京成船橋駅に久しぶりに降りてみてびっくりした。
駅舎が2階建てになっていたからだ。
2階建ての構想はわたしが学生の頃からあった。
水道橋の学校に通うため、わたしは毎朝船橋駅で乗り換えるのだが、当時の通勤ラッシュ時には駅隣の踏み切りは開かずのそれになっていた。中々、開かない踏切に地団太を踏み、電車と電車が行き交う間隙を突いて踏み切りをくぐり線路を渡ったものである。
確か、その当時から船橋駅は2階建ての立体交差にする計画があって、線路脇にひしめき合う家並みを見ながら、ここにどうやって線路高架を建てるのか、不思議に思ったものだった。
その船橋駅がとうとう2階建てになっている。
しかし、あれからもう18年もの月日が経った。
船橋駅の周囲もだいぶ変わった。
京成とJRの駅の間には大きな商業ビルが建ち、名物だったおでん種屋は跡形も消えてなくなっている。
かつて、乗り換えの道中には、その朝東京湾の三番瀬で捕ったアサリを売るおばちゃんがたくさん地べたに座り商いをしていたものだが、今ではそういう姿もなくなったことだろう。
JRの南口手前には薄暗い小路があって、ポルノ映画館があった。学生の時分、友人のHと一緒に何回か通った。学割で入れたのが妙に嬉しかった。今や、そのHもメジャーデビューを果たし、音楽でメシを食っている。
そんな変貌を遂げる船橋駅周辺だが、変わらないものもある。京成船橋駅北東側の一角にある雑居ビルだ。通学時によくここでタバコを買ったものだ。そのタバコ屋はもうないが、汚いビルは今もそのまま。上階はキャバクラがテナントしていて、お姉ちゃんの出入りが激しい。
雑居ビルの奥まで行くと、少し場違いとも思える白木の引き戸と赤提灯が現れた。
居酒屋「いづみ屋」。
玄関には「Chiba Walker」(角川クロスメディア)の表紙がラミネートコーティングされて掲出されている。紹介されたのだろうか。いやいや厳密に言えば、これらは全て広告。お金さえ払えば、さも取りあげられたかのように記事を掲載してくれる。
ともあれ、その雑誌の表紙コピーを見て、居酒屋の正統派と思える表玄関のイメージは揺らぐ。
今晩は、草野球チームの集い。
攻守走3拍子揃った塚ちゃんが名古屋に転勤を命じられ、今日は彼の送別会なのだ。
監督、キャプテンをはじめ総勢5人が集った。チーム紅一点のマネージャーは少し遅れてくるという。
予約時間の20時ちょうど、我々は入店した。
入り口手前はすぐカウンター。通路が狭く、歩くのにも難儀する。今宵は土曜日、店は満員の客でごった返している。
我々は、店の奥の小あがりに通された。
「Chiba Walker」にお店の記事を掲載するくらいだから、客層はけっこう若い。それでも、小僧のようなお子様は皆無。平均年齢は30歳くらいで女性客もかなり多い。
しかし、それでも店内はかなりざわめいている。小あがりの頭上にある21インチほどのブラウン管テレビがボリュームを絞らずに放映されているせいもあるが、お客の声は大きめだ。それを「活気がある」とは決して表現できない。ちゃきちゃきとした気持ちよさが そこにあるわけではなく、だらだらしたしまりのなさがそこにある。
だが、誤解しないで頂きたい。決してそれが「嫌」というわけではないのだ。それはそれで居酒屋らしく、殊、千葉県の新興地域にある、言わば「千葉都民の店」という趣が漂ってくるのである。
千葉都民=クールになろうとして、背伸びをするが、ちっとも洗練されないのが特徴。
決して侮辱しているわけではない。何故なら、千葉県で育ったわたしもそのうちの一人なのだから。
小上がりはざっと4テーブル分くらい。店内は狭いが、ざっと40人くらいは座れるようになっている。
我々は中央の小上がりに座して、まずは瓶ビールを4,5本出してもらうことにした。
今日は会費が3,500円で2時間制の飲み放題。
「がっつりいきまっせ」という態勢でキャプテンの目はこころなしかギラギラしている。
瓶ビールはサッポロ黒ラベルが運ばれてきた。
そして、次々と運ばれてくる焼き鳥の皿。
おぅぉ~。声にならない雄叫びがオレの心臓をノックする。
日本人は焼き鳥が好きだぁ。いや、アジア人は皆焼き鳥が好きだ!
