当年42歳。
その物言いと落ち着きはとてもわたしよりも年下には見えません。
1997年のデビューから、今日まで。
その言葉の意味をかみしめ、決して見過ごすことなどもはやできません。
ひとつひとつの言葉たち。
「僕が他球団のユニフォームを着て、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった」(2006年、FA権を行使せず、カープに残留)
「僕が引退したとき、彼に当てられたと胸を張れる選手になってほしい」(2009年、ラスティ・ライアル選手の打球を頭部に受け、ライアル選手の手紙に返信した言葉)
「ドジャースが必要としてくれるなら第一に考えたかった」(2010年、ドジャースと再契約)
「野球を楽しいと思ったことはない」(2011年頃、ニューヨークにて)
「今日は僕の日じゃないので」(2014年、ヤンキースでの最後の登板。この日はジーター選手の引退試合。8回で降板した黒田投手が9回にファンに挨拶することを提案され返した言葉)。
「僕に残された球数はそんなに残ってない」(2015年、カープ復帰の記者会見で)
「日本復帰1戦目で肩が飛んでしまう可能性もある。それでも後悔はしない」(2015年、カープ復帰の記者会見)
「シーズン中よりも早い」(2015年のオールスターゲーム。同僚新井貴浩選手の激走を見て、放送席で感想を一言)
「報告する人がいないのが寂しい」(2016年、200勝を達成したものの、亡くなられたご両親に報告できないことについて)
「チームのために201勝目を目指し、大きな目標に向かってチーム全員で戦っていく」(200勝達成の記者会見で次の目標を聞かれ)
大きな目標とはもちろん、実りの秋のことでしょうか。
それをあえて口にしないところが、また黒田投手らしいと思うのです。
「耐雪梅花麗」(黒田投手の座右の銘)
寒い冬をどれくらい過ごしたのでしょう。あまりにも長い長い冬でした。その耐え忍んだ冬はもう終わりを告げるのでしょうか。
そしてわたしたちは。
「未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる 」(2006年、FA宣言する噂のあった黒田投手に対し、広島市民球場には巨大な旗にファンのメッセージを送った)
この秋、黒田投手の涙にならなければなりません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます