夫婦別居生活がスタートし、3年ぶりの独り暮らしとなった。
妻が家を出ていったのである。
居酒屋ばかり行っているわたしに三行半を突きつけ、とうとう実家に帰ってしまった。
と、いうのは嘘で、出産のために里帰りをしたのである。
仕事から帰宅し、ドアを開ける。いつもならば、おいしそうな匂いと共に妻が出迎えてくれるのだが、部屋は暗く、寒々しい。独居は寂しいものだ。
妻に先立たれた老人が、後を追うように逝ってしまうのも分かるような気がする。
独り暮らしは8年間くらい経験したから大抵のことには困らない。
だが、ひとつ不安な点がある。
それは「食事」だ。
長い独り暮らしの間、食事はほとんどがコンビニかほか弁だったように思う。22歳の頃、毎晩、夕食をポテトチップスで済ませていたら、案の定具合が悪くなって、病院で検査した。お医者さん曰く、
「お米食べてないでしょう」
毎朝、手足の痺れを感じるほどだったから、相当よくない状態だったのかも。
人はポテトチップスとビールでは生きられないのだ。
そんな無精なわたしが考えた「妻が帰ってくるまで乗り切る食事作戦」、それが「鍋戦法」だ。
野菜などの栄養がバランスよく摂れて、且つ簡単に作れる。しかも、翌朝残りの汁は味噌汁となり、忙しい朝の手間も省ける。鍋とは偉大だ。実にコンビニエントで栄養満点。相撲部屋が毎日ちゃんこ鍋を作るのもよく分かる。
こうして、独り暮らし下における「鍋戦法」がスタートしたのだった。
実際、北海道の日高昆布でダシをとった鍋はうまいし、簡単だし、しかも酒にもよくあう。更に翌朝、味噌を入れて再び食べると、またまたうまいときてる。
そこで、こんなことを思いついた。このまま、この汁を注ぎたし注ぎたしで、毎晩鍋をやれば、一体どんなスープになるのか、と。
毎晩、違う具材を入れていくうちに、様々なエキスが混じりあって、どこにも真似の出来ないスープになるのではないか、と。
そして、必殺の鍋スープ作りが始まったのである。
1週間分の食材を買い込んで、それを小分けにして毎晩鍋にした。翌週はその味にも飽きてきたから、スープにキムチの素を入れて「キムチチゲ」にした。
2週間もすると、つゆもだいぶ濃厚になってきた。
3週目にさしかかる日曜日の昼下がりに即席麺の「うまかっちゃん」を食べた。その余ったスープがもったいなかったから、鍋のつゆに混ぜることにした。「うまかっちゃん」の白湯スープとキムチの色が混ざって、スープは微妙な色になった。
3週目からは、そのピンク色のつゆで鍋を食べた。味は悪くはなかった。
しかし、その週のある日、突然馬鹿馬鹿しくなって、注ぎたしスープはやめることにした。注ぎ足しはやめたが、鍋戦法は今でも続いている。
しかも、未だ一度もコンビニのお弁当を買っていない。
さてさて、話しはとてつもなく、脱線した。
どうせ、早く帰宅しても、待つ人がいない身。帰る道中、いろいろ寄り道しよう、と思い、まず無作為に途中の駅を下車して、散歩してから帰る、という行動も始めた。
これが、実はかなり面白い。知らない街を適当に歩き、どこかの駅へたどり着いたら、電車に乗って帰る。そうか、東京ってこういう風になっているのか、東京の知らない姿が次々に見えてきて、やみつきになった。
そこにはまた、様々な酒場もあった。ふらりと入ってみたくなる、そんな酒場を数多く発見した。
そこで、思いついたのが、ふらり酒場紀行。紀行といえるものでは全然ないが、しかしこれこそ本来の「居酒屋放浪記」ではないか、と思うこの頃である。
