恵比寿という街は掴みどころがない。
山の手から下がったのだが、ハイソな街で立ち飲みも圧倒的にバルが多い。
「Q」というバルは洒脱な店で、新橋の立ち飲みに慣れた者にとっては、ただただつらい店だった。しかし、その一方で「縄のれん」というこてこての立ち飲みもあったり、「梅暦酒店」や「山本酒店」のように角打ちもあるなど、なんでもありのバトルロイヤルがこの街の魅力なのかもしれない。
それにつけても、恵比寿は店がわんさとある。
どこが立ち飲み屋なのかも分からない。
この日のように、恵比寿をくまなく探索し、代官山方面まで遠征して、立ち飲みをチェックし、この界隈にはもうないなと引き換えし始めて、この「Amapola」を見つけたのだった。
店のカウンターに立って飲む男がいたのである。
近年の立ち飲みは座りの居酒屋やバルがスペースの効率性に着目して、立ち飲みコーナーを作る店が少なくない。そんな店が増えてきた。
だが、更に最近はもっと進化を見せて、立ち飲みスペースを意図的に作らなくても、勝手に客が立ち飲みをして、それがいつしか店のスタイルになっているのである。それは公式的には立ち飲みではない。だって、座り飲みの店なのに、客が椅子に座らず、勝手に立って飲んだのなら、それは果たして立ち飲みと言えるかは実に怪しい。
「Amapola」もそんな感じだった。
だが、ボクはその店頭に言って、彫の深い、一見してダブルと思わせるバーテンの男に、「ここは立ち飲みですか」と聞くと、彼は「そうだ」と日本語でうなづいたのだった。
店の人が言うんだから、立ち飲みなのだろう。だから、ボクはその会計のテーブルのようなカウンターに立って、生ビールを注文した。
500円の生ビールはプレモルだった。おおいに不満だったが、選んだボクが悪かった。
店はスペイン料理の店で、カウンターの向こう側はやけに広い座りの店である。
まだ時刻は17時を過ぎたばかりで、客はほとんどいない。このバーテンの男も暇を持て余しているようで、ボクにやたらと話しかけてきた。もしかすると、スペイン人と日本のダブルなのかもしれない。随分と甘いマスクである。
彼の質問にいくつか答えた後、そのイケメンのバーテンは殻付きのマカダミアナッツをボクにくれた。
殻をとる機械のようなものがカウンターの上にあり、それを使ってナッツの殻を取り除いた。
マカダミアナッツをひとつほおばると、彼はまた機械にかけ、もう一粒くれる。これだって、そう安くはないだろうから、段々申し訳ないような気がして、ボクは400円のタパスを注文した。そのタパスはイカリングのフライである。
先ほどから、店頭にキース・リチャーズのようなとんがった老人がうろぅろしていた。西洋人のじいさんだが、格好はロックだった。
恵比寿には変わった西洋人がたくさんいて、17時前にはもはやボトルビールをラッパ飲みしていた。
案の定、リラックスできない酒場だった。
ナッツをたくさんいただいたから、ビール1杯で帰れる雰囲気ではなく、ボクはシードルを頼んだ。
なんと樽生のシードル(500円)である。
それは本当においしかった。あまりにもおいしくて、ついお代わりまでしてしまった。
相変わらず、キースはうろうろしkていたが、ボクは2杯目のシードルを飲みほして、店を出た。
バルはやっぱり落ち着かない。
この街にはまだまだバルの立ち飲み屋があるはずだ。それを思うと少し憂鬱になった。
立ち飲みラリーの山の手線編、恵比寿にはまだまだこんな店がたくさんあるのだろう。またもや恵比寿でスタックかな。
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