チェンマイでの生活は瞬く間に1週間が過ぎ、10日が過ぎていった。
キッティの家でチェンマイ大学の美大生と暮らす日々がとりわけ楽しかったということもあるが、タイに着いてからというもののわたしの旅のペースは次々に鈍化していった。
そうこうするうち、日本人のバックパッカーは毎日1人ずつ増え、いつの間にかわたしを入れて5人の男達と部屋を共にすることになった。
また、日本人ばかりでなく、ヨーロピアンもどこから聞きつけてきたのか、一人二人と確実に増加していった。
サッカーの試合を観戦してからというもの、ランポーンとは夕食の時間に顔を合わせる程度で声を交わさす機会は訪れなかった。
少しずつだが、チェンマイでの生活も日本人バックパッカーとのコミュニティに生活の重心が傾いていったのだった。
ある日の夜、キッティが作った料理をいつものようにシンハービールでおいしくいただいた後、母屋のバルコニーでハンモックに揺られながら、何気なしにラジオを点けてみると、NHKの日本語放送からナイター中継が聞こえてきた。
讀賣VSヤクルト。
わたしは少し慌ててしまった。
このチェンマイの地で日本のプロ野球が聞ける興奮と併せ、もう日本はそんな季節になっていることに驚いてしまったのだ。
この日4月3日はプロ野球の開幕の日だったのだ。
「そうか、もう日本を飛び出して4ヶ月以上も経ってしまったのか」。
わたしは、少し焦燥感を覚えた。
特に予定も決めていなかった旅だったが、それでも、旅に出る前は、2ヶ月くらいでバンコクに到着し、すぐさま西へ向かうイメージを抱いていた。それが、偶然に流された結果、チェンマイに立ち寄り、次にラオスへ向かおうとしている。
持ち金はまだまだ十分にあるが、一体いつになったら、わたしはロンドンまで辿り着けるのだろう。
ラオスに立ち寄ることで、再びバンコクに戻ってくるのは1ヶ月後になるだろう。
「こうしてはいられない」。
わたしは明日にでも、チェンマイを立つ決心をした。
「急がねば」。
ラジオはこのシーズン、広島からヤクルトに移籍した小早川毅彦の3打席連続アーチを興奮気味に告げている。
しかし、わたしはもう、居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。
翌日、わたしは早い時間にキッティの家を後にした。
ラオス国境の町に向かうために。
キッティをはじめ、6人のバックパッカーたち、そしてランポーンが見送ってくれた。
別れ際、ランポーンはせっせと書いてくれたわたしの似顔絵をくれた。
わたしが別れを告げ、手を振って歩き始めると、彼らは、イーグルスの「デスペラード」を唄い始めた。
驚いて振り返ると、彼らはニコニコと笑顔で手を振りながら更に大きな声で唄った。
わたしは再び手を挙げて応えたが、突然鼻の奥がツーンとなった。
何故だろう。こんなに涙が溢れてくるなんて。
一体、何故なんだろう。
「デスペラード」は彼らの姿が小さくなっても、まだわたしの耳に響いていた。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
キッティの家でチェンマイ大学の美大生と暮らす日々がとりわけ楽しかったということもあるが、タイに着いてからというもののわたしの旅のペースは次々に鈍化していった。
そうこうするうち、日本人のバックパッカーは毎日1人ずつ増え、いつの間にかわたしを入れて5人の男達と部屋を共にすることになった。
また、日本人ばかりでなく、ヨーロピアンもどこから聞きつけてきたのか、一人二人と確実に増加していった。
サッカーの試合を観戦してからというもの、ランポーンとは夕食の時間に顔を合わせる程度で声を交わさす機会は訪れなかった。
少しずつだが、チェンマイでの生活も日本人バックパッカーとのコミュニティに生活の重心が傾いていったのだった。
ある日の夜、キッティが作った料理をいつものようにシンハービールでおいしくいただいた後、母屋のバルコニーでハンモックに揺られながら、何気なしにラジオを点けてみると、NHKの日本語放送からナイター中継が聞こえてきた。
