一風呂浴びて外に出たら、タトゥーの若者が数人いて、たむろしていた。通り過ぎようとしたら、そのうちの一人が声をかけてきた。
「この辺りにご飯食べられるところありますか」。
咄嗟に思いつかず、「王子駅の方に行ったら、いっぱいあるよ」とだけ、答えた。
「ありがとうございます」。
本当は礼儀正しくて気のいい奴らなんだと思った。
さて、自分も帰るかと王子駅の方へ向かった。
この権現坂の中腹に石碑がある。それは以前から知っていた。何度か立ち止まって見た覚えがあるものの、内容はほとんど記憶にない。
「王子の狐火」だったかと思ったら違っていた。1枚の古地図と古い絵、そして江戸百景を描いた広重の錦絵がはめこまれていた。
そして碑文にはこう書かれていた。
「ここは、現在、岸町一丁目に属します。 岸の地名は、すでに、戦国時代の記録にあります。 古くからの主要道である若槻街道が通っており、また東に筑波山を望んで、景観も優れていました。 江戸時代から、王子稲荷の参拝人や、海老屋、扇屋に憩う人々、名主の滝を訪れる人々で賑わう名所として親しまれています。
昭和62年3月31日 東京都北区役所」
年度末に建てられた、どうでもいい石碑。
当時、北区は予算が余っていたとみえる。
石碑は、要するに北区は飛鳥山だけでなく、岸町も景勝地として賑わっていましたよと言いたいらしい。
碑文に出てくる「海老屋」は確か、落語「王子のきつね」の舞台となった大店の割烹。そして、「扇屋」もその噺に登場する老舗の卵焼き屋さんである。「扇屋屋」は今も小さな店舗で商売している。以前、自分も買ったことがあり、別のWEB記事で取り上げた。
このように岸町は音無川と料理屋さん、王子稲荷、そして名主の滝がある、江戸の一大スポットだった。
自慢したくなるのもなんとなく分かる。
今では料理屋はもうないが、その代わりに「平澤かまぼこ」があり、そして「いこい」もある。名主の滝はもう存在感はないが、この両店の存在は都内でも屈指だろう。
石碑の設置代は恐らく相当なコストを要しただろう。今ならそのコストで、もっとちがう方法で町興しができたのではないかとも思う。
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