢木は日本社会を「一度ドロップアウトしたら二度と戻れない社会」と言っているし、旅に出ている期間を「執行猶予の時間」とも言っている。だが、果たしてホントにそうなのか。
沢木が語るように「旅の途中でみたいものがあるとすれば・・それは自分自身」。
つまり言い換えれば、自分自身を見つめ続けるためには旅が必要であると言えなくはないだろうか。
自分自身の旅も再開してはまた途切れ、再び始まるのはいつのことやら。
そして、師の旅は今度どこへ向かうのだろう。
こんな話しを近々酒でも飲みながら、またしようぜ。
おかえり、師よ。
元気そうで安心したよ。
いよいよ帰国だって?そうするとこの手紙も帰国してから読むかもしれんね。
師とこないだ飲んだとき、確か師は今回の世界戦が「最後になるかもしれんな」と言っていたね。でも、こないだ師からの貰ったコメント(セルビアへの手紙第三便参照)には「そろそろやめようかと思ったけれど、まだなっとくいかないかんじもするし、まだまだ修行の旅は終わらないかもしれないよ」と書いていたね。
この2ヶ月間いろいろあったんだろうナ。その答えはとっても師らしいと思ったよ。
『深夜特急』「第15章 絹と酒」、沢木耕太郎はギリシャからイタリアへ渡ろうとする地中海の船の中でこのように科白する場面、師は覚えているか?
「滅びるものは滅びるにまかせておけばいい。現代にシルクロードを甦らせ、息づかせるのは、学者や作家などの成熟した大人ではなく、ただ道を道として歩く、歴史にも風土にも知識のない彼らなのかもしれません。彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、仏塔でもモスクでもなく、それは自分自身であるはずです」
確かに以前とは比べようもないほど師の旅へのスタンスは変わっただろう。今度、師の旅観をじっくり聞かせてほしいよ。
自分自身も3年前にマレー半島を北上したとき、以前の旅のときに抱えていた「危うさ」がとうにどこかへ失われてしまったと感じたよ。でもね、道を踏み外してしまう危うさはなくなったけれど、自分自身を写す鏡の目線に変わりはなかったように思う。
少し前、旅の道程を綴った文章にこんなことを書いた。
『放浪には時間の不思議が常につきまとう。
インドのゴア。
海辺に近い屋台で遅い朝食を摂り、チャイを飲みながら青い海を前にタバコをふかしていると、今頃東京都心へ向かう電車の中は足の踏み場もないラッシュアワーに見舞われているのだろうな、などと考えてみたりする。
或いはカルカッタへ向かう夜汽車の中。
蒸し暑い満員の三等車に揺られ、固くて狭い寝台ベッドで眠れない夜を過ごす。遠い、日本で一体誰がこんな私の姿を案じてくれるというのか。』(旅文章「175cm」より)
インドでの過酷な旅では常にある気持ちが俺を奮い立たせていたよ。
それは「ザマミロ」という気持ちだった。
今でこそ、なんてちっぽけな考えだろうと思ってみたりもする。当時俺がインドの熱風に晒されながら人の生き死にと背中合わせの旅を続けていたことなど日本の全国の人に知る由もなく、知ったところで何の意味もないとも思うんだが、そのとき俺は「金も名誉も持っていないけれど、こんな素晴らしい風景を見ながら過ごしているんだ。ラッシュに揉まれる人々よ。ザマミロ。」と思いながらインド亜大陸を1周したような気がする。それはある部分では真実であるとも今でも思っている。
沢木は日本社会を「一度ドロップアウトしたら二度と戻れない社会」と言っているし、旅に出ている期間を「執行猶予の時間」とも言っている。だが、果たしてホントにそうなのか。
沢木が語るように「旅の途中でみたいものがあるとすれば・・それは自分自身」。
つまり言い換えれば、自分自身を見つめ続けるためには旅が必要であると言えなくはないだろうか。
自分自身の旅も再開してはまた途切れ、再び始まるのはいつのことやら。
そして、師の旅は今度どこへ向かうのだろう。
こんな話しを近々酒でも飲みながら、またしようぜ。
おかえり、師よ。
久々に日本に帰国して、慌しく時差ぼけと疲れの中、強行温泉などを楽しみ、さらに疲れた俺は、一昨日すっかり台湾行きの飛行機の時間を間違え、30分差で乗り切れなかった次第だが、泣く泣く新しいチケットを買い、今再び関西空港にいるところだ。
と言う事で今回のパラ修行の旅は、いまだ続いている訳だが、この旅を今後どのようにするかは、台湾から戻ってじっくり考えようかなというところだな。
俺が旅についてどう思っているか等についてはまた、帰国してからでもコメントなりトラックバックなりしようと思ってるよ。(俺も今回の修行日記のブログでも作ろうかな、などと思っているんだ。)
ただ、今の俺は久々に何もしないただノンビリするだけの旅をしてみたいと渇望している。
その旅に師が一緒なら…、さぞ楽しいだろうなと思うのだが。どうだ師よ?国内でもいい、久々に行かないか!!
しかし、時間を間違えて飛行機乗り遅れる、っていう人はじめてみたよ。すごいナ師よ。
のんびりした旅か、いいなぁ。師よ。どこへ行こうか?陽朔か?それともミャンマーにでも行くか?
ところで、師は台湾のどこにいるんだ?手紙の出しどころが分からないゾ。一応、台北に出しておくか。
T師は今、台東にいるはずです。しかし台東ってどこなのでしょう...?
師のブログ、密かに読まさせていただいておりました。立ち飲み情報満載で参考にさせていただいてます(^o^)
以前ティーヌン銀座店の辛さが足りないという事が書いてありましたが、辛さの効いたタイ料理ならティーヌン池袋店をお勧めします!!タイ人親子の作る激辛タイ料理を堪能できますよ。
さて、T師は台東にいるのですね。早速、地球の歩き方の台湾編の地図を見てみました。台北からはけっこう遠いですね。一昨年行った台北情報を師への手紙に書こうと思ったのですが、あまり意味なさそう。
ティーヌン情報ありがとうございます。妻は池袋店に行ってみよう!と言っています。
今後とも、どしどしコメント下さい。お待ちしていますよ。
いつか、お会い出来る日を楽しみにしています。
あ、でもまだ「ここ行ってみたいな~」と思ってるだけで実際に行ってはいませんです。夏中に行ってみます!!
私も師にお会い出来る日がいつか来ると楽しみにしています☆
ウチの会社は来月引越しすることが決まりました。神田ともお別れです。(新住所は上野です)
いっぱい居酒屋がある神田が好きだったのに・・・。
ところで、師から何の音沙汰もないです。
元気でやってるのかねぇ。
私なんだかカンチガイしてました(^_^;)きっと意味不明だった事でしょう。
でも熊猫刑事さんの会社の移転先、上野も飲み屋さんたくさんありそうですね☆私は上野に関してはあんみつやさんにしか行った事がありません...。
ただ、軽く流されたのかと・・・。
あんみつ屋さん、有名ですよね。
ところで師から何の連絡もはいりません。
師は一体今どこで何をやっているのでしょう?