ガンジーアシュラムは確かに興味深いものだったが、さしたる興奮はなかった。ただ、素朴で地味な展示物はガンジーのひととなりを表していたのは事実で、とりわけチャルカと呼ばれる糸車には静謐な雰囲気さえ漂っていた。この糸車を操るガンジーの写真を見たのはいつだったか。中学の時に学んだ教科書か、或いは大人になってから何かで見たのか。とにかく、もうその記憶は既になかった。
バスを使って宿に戻る道中、車窓から標識が見えた。交差点を右に曲がるとラージコートという街に行けるらしい。ウエストポーチからインドの地図を広げてみた。インド西部、カーティヤーワール半島の中央に位置するわりと大きな都市のようだ。
そろそろ移動しようか。
ふと、そんな思いにとらわれた。新たな地へ行けば、また気持ちが高揚してくるかもしれない。
宿に戻ってベッドに腰を下ろしたら、一気に疲れが出た。ゴロリとそのまま寝転んだら、いつしかまた眠りについた。
目が覚めると、外はもうすっかり陽がくれており、時刻は20時過ぎになっていた。また、すっかり寝てしまったようだ。お腹は空いているはずだが、どうにも外に出かける気力がない。
あぁ、わたしは一体どうしてしまったのだろう。好奇心だけで、ここまで来たはずなのに。どうにもその好奇心が摩耗している。何故、外に出るのも億劫になってしまったのか。思うに、中国もその南のインドシナもタイやマレーシアさえ、まだ優しい地だったように思えてくる。しかし、インドは一言で言えば苛烈だった。人も食事も社会システムも。ここで旅をするのは、相当にタフでなければならない。香港で出会ったK君の言葉を思い出す。
「この後はどこへ?」という問いに対し、 K君は、「台湾行ったら、またインド」。そして、こう付け加えた。
「また闘ってくるよ」。
今、わたしはようやくその言葉の意味を知ることになった。
ガンジーアシュラムに行くバスの中で、インドの人の優しさに触れ、少し元気は出たが、どうもまた気持ちが落ち込む。違う町に行ったら、また先に進む元気が出るだろうか。そう思い、再びインドの地図を広げてみた。
既にニューデリーから1,000kmほど来たのかと思い、その道筋を指で辿ってみた。随分遠くまで来たような気がする。その先、南側を眺めている時に気がついた。そうか、海を見たら気持ちが晴れるかもしれない。インドに入って約3週間、まだこの国の海を見ていない。海を最後に見たのはマレーシアのペナンか。もう一月にもなる。
そうだ、海を見に行こう。
故に、長い旅だと観光地に行くことが億劫になってしまったり、興味を失ったりっていう・・・。
また、インドの寄せては返す波のように襲ってくる「躁鬱」もしんどかったな。己の思いそのままに剛速球で来るインドの人達は、日本人の忖度するが良しという感覚に、やっぱりしんどかったのかなあ。
今思えば戦う必要とかなかったんだよなあ・・・、ただただ他所者として漂っていれば良かったんだろうなと思うよ。
さて、師はここで、南(海)方向に移動しようと思ったんだね。このあと、かの有名な○んこ海岸に行くのかな?
クルタにパジャマ、まるでグルのようないでたちの師も、そんな思いでインドを旅していたか。
インドはハマるか嫌いになるか。
そんな風にも言われるね。
常に豪速球、買い物は常に交渉。疲れちゃったんだろうな。
若かったね。豪速球を受け止めようとしていたから。
こないだ、チャイ専門店に行き、調子に乗ってついついペラペラとインドの経験をお店の人に喋っちゃったよ。もう25年も前の話しなんだなぁと。
う○こ海岸はまだまだだよ。