讀賣VSヤクルト。
わたしは少し慌ててしまった。
このチェンマイの地で日本のプロ野球が聞ける興奮と併せ、もう日本はそんな季節になっていることに驚いてしまったのだ。
この日4月3日はプロ野球の開幕の日だったのだ。
「そうか、もう日本を飛び出して4ヶ月以上も経ってしまったのか」。
わたしは、少し焦燥感を覚えた。
特に予定も決めていなかった旅だったが、それでも、旅に出る前は、2ヶ月くらいでバンコクに到着し、すぐさま西へ向かうイメージを抱いていた。それが、偶然に流された結果、チェンマイに立ち寄り、次にラオスへ向かおうとしている。
持ち金はまだまだ十分にあるが、一体いつになったら、わたしはロンドンまで辿り着けるのだろう。
ラオスに立ち寄ることで、再びバンコクに戻ってくるのは1ヶ月後になるだろう。
「こうしてはいられない」。
わたしは明日にでも、チェンマイを立つ決心をした。
「急がねば」。
ラジオはこのシーズン、広島からヤクルトに移籍した小早川毅彦の3打席連続アーチを興奮気味に告げている。
しかし、わたしはもう、居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。
翌日、わたしは早い時間にキッティの家を後にした。
ラオス国境の町に向かうために。
キッティをはじめ、6人のバックパッカーたち、そしてランポーンが見送ってくれた。
別れ際、ランポーンはせっせと書いてくれたわたしの似顔絵をくれた。
わたしが別れを告げ、手を振って歩き始めると、彼らは、イーグルスの「デスペラード」を唄い始めた。
驚いて振り返ると、彼らはニコニコと笑顔で手を振りながら更に大きな声で唄った。
わたしは再び手を挙げて応えたが、突然鼻の奥がツーンとなった。
何故だろう。こんなに涙が溢れてくるなんて。
一体、何故なんだろう。
「デスペラード」は彼らの姿が小さくなっても、まだわたしの耳に響いていた。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
素晴らしい思い出だと思うよ。
しかしアジア、キッティのように心の豊かな人、多いような気がするねえ。
1年2ヶ月続いたタイランド編も次回でひとまず最終回だ。
しかし、長かったよ、バンコクとチェンマイ。
もし、移住するなら師はどこがいい?
オレはチェンマイかバリだな。
俺、日本の田舎の茅葺きの平屋がいいなあ。
って答えになっとらんな。
海外なら、やっぱ暖かいとこがいいなあ。
バリ、いいねえ。人が穏やかだし、雰囲気もいいよね。
あと飯の事を考えるとベトナムとかもいいかなあ。うまいフランスパン食えるからね。
飯が中心ならタイもいいかも。
やっぱ、インドはきびしいかねぇ?
ベトナムがフランスに統治(侵略)されていた故の、食文化の発展について表現したかったんだけど・・・。
って言うのは大げさすぎの後付けなんだけど、あれ書いてた時、屋台で売ってたニョクマムの効いたフランスパンサンドイッチを思い出したんだよなあ。
あれうまかったなあって・・・。
本来なら、うまいフランス料理を安く食べられるとかって書くところなんだろうけど、俺、ヴェトナムでフランス料理は食べてないから。今思えば一度くらい食べといても良かったなと思うね。だからヴェトナムのフレンチが安くてうまいかどうかも実はわからんのだけど・・・。
タイも飯は美味いよね、って言うか俺がタイ飯好きなだけかもしれんなあ。辛い物が駄目な人には、韓国と同じくそれなりに食事は辛い国かもしれないしね。
なお、移住のインドは厳しいんじゃない?ヒマラヤサイドの、プール付きマハラジャクラス大別荘、コック&お手伝いさん数名付きとかならいいかもしれないけど。けど、それじゃあインドである意味ないような気もするねえ。
バインミーね。
あれ、うまいよねぇ。安いし。
オレ、毎朝あれだったもん。
ちなみにオレもヴェトナムのフレンチは食べてないよ。
全く、考えもしなかったしね。
インドの移住は厳しいよね。
おれ、よく3ヶ月も居たなぁ。
でも、ネパールの移住はいいかも。
オレ、けっこうチャイが好きなんだよ。