上野3丁目の会社を出て、とりあえず秋葉原のほうへ山手線の線路沿いに歩いた。 雨足はひどく、傘はほとんど役にたたない。ちょっと、歩いただけで、ズボンの裾は既にぐっしょりだ。
新築のダイビルを過ぎたところで、左に折れ線路の高架をくぐる。すると右手には巨大なヨドバシカメラが現れ、ネオンをちかちかと灯らせている。そのまま、昭和通りまで出た。
昭和通りの信号を渡ると、もう電気街の面影はない。
首都高速の高架橋によって、このあたりはややくすんでいる。
信号を渡り終え、南に向かった。つまり、都営線の岩本町の方向である。
それにしても、ひどい雨だ。
「どこかで雨宿りをしたいな」と思っていると、JR線の秋葉原駅を過ぎたあたりで、「百飲」という立て看板を見つけた。
わたしはすぐさまピンときた。昨夏頃、100円均一の立ち飲み屋がオープンしたと聞く。もしや、この店のことではないか。
そう思い、店の様子を探ろうとしたが、店舗はどこにもない。
よくよく、看板を確認すると、どうやらビルの2階にあるらしい。
すぐ目の前のビルに飛び込み、2階の店を目指した。
今日は給料日でしかも、金曜日。だが、この雨ならお客もいないのでは、と思ったのは、ビルの階段が人気もなく、ひっそりしていたから。
しかし、2階のそっけない自動ドアを開けてみて驚いた。多くのおっさんでごった返していたからである。
15坪ほどの狭い空間に人、人、人。
果たして、飲む場所を確保できるか、きょろきょろと辺りを見回す。
どうやら、簡単にはいきそうもない。
もし、ここに複数の人数で訪れていたならアウトだった。一人だから何とかなるさ、と店の中央ににじり寄っていくが、新参者への視線は厳しい。この雰囲気、JRAのウィンズの食べ物屋の雰囲気に近い。
しかし、ここで怯んではいけない。カウンターで生ビールのジョッキと目の前にあったアメリカンドッグを買って、すぐ傍の丸テーブルを一人で占領しているおっさんに近づき、「ここ、いいですか」と強引に自分の場所を確保した。
そうこうするうち、店奥の壁側が空いたのですかさず、ビールジョッキとアメリカンドッグを急いで手に持ち、速攻で移動。ようやく、安住の場所を探しあてたのだった。
しかし、ここでは移動するだけで難儀だ。なにしろ、人が多すぎる。
まぁ、いいさ。とりあえず、生ビールでまず、グイっとやろう。
ゴクリ。
おっ、ウマイぞ。これは正真正銘のビールではないか(後日、調べたら同店の生ビールはサントリー・モルツであることが判明)。
生ビールのジョッキが200円。それ以外の飲み物、食べ物は全て100円というから驚きだ。生ビールは「グラス」も用意されている。これももちろん100円だ。もしかすると缶ビールよりも安いのではないか。
周りを見渡してみると、熱燗をお銚子で飲んでいる人が多い。そりゃ、そうだ。たとえ1合とはいえ、一体どこで熱燗を100円で飲めるというのか。しかも、消費税取らないから、ホントのワンコインだ。
店の壁やカウンター、丸テーブルなどはモノトーンで統一している。その雰囲気は洋風だ。店の名前に冠しているのは「スタンディングバー」。あくまでも日本の「立ち飲み」と言ってはいけない。
すると、わたしの横に異国の男性グループがきた。一人は大柄な黒人。他の3人は小柄な白人のようだ。皆、それぞれジョッキをかざし、談笑している。よくよく、聞いてみるとその言葉は英語ではない。ポルトガル語だろうか。
しかし、マグロの刺身などをつまみにし、箸も見事に操っている。お見事!
