親父が退院したと思ったら、今度は叔母が緊急入院した。
ボクはその日、急いで昭和大学病院に駆けつける。
旗の台という駅をボクは初めて降りた。
味わいのある駅前だ。再開発されてなく、生活臭を感じる。商店が並び、すれてない。
叔母は思ったよりも元気だった。
病院の帰り道、どこかで酒を飲もうと、旗の台駅の周囲を散策した。
立ち飲み屋は見つからなかった。そのうえ、「これは!」というお店もなかった。
比較的、酒場が少ない駅である。酒場は散発的だった。
味のある酒場を探していた。
条件に叶う店はなかなか見つからなかった。
ただ、気になる店はひとつだけあった。
商店街にぽつんと灯りが点る「かね久」という店である。
のれんに、焼き鳥、茶めし、おでん、とある。
茶めしとはなんだろうか。
お茶で炊いたごはんのことだろうか。
店のひなびた感じがいい。
かなり、古いお店なのだろう。
ボクは店に入ってみることにした。
カウンターだけの小さな店。
予想通り、常連さんが数人座る。
店主は長年、この店と歩んできたのだろう。おじいさんが一人で店を守っている。
メニューは黒いプラスチックの札に白く書かれている。
「オムレツ」や「にらたま」といったメニューもあるが、体裁としては居酒屋である。
店に入る前から決めていた、「おでん」と日本酒をオーダーした。
お酒はコップ酒。
大将は、一升瓶を持ち、コップになみなみと注ぐ。
店内のあらゆるものが古かった。
店の大将も、厨房も、調理器具も、みんな同じ時間をここで費やしてきたのだろう。
厨房にある漬物石。
それが何故か美しいオブジェに見えて、ボクは思わず写真に撮った。
それを見ていた常連さんが、「この店は年季が入ってるでしょう」と話しかけてきた。
そのうち、店内は誰もが懐かしむように、昔話になった。
20代の始めに、転勤で東京に来たという初老の男性は、そのままずっと東京勤務で過ごし、その間約40年も、この店に通っているという。
「もう、すっかり東京の人間さ」。
「最初、この店に来はじめたときは、自分がいちばん若手で、緒先輩らに可愛がられたけど、今では自分が古株だよ」
と豪快に笑った。
小さな営みがここにあった。
店とおじさんの記憶。
「緒先輩らは、もうだいぶ鬼籍に入ったね」
ボクはお酒をグイと飲んで、次の一杯を求めた。
「おでん」は東京の出汁とは思えない薄味だった。
でも、抜群においしい。
独特の時間が流れている。
それは必ずしも、ゆるやかではない。
あくまで、独特だ。
多分、その時間に会いたくなって、人はここに通うのだろう。
人の記録や記憶を凝縮した時間。歴史を刻んでいる空間。
それぞれの思いを集めて、人は酒に酔う。
まるで、店が一本のフィルムのように。
ボクにもこういう店があればいいなと思う。
けれど、その一端、いやエッセンスだけでも感じさせてもらえたのは、きっと幸せなことだったのだと思う。
互いの縁ある土地で、それぞれ飲んでたっていうのが面白いね。