「ばっかす」を出て、永代通りを東へ向った。
立ち飲みラリーはいよいよ南砂町駅を目指して再び動き始めたのである。
最大の難関と目する南砂町へ。
運転免許センターに差し掛かると、辺りは突如として寂しくなる。
通りの北側は都営住宅になり、町の灯りは極端に少ない。
だらだら坂を登っていくと、煌々とした灯りの点る建物が見えてくる。
派出所である。
今晩も、警官が派出所の前で、仁王立ちして不審者をうかがっている姿が目に付いた。
それを見て、オレの記憶が蘇ってきた。
あれは、今から14年前くらいの夏。わたしは、都心でつい飲みすぎてしまい、気がつけば、東西線の最終電車に乗っていた。
下り線の最終電車は東陽町とまり。わたしが住む浦安には届かない。
仕方なく、終点で降りると、わたしは都営住宅の団地まで歩き、自転車置き場を物色した。
すると、鍵のかかっていないママチャリをみつけ、わたしはそれにまたがり、家路へとついたのだった。
そうして、永代通りを進み始めると、眼前に派出所の灯りが見えてきた。その目の前には警官が仁王立ち。さすがにここで引き返すと、おもいっきり怪しい人物に見られることは必至。そこで、わたしはそ知らぬふりをして遣り過ごそうと思っていたが、そうは問屋がおろさなかった。
ここぞとばかりに、警官はわたしのほうを見やり、職務質問をしてきた。
もう観念するしかない。
わたしはパトカーに乗せられ、砂町署に連行されたのであった。
聴取を受けて、釈放されたのが、午前3時頃。
交通機関の術を持っていないわたしは警官に「家まで送ってよ」と頼んだが、彼らの答えは「NO」だった。
そんな苦い思いでの地を横目で見やると、今晩も警官が例によって自転車泥棒を待ち構えている。これが、この派出所の伝統なのかもしれない。
だらだら坂を登ると、風景は更に寂しくなる。
ここが本当に23区内にあるのか、疑ってしまうほど寂寥とした風景だ。
かつて、わたしが何度も東陽町止まりの終電で辛酸を舐めていた頃、頻繁に浦安の自宅へと歩いて帰ったものである。
当時は、だらだら坂を登ると永代通りは終点を迎えてしまい、少し北へ行った葛西橋通りに出て帰宅したものだが、現在はなんと永代通りが延伸して、道がまっすぐに延びている。
すると、目の前に串モノを焼く屋台が現れてきた。
「ビールは?」と喜びいさんで、訊ねてみると
「お酒は売っていないんです」とご主人。
「お酒なら」と眼前のセブンイレブンを指さした。
わたしはセブンイレブンでビールと酎ハイを仕入れ、焼き物の注文をしたのであった。
ここは立ち飲み屋ではない。
あくまで、持ち帰り専門の焼き鳥屋である。
そのため、立ち飲みラリーには相応しくないのかもしれない。
ご主人に「ネギマ」「とり」「豚バラ」をそれぞれ1本づつ頼み、手つきを眺めることにした。
燃焼はガス方式。
とり・焼きとん類は、どうやらお兄さんが昼間串に刺しているという。
タッパーから鶏類を取り出すと、焼き台の上に乗せた。
お兄さんの手つきは決して褒められたものではないが、お客さんにおいしいものを食べさせたいという気概が伝わってくる。
肉はいずれも柔らかく、どれもおいしいものであった。
しばらくすると、インド人と思しき夫婦がやってきた。
さすが、日本最大のインド人街を形成する西葛西を控えるだけあって、南砂にもインド人は増えつつあるのかもしれない。
「ノー・タンドーリー」。
わたしは彼らにそう言って笑わせた。
ビールのお代わりを再びセブンイレブンへと買いに行き、最後に「かわ」を頼んだ。
すると、ご主人は、
「あと数ヶ月したら東陽町のほうに移動する」と話し始めた。
聞くところによれば、この立地も決して良くないようであった。
そのため、もはや現在は南砂町の駅前にもうこの屋台の姿を見ることはない。
南砂町で立ち飲み屋を探すことはできなかった。
或いは、砂町銀座まで行けば、もう少し店らしい立ち飲み屋に遭遇したかもしれない。
しかし、今回は酒こそ他店で調達したものだとしても、しっかり焼き鳥とビールを立って飲んだ。
実はこの屋台が立ち飲みの原点なのではないかと思うところなのである。
これって言い訳か?