しばらくすると、頭上のテレビで野球中継が始まった。
そうか、今晩は「ワールドベースボールクラシック」の壮行試合だったか。
しかし、こうしてスタンディングバーで野球を見ながら、アメリカンドッグを食べる、気分はもう「めざましテレビ」(CX系)の「Oh My ニューヨーク」だ。
ジョッキが空になった。
人波を掻き分け、カウンターへ。レモンハイと煮込みをゲット。これらももちろん100円だ。
人と人に揉まれながら自分の巣に戻ってテレビを見上げると、先頭打者のイチローが右前にクリーンヒット。うんうん、幸先いいじゃん。
外は冬の雨(演歌『氷雨』かよっ)なのに、この空間はひどくご機嫌だ。
結局使ったお金は700円のみ。僅か、このお金でかなり幸せな気分になれる。
また、一人で過ごす御仁が多く、気兼ねしないところがいい。但し、ゆっくりできる空間をいかに確保できるか。
これは、やっぱり俊敏な若さではなく、狡賢さとふてぶてしさを併せ持つ歳の功であろう。
妻が家を出ていったのである。
居酒屋ばかり行っているわたしに三行半を突きつけ、とうとう実家に帰ってしまった。
と、いうのは嘘で、出産のために里帰りをしたのである。
仕事から帰宅し、ドアを開ける。いつもならば、おいしそうな匂いと共に妻が出迎えてくれるのだが、部屋は暗く、寒々しい。独居は寂しいものだ。
妻に先立たれた老人が、後を追うように逝ってしまうのも分かるような気がする。
独り暮らしは8年間くらい経験したから大抵のことには困らない。
だが、ひとつ不安な点がある。
それは「食事」だ。
長い独り暮らしの間、食事はほとんどがコンビニかほか弁だったように思う。22歳の頃、毎晩、夕食をポテトチップスで済ませていたら、案の定具合が悪くなって、病院で検査した。お医者さん曰く、
「お米食べてないでしょう」
毎朝、手足の痺れを感じるほどだったから、相当よくない状態だったのかも。
人はポテトチップスとビールでは生きられないのだ。
そんな無精なわたしが考えた「妻が帰ってくるまで乗り切る食事作戦」、それが「鍋戦法」だ。
野菜などの栄養がバランスよく摂れて、且つ簡単に作れる。しかも、翌朝残りの汁は味噌汁となり、忙しい朝の手間も省ける。鍋とは偉大だ。実にコンビニエントで栄養満点。相撲部屋が毎日ちゃんこ鍋を作るのもよく分かる。
こうして、独り暮らし下における「鍋戦法」がスタートしたのだった。
実際、北海道の日高昆布でダシをとった鍋はうまいし、簡単だし、しかも酒にもよくあう。更に翌朝、味噌を入れて再び食べると、またまたうまいときてる。
そこで、こんなことを思いついた。このまま、この汁を注ぎたし注ぎたしで、毎晩鍋をやれば、一体どんなスープになるのか、と。
毎晩、違う具材を入れていくうちに、様々なエキスが混じりあって、どこにも真似の出来ないスープになるのではないか、と。
そして、必殺の鍋スープ作りが始まったのである。
1週間分の食材を買い込んで、それを小分けにして毎晩鍋にした。翌週はその味にも飽きてきたから、スープにキムチの素を入れて「キムチチゲ」にした。
2週間もすると、つゆもだいぶ濃厚になってきた。
3週目にさしかかる日曜日の昼下がりに即席麺の「うまかっちゃん」を食べた。その余ったスープがもったいなかったから、鍋のつゆに混ぜることにした。「うまかっちゃん」の白湯スープとキムチの色が混ざって、スープは微妙な色になった。
3週目からは、そのピンク色のつゆで鍋を食べた。味は悪くはなかった。
しかし、その週のある日、突然馬鹿馬鹿しくなって、注ぎたしスープはやめることにした。注ぎ足しはやめたが、鍋戦法は今でも続いている。
しかも、未だ一度もコンビニのお弁当を買っていない。
さてさて、話しはとてつもなく、脱線した。
どうせ、早く帰宅しても、待つ人がいない身。帰る道中、いろいろ寄り道しよう、と思い、まず無作為に途中の駅を下車して、散歩してから帰る、という行動も始めた。
