一体何人の物乞いが、わたしの前に現れるというのか。これでは、いくらお金があってもきりがない。わたしは、目の前に現れた母子を無視することに決め、ベンチに寝転んだまま、目を閉じることにした。しかし、母子が気になって眠れない。うっすら目を開けると、赤子を抱いた、女性は、まだわたしの前に立ち塞がっていた。よく見ると、彼女は、まだだいぶ若かった。年齢はまだ20歳くらいだろうか。肌はカサカサだが、端正な顔をしていた。こんな若い女性が、赤子を抱いて、何故路頭に迷っているのだろうか。パートナーは、どうしたのだろうか。まだ、幼い乳飲み子を抱えて、生きていけるのだろうか。彼女の瞳は、力がなく、光も宿っていない。その目は、もう世の中のあらゆるものから見放された、絶望が湛えていた。
わたしは、ウエストポーチを開けて、10ルピー札を出し、彼女に渡した。若い母親は、それを受け取ると、わたしの足に指を触れ、それを額につけるゼスチャーを繰り返した。そして、よろめきながら、裸足で、わたしのあとを去った。
わたしは、疲労感とも虚脱感ともいえない、鉛を飲みこんだような重苦しさを感じた。自分は、きりがないことをしているのではないだろうか。彼女らに、小銭を渡しても、なんら根本的な解決にはならない。それとも、たった一晩でも、糊口を凌げれば、それはそれで幸せなのか。しかし、何故インドは、貧富の差がこんなにも激しいのか。それは、独特のカースト制度に由来するものなのか。恐らく、わたしは、この先もインドの貧困に否応なしにぶつかるはずだ。その時、わたしはどうすればいいのか。それを考えると暗澹たる気分になった。
結局、わたしは東の空が白くなるまで、まんじりともできず、バスターミナルのベンチで夜を明かしたのだった。
そんな訳で、彼女にとっても、現地プライスだと結構色々食べられる良い額だったろうと思う。
「師は、良い事をした。」俺はそう思うよ。
なお、物乞いの人達になれてない俺達は、お金をあげてもあげなくても、その後大体なんとも言えない気分になるけど、「できる範囲で小額でも他人に施しをする事で、徳を積んだんだ。」というヒンドゥー教的な考えができれば、心がざわめくことも少ないのかもしれないね。
俺は変な信念とケチ臭さで、頑なに彼らに1銭たりとも渡さなかったけど、後になって良く考えれば、残った小銭を記念に日本に持って帰ったりするくらいなら、その時に少しでも渡してあげた方が良かったなと思うよ。
うまく表現できないから、書くととても良くない感じになるけれど、そこに俺の偽善的気持ちが入っていたとしても、彼らにとっては、もらわないより、もらえる方がいいだろうからね。
自分らの社会は、もの乞いはあまりいなかったし、障がい者とも隔離されているから、どのように関わっていくか、考える必要はなかったと思う。
日本のホームレスの社会評価は、今でこそ違うけど、昔は働かない人とか、怠け者だからそうなったとか、言われてたし。そういうイメージがあって、インドのもの乞いを拒絶していたように思う。でも、インドのもの乞いが、決定的に違うのは、乳飲み子を抱えた若いお母さんであったり、身体障がい者であったり、本来日本では、セーフティネットで守られる人たちが多く、そこが戸惑う原因だったかも。
見て見ぬふりはできないほど、たくさんいるインドのもの乞いは、インドを旅するバックパッカーのテーマだと思う。