エアカンボディアの小さな機体が滑走路に降り立つと、客室のどこからか小さな歓声と拍手が沸きおこった。
機内はヨーロッパや日本人のバックパッカーばかりと思っていたが、タイやカンボジアの人びとも若干乗り合わせていたようだ。
わたしは手荷物、といっても大きなバックパックを機内に持ち込んでいたのだが、それを背負い飛行機の出口から一歩足を踏み出し、1年ぶりにバンコクの地を踏んだのだった。
吹き込んでくる熱風、お香と魚醤がないまぜになったような独特の香りがまとわりつくと、なんだかとても懐かしい気持ちにすらなってくる。
1年前、わたしは初めて単身で海外旅行をした。その地がバンコクだったのである。
当時、女にフラれた腹いせでまとまった休みをとり、半ばやけくそにバンコクに出てきたのだった。それまで、海外旅行の経験はなくはなかったが、そんなものは、ほとんど経験値になりはせず、ほぼ海外初心者のようにわたしはタイを訪れたのであった。
当時、わたしはのっけからバンコクの洗礼を受けた。
ドンムアン空港に到着し、到着ロビーに出るとおびただしい数の男どもがワイワイと騒ぎながらわたしの腕や肩や荷物を掴み、何やら言葉をまくし立ててきた。
それは恐怖の何ものでもなかった。
飛行機から降りた途端右も左も分からないうえ、人相の悪い男どもから腕や足を引っ張られているのだから。
ようやく事態を飲み込めたのは数分後だった。彼らのうちの一人がこんな言葉をわたしに発したからだ。
「オレのタクシーの方が安いゼ」
彼らはタクシーの運転手だったのだ
そうして、なんだか分からないうちにクルマに乗せられ、わたしはバンコク市街へ向かったのである。
その日からもう1年が経とうとしているとは到底信じられなかった。
バンコクから戻り、フラれた女とよりを戻そうと何回か話し合いを持ったが、一度壊れた男と女の関係が戻ることはなかった。
そうして、わたしは仕事を辞め、僅かな退職金と失業給付、そしてアルバイトで貯めた全財産をドルに換え、旅に出たのである。
目まぐるしい1年間であったと思う。
「この女と結婚するんだろうナ」と漠然と過ごしていた単調で平凡な日々がわたしの20代前半であったように思う。その静かな日々が、やがて音を立てて崩れ始め、いつしか濁流に変わり、その洪水に溺れながら、無我夢中で泳いだ1年だった。
こうして1年後に再びこのドンムアン空港に降り立つとは、あの日帰国のために疲れきった体を出発ロビーの床に横たえ、憔悴した面持ちで出国を待ったわたしには想像すらできなかったであろう。
ましてや、ロンドンに向けてユーラシア大陸横断の旅に出ようとは…。
わたしは、到着ロビーに出ると、わんさと詰め掛けているタクシー運転手の間隙をぬって空港の外にでた。
午後2時、バンコクの陽光は、とても3月下旬とは思えないほど強烈なものだった。日差しばかりではない。気温は40℃に迫ろうか、というほどに暑い。それは、プノンペンの比ではなかった。
そうして、わたしはバス停までほどなく歩き、59番のバスが来るのを待った。
数人のタイ人がバスを待っていたが、バックパッカーの姿はなかった。
エアカンボディアに乗り合わせた多くのバックパッカーは一体どこへ消えてしまったのだろうか。
バスはひっきりなしに来る。
だが、世界のバックパッカーが集うカオサン通り近くを通過する59番のバスはなかなか来ない。
だが、いつかは来るだろう。
わたしには、急ぐ理由など何ひとつない。バスはやがて来るだろう。
1時間近くその場で待っただろうか。
ようやく59番と表示された赤い車体のオンボロのバスが姿を現し、わたしはそれに飛び乗った。そして、車掌に3.5バーツを支払い、吊革に手をかけた。
車内は混雑しているわけではなかったが、座席は全て埋まっていた。
1年前、わたしはタクシーの運転手に400バーツを支払った。
バンコク中心部のホアランポーンの駅前まで、時間にすると約1時間。それで、1,500円ならば、日本の相場から考慮すれば格段に安い。だが、市バスならなんと20円もかからずに安宿街まで連れて行ってくれる。
バンコクはやはり大都会だった。
高層のビルが立ち並び、おびただしい数のクルマが走っている。開け放しの窓から入ってくる風は黒く煤けている。
流れていく車窓を見ながら、わたしはなんとなくホッとした反面、一抹の不安も感じるのである。
それは、かつて知った街に来たという安心感と、迷宮のような魔都にまたもや吸い寄せられてしまった不安感だった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
機内はヨーロッパや日本人のバックパッカーばかりと思っていたが、タイやカンボジアの人びとも若干乗り合わせていたようだ。
わたしは手荷物、といっても大きなバックパックを機内に持ち込んでいたのだが、それを背負い飛行機の出口から一歩足を踏み出し、1年ぶりにバンコクの地を踏んだのだった。
吹き込んでくる熱風、お香と魚醤がないまぜになったような独特の香りがまとわりつくと、なんだかとても懐かしい気持ちにすらなってくる。
1年前、わたしは初めて単身で海外旅行をした。その地がバンコクだったのである。