これが、実はかなり面白い。知らない街を適当に歩き、どこかの駅へたどり着いたら、電車に乗って帰る。そうか、東京ってこういう風になっているのか、東京の知らない姿が次々に見えてきて、やみつきになった。
そこにはまた、様々な酒場もあった。ふらりと入ってみたくなる、そんな酒場を数多く発見した。
そこで、思いついたのが、ふらり酒場紀行。紀行といえるものでは全然ないが、しかしこれこそ本来の「居酒屋放浪記」ではないか、と思うこの頃である。
上野3丁目の会社を出て、とりあえず秋葉原のほうへ山手線の線路沿いに歩いた。 雨足はひどく、傘はほとんど役にたたない。ちょっと、歩いただけで、ズボンの裾は既にぐっしょりだ。
新築のダイビルを過ぎたところで、左に折れ線路の高架をくぐる。すると右手には巨大なヨドバシカメラが現れ、ネオンをちかちかと灯らせている。そのまま、昭和通りまで出た。
昭和通りの信号を渡ると、もう電気街の面影はない。
首都高速の高架橋によって、このあたりはややくすんでいる。
信号を渡り終え、南に向かった。つまり、都営線の岩本町の方向である。
それにしても、ひどい雨だ。
「どこかで雨宿りをしたいな」と思っていると、JR線の秋葉原駅を過ぎたあたりで、「百飲」という立て看板を見つけた。
わたしはすぐさまピンときた。昨夏頃、100円均一の立ち飲み屋がオープンしたと聞く。もしや、この店のことではないか。
そう思い、店の様子を探ろうとしたが、店舗はどこにもない。
よくよく、看板を確認すると、どうやらビルの2階にあるらしい。
すぐ目の前のビルに飛び込み、2階の店を目指した。
今日は給料日でしかも、金曜日。だが、この雨ならお客もいないのでは、と思ったのは、ビルの階段が人気もなく、ひっそりしていたから。
しかし、2階のそっけない自動ドアを開けてみて驚いた。多くのおっさんでごった返していたからである。
15坪ほどの狭い空間に人、人、人。
果たして、飲む場所を確保できるか、きょろきょろと辺りを見回す。
どうやら、簡単にはいきそうもない。
もし、ここに複数の人数で訪れていたならアウトだった。一人だから何とかなるさ、と店の中央ににじり寄っていくが、新参者への視線は厳しい。この雰囲気、JRAのウィンズの食べ物屋の雰囲気に近い。
しかし、ここで怯んではいけない。カウンターで生ビールのジョッキと目の前にあったアメリカンドッグを買って、すぐ傍の丸テーブルを一人で占領しているおっさんに近づき、「ここ、いいですか」と強引に自分の場所を確保した。
そうこうするうち、店奥の壁側が空いたのですかさず、ビールジョッキとアメリカンドッグを急いで手に持ち、速攻で移動。ようやく、安住の場所を探しあてたのだった。
しかし、ここでは移動するだけで難儀だ。なにしろ、人が多すぎる。
まぁ、いいさ。とりあえず、生ビールでまず、グイっとやろう。
ゴクリ。
おっ、ウマイぞ。これは正真正銘のビールではないか(後日、調べたら同店の生ビールはサントリー・モルツであることが判明)。
生ビールのジョッキが200円。それ以外の飲み物、食べ物は全て100円というから驚きだ。生ビールは「グラス」も用意されている。これももちろん100円だ。もしかすると缶ビールよりも安いのではないか。
周りを見渡してみると、熱燗をお銚子で飲んでいる人が多い。そりゃ、そうだ。たとえ1合とはいえ、一体どこで熱燗を100円で飲めるというのか。しかも、消費税取らないから、ホントのワンコインだ。
店の壁やカウンター、丸テーブルなどはモノトーンで統一している。その雰囲気は洋風だ。店の名前に冠しているのは「スタンディングバー」。あくまでも日本の「立ち飲み」と言ってはいけない。
すると、わたしの横に異国の男性グループがきた。一人は大柄な黒人。他の3人は小柄な白人のようだ。皆、それぞれジョッキをかざし、談笑している。よくよく、聞いてみるとその言葉は英語ではない。ポルトガル語だろうか。
しかし、マグロの刺身などをつまみにし、箸も見事に操っている。お見事!