立ち飲みラリーはいよいよ南砂町駅を目指して再び動き始めたのである。
最大の難関と目する南砂町へ。
運転免許センターに差し掛かると、辺りは突如として寂しくなる。
通りの北側は都営住宅になり、町の灯りは極端に少ない。
だらだら坂を登っていくと、煌々とした灯りの点る建物が見えてくる。
派出所である。
今晩も、警官が派出所の前で、仁王立ちして不審者をうかがっている姿が目に付いた。
それを見て、オレの記憶が蘇ってきた。
あれは、今から14年前くらいの夏。わたしは、都心でつい飲みすぎてしまい、気がつけば、東西線の最終電車に乗っていた。
下り線の最終電車は東陽町とまり。わたしが住む浦安には届かない。
仕方なく、終点で降りると、わたしは都営住宅の団地まで歩き、自転車置き場を物色した。
すると、鍵のかかっていないママチャリをみつけ、わたしはそれにまたがり、家路へとついたのだった。
そうして、永代通りを進み始めると、眼前に派出所の灯りが見えてきた。その目の前には警官が仁王立ち。さすがにここで引き返すと、おもいっきり怪しい人物に見られることは必至。そこで、わたしはそ知らぬふりをして遣り過ごそうと思っていたが、そうは問屋がおろさなかった。
ここぞとばかりに、警官はわたしのほうを見やり、職務質問をしてきた。
もう観念するしかない。
わたしはパトカーに乗せられ、砂町署に連行されたのであった。
聴取を受けて、釈放されたのが、午前3時頃。
交通機関の術を持っていないわたしは警官に「家まで送ってよ」と頼んだが、彼らの答えは「NO」だった。
そんな苦い思いでの地を横目で見やると、今晩も警官が例によって自転車泥棒を待ち構えている。これが、この派出所の伝統なのかもしれない。
だらだら坂を登ると、風景は更に寂しくなる。
ここが本当に23区内にあるのか、疑ってしまうほど寂寥とした風景だ。
かつて、わたしが何度も東陽町止まりの終電で辛酸を舐めていた頃、頻繁に浦安の自宅へと歩いて帰ったものである。
当時は、だらだら坂を登ると永代通りは終点を迎えてしまい、少し北へ行った葛西橋通りに出て帰宅したものだが、現在はなんと永代通りが延伸して、道がまっすぐに延びている。
すると、目の前に串モノを焼く屋台が現れてきた。
「ビールは?」と喜びいさんで、訊ねてみると
「お酒は売っていないんです」とご主人。
「お酒なら」と眼前のセブンイレブンを指さした。
わたしはセブンイレブンでビールと酎ハイを仕入れ、焼き物の注文をしたのであった。
ここは立ち飲み屋ではない。
あくまで、持ち帰り専門の焼き鳥屋である。
そのため、立ち飲みラリーには相応しくないのかもしれない。
ご主人に「ネギマ」「とり」「豚バラ」をそれぞれ1本づつ頼み、手つきを眺めることにした。
燃焼はガス方式。
とり・焼きとん類は、どうやらお兄さんが昼間串に刺しているという。
タッパーから鶏類を取り出すと、焼き台の上に乗せた。
お兄さんの手つきは決して褒められたものではないが、お客さんにおいしいものを食べさせたいという気概が伝わってくる。
肉はいずれも柔らかく、どれもおいしいものであった。
しばらくすると、インド人と思しき夫婦がやってきた。
さすが、日本最大のインド人街を形成する西葛西を控えるだけあって、南砂にもインド人は増えつつあるのかもしれない。
「ノー・タンドーリー」。
わたしは彼らにそう言って笑わせた。
ビールのお代わりを再びセブンイレブンへと買いに行き、最後に「かわ」を頼んだ。
すると、ご主人は、
「あと数ヶ月したら東陽町のほうに移動する」と話し始めた。
聞くところによれば、この立地も決して良くないようであった。
そのため、もはや現在は南砂町の駅前にもうこの屋台の姿を見ることはない。
南砂町で立ち飲み屋を探すことはできなかった。
或いは、砂町銀座まで行けば、もう少し店らしい立ち飲み屋に遭遇したかもしれない。
しかし、今回は酒こそ他店で調達したものだとしても、しっかり焼き鳥とビールを立って飲んだ。
実はこの屋台が立ち飲みの原点なのではないかと思うところなのである。
これって言い訳か?
私が小田急線某駅に住んでいた頃同じようなことがありました、警官に呼び止めらて乗っている自転車を調べられ・・・・
でもその自転車には防犯登録が張っていないのを知って乗ってきたのです、トランシーバーでごそごそとやって暫らく止められてました
目の前に自販機がありこちらはビールを飲みながら「検問くらいならいいけど女子大生のうちに上がりこむなョ!!」(その頃近くの交番の警察官が一人住まいの女子大生の家に上がりこんでの殺人事件があったばかりでした)などと悪態をついていました、自販機から3本目のビールを買う頃には向こうもスッカリ根負けして(防犯登録がないのだからアタリマエ)すたすたと去っていきました・・・
今、熊猫さんの記事を読んですっかり忘れていたことを思い出しました。
あの事件は小学生でありながらも、わたしの記憶に強烈な印象を植え付けました。
経堂を降りると、必ずそれを思い出します。
しかし、職質中にビール3本とは。ティコさんらしいですね。