当時、女にフラれた腹いせでまとまった休みをとり、半ばやけくそにバンコクに出てきたのだった。それまで、海外旅行の経験はなくはなかったが、そんなものは、ほとんど経験値になりはせず、ほぼ海外初心者のようにわたしはタイを訪れたのであった。
当時、わたしはのっけからバンコクの洗礼を受けた。
ドンムアン空港に到着し、到着ロビーに出るとおびただしい数の男どもがワイワイと騒ぎながらわたしの腕や肩や荷物を掴み、何やら言葉をまくし立ててきた。
それは恐怖の何ものでもなかった。
飛行機から降りた途端右も左も分からないうえ、人相の悪い男どもから腕や足を引っ張られているのだから。
ようやく事態を飲み込めたのは数分後だった。彼らのうちの一人がこんな言葉をわたしに発したからだ。
「オレのタクシーの方が安いゼ」
彼らはタクシーの運転手だったのだ
そうして、なんだか分からないうちにクルマに乗せられ、わたしはバンコク市街へ向かったのである。
その日からもう1年が経とうとしているとは到底信じられなかった。
バンコクから戻り、フラれた女とよりを戻そうと何回か話し合いを持ったが、一度壊れた男と女の関係が戻ることはなかった。
そうして、わたしは仕事を辞め、僅かな退職金と失業給付、そしてアルバイトで貯めた全財産をドルに換え、旅に出たのである。
目まぐるしい1年間であったと思う。
「この女と結婚するんだろうナ」と漠然と過ごしていた単調で平凡な日々がわたしの20代前半であったように思う。その静かな日々が、やがて音を立てて崩れ始め、いつしか濁流に変わり、その洪水に溺れながら、無我夢中で泳いだ1年だった。
こうして1年後に再びこのドンムアン空港に降り立つとは、あの日帰国のために疲れきった体を出発ロビーの床に横たえ、憔悴した面持ちで出国を待ったわたしには想像すらできなかったであろう。
ましてや、ロンドンに向けてユーラシア大陸横断の旅に出ようとは…。
わたしは、到着ロビーに出ると、わんさと詰め掛けているタクシー運転手の間隙をぬって空港の外にでた。
午後2時、バンコクの陽光は、とても3月下旬とは思えないほど強烈なものだった。日差しばかりではない。気温は40℃に迫ろうか、というほどに暑い。それは、プノンペンの比ではなかった。
そうして、わたしはバス停までほどなく歩き、59番のバスが来るのを待った。
数人のタイ人がバスを待っていたが、バックパッカーの姿はなかった。
エアカンボディアに乗り合わせた多くのバックパッカーは一体どこへ消えてしまったのだろうか。
バスはひっきりなしに来る。
だが、世界のバックパッカーが集うカオサン通り近くを通過する59番のバスはなかなか来ない。
だが、いつかは来るだろう。
わたしには、急ぐ理由など何ひとつない。バスはやがて来るだろう。
1時間近くその場で待っただろうか。
ようやく59番と表示された赤い車体のオンボロのバスが姿を現し、わたしはそれに飛び乗った。そして、車掌に3.5バーツを支払い、吊革に手をかけた。
車内は混雑しているわけではなかったが、座席は全て埋まっていた。
1年前、わたしはタクシーの運転手に400バーツを支払った。
バンコク中心部のホアランポーンの駅前まで、時間にすると約1時間。それで、1,500円ならば、日本の相場から考慮すれば格段に安い。だが、市バスならなんと20円もかからずに安宿街まで連れて行ってくれる。
バンコクはやはり大都会だった。
高層のビルが立ち並び、おびただしい数のクルマが走っている。開け放しの窓から入ってくる風は黒く煤けている。
流れていく車窓を見ながら、わたしはなんとなくホッとした反面、一抹の不安も感じるのである。
それは、かつて知った街に来たという安心感と、迷宮のような魔都にまたもや吸い寄せられてしまった不安感だった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
あぁ、あの日にまた戻れたらいいなぁ。
今、バンコクはどんなに発展しているのでしょう。
そしてアジアのそれといったら、もう恐怖と表現しても過言ではないかもしれない。
そこには、旅行者からぼったくってやろうという悪い奴が、すこぶる善人というふりをして、かなりの確立で混じってるから。
最初は、寄ってくる人達が悪い奴かいい奴か、もう全然見分けがつかないんだよね。
それにまた、異国でバスに乗るというのもまた、言葉の問題や、行き先の表記の問題なんかで、バス代は安くていいんだけど非常に使いにくかったりするね。
今回の師の文章を読んで、俺もタイやインドの空港に初めて降り立った時を思い出したよ。
「あぁ、この街にも同じように人々が住んで生活しているんだ」なんて思いながら。
大体、空港到着って夜だしね。
しかし、外国の空港のあの独特の雰囲気ってなんだろうね。
師は今まで行った空港でどこが怖かった?
オレは断然バンコクのドンムアン空港だね。
まだバンコクの新空港には降り立っていないけれど、どんな感じなんだろ?
楽しみながら書いているのがいいのでしょう。
「タイランド編」はまだまだしばらく続きますよ。食べ物の話しも今後、たくさん出てくる予定です。