しばらくすると、頭上のテレビで野球中継が始まった。
そうか、今晩は「ワールドベースボールクラシック」の壮行試合だったか。
しかし、こうしてスタンディングバーで野球を見ながら、アメリカンドッグを食べる、気分はもう「めざましテレビ」(CX系)の「Oh My ニューヨーク」だ。
ジョッキが空になった。
人波を掻き分け、カウンターへ。レモンハイと煮込みをゲット。これらももちろん100円だ。
人と人に揉まれながら自分の巣に戻ってテレビを見上げると、先頭打者のイチローが右前にクリーンヒット。うんうん、幸先いいじゃん。
外は冬の雨(演歌『氷雨』かよっ)なのに、この空間はひどくご機嫌だ。
結局使ったお金は700円のみ。僅か、このお金でかなり幸せな気分になれる。
また、一人で過ごす御仁が多く、気兼ねしないところがいい。但し、ゆっくりできる空間をいかに確保できるか。
これは、やっぱり俊敏な若さではなく、狡賢さとふてぶてしさを併せ持つ歳の功であろう。
東海林さだおもやっていない10年スープ、ぜひともやってみて下さい!
10年スープ?1ヶ月でも大変なのに。
ちなみに昨夜も鍋でした。
多分、今夜も。
怪鳥、「百飲」に行ってみたくなった?
どうでしょう?秋葉原の立ち飲み屋は?
ところでWBC、グダグダさ加減が露呈してるけど
熊猫先生の辛辣なごイケンを賜りたくお待ち申し上げております。
全てが100円の居酒屋、いいねー。円がすっかり弱い昨今、デフレ日本の物価安をかみしめたよ。
今年の豪は全てが高かったからなー。物価上昇&円安のダブルショック。マクドでセット食ベて700円以上だもんね。
ただ、90%以上は自炊だったけど。俺達は、スープ・サラダ・肉ものの炒め、もしくはステーキ系でメインっていうパターンが多かったな。農業国だからかスーパーの食材はまだ日本より安いんだよね。
あと、鍋で米炊くのが更にうまくなった。朝晩炊いてたからね。豪には日本米の様な短種米が2kg300円という、奥さま驚きの価格で売ってるんだ。
それにしても、「たしたしスープ作戦」終ってしまって残念だ。黒ずんでるけど味は激しくうまい!っていうような世界まで持っていって欲しかったよ。
是非再チャレンジしてくれ、師よ!
でも、くだらないことはよく考えるのはいつものことか。
いつか、「百飲」行きましょう。今年の「立ち飲みアワード」(そんなのあったっけ?)の優勝候補です(ってまだここしか行ってないけど)
まとめて料理作って小分けで売っているから、食べ物はそこそこ利益があるかも。
しかし、分からないのは飲み物の利益率。
これはどうなってんだ?
ところで、土鍋にスープ入れておくのはダメなの?
何で?
ちなみにウチのは土鍋じゃないよ。
こないだ今ウチに来て鍋やったから知っていると思うけれど・・・・。
WBCに関しては今のところ、こんなものかと。
昨夜、韓国戦も見たけれど、韓国やっぱ強いよ!
頭が「鍋もの=土鍋」になってるなり。
ついついシンクに放置しがちだったりするから気をつけないと。