ヒナ、ネギ間、ハツ、焼きあがったものから次々運ばれてくる。
ひとつひとつの実は大きくて串からこぼれそう。食感ももちもちしてブロイラーの鶏ではないと確信した。
だが、メニュー表を見ても、特段焼き鳥の鳥がどこかの地場で飼われた特殊な鶏であることは一切書かれていない。やはり、ブロイラーか?
最も、おいしかったのはつくね。粗引きのミンチはボール状のものではなく、串全体を覆うひとつの塊だ。これに黄卵が添えられている。いわゆる親子つくね。これが実に見事。これだけ食べに店に押しかける価値はありそうだ。
だが、頂けなかったのは一品料理。一通り、焼き鳥が出てくると次は大皿に盛られた豚キムチが出てきた。これはまるで素人料理。て、いうかこれだったら自分でも作れるし、 オレの作ったものと遜色ないような気がする。
さて、お腹が満たされたところで、ビールは終了。わたしはしそ焼酎の「鍛高譚」(合同酒精㈱)をロックで。キャプテンは「さつま白波」(薩摩酒造)を注文する。
この日の主役、塚ちゃんも「鍛高譚」ロックだった。
しかし、塚ちゃんの野球のプレーは鮮烈な記憶を残すものばかりだった。
中堅を守る塚ちゃんに閃光のようなライナーが襲った。塚ちゃんは猛然と前進してダイビングキャッチ。まさにスーパープレーを見せてくれた。また、足の速さでも相手チームからどよめきが起きるほどの快足ぶりを見せた。お世辞抜きで素晴らしいプレーヤーだった。
その塚ちゃんがチームを離れる。
最後の試合となった前週、ゲーム終了後にチーム皆で胴上げをした。試合には負けたが、そんなことはどうだっていい。塚ちゃんの胴上げには正直うるうるきたよ。
さて、そんな思い出話に一同皆耽っていると、時刻は9時を回りそうな気配。
さてさて、拙者ここでおいとませねば。
何故かって?
実は、妻から1時間で帰る様にと厳しい通達。
それは、草野球仲間と飲むとへべれけになって街を彷徨うこと度々。
いやぁ、これからが盛り上がっていくのにねぇ。
退席!
駅舎が2階建てになっていたからだ。
2階建ての構想はわたしが学生の頃からあった。
水道橋の学校に通うため、わたしは毎朝船橋駅で乗り換えるのだが、当時の通勤ラッシュ時には駅隣の踏み切りは開かずのそれになっていた。中々、開かない踏切に地団太を踏み、電車と電車が行き交う間隙を突いて踏み切りをくぐり線路を渡ったものである。
確か、その当時から船橋駅は2階建ての立体交差にする計画があって、線路脇にひしめき合う家並みを見ながら、ここにどうやって線路高架を建てるのか、不思議に思ったものだった。
その船橋駅がとうとう2階建てになっている。
しかし、あれからもう18年もの月日が経った。
船橋駅の周囲もだいぶ変わった。
京成とJRの駅の間には大きな商業ビルが建ち、名物だったおでん種屋は跡形も消えてなくなっている。
かつて、乗り換えの道中には、その朝東京湾の三番瀬で捕ったアサリを売るおばちゃんがたくさん地べたに座り商いをしていたものだが、今ではそういう姿もなくなったことだろう。
JRの南口手前には薄暗い小路があって、ポルノ映画館があった。学生の時分、友人のHと一緒に何回か通った。学割で入れたのが妙に嬉しかった。今や、そのHもメジャーデビューを果たし、音楽でメシを食っている。
そんな変貌を遂げる船橋駅周辺だが、変わらないものもある。京成船橋駅北東側の一角にある雑居ビルだ。通学時によくここでタバコを買ったものだ。そのタバコ屋はもうないが、汚いビルは今もそのまま。上階はキャバクラがテナントしていて、お姉ちゃんの出入りが激しい。
雑居ビルの奥まで行くと、少し場違いとも思える白木の引き戸と赤提灯が現れた。
居酒屋「いづみ屋」。
玄関には「Chiba Walker」(角川クロスメディア)の表紙がラミネートコーティングされて掲出されている。紹介されたのだろうか。いやいや厳密に言えば、これらは全て広告。お金さえ払えば、さも取りあげられたかのように記事を掲載してくれる。
ともあれ、その雑誌の表紙コピーを見て、居酒屋の正統派と思える表玄関のイメージは揺らぐ。
今晩は、草野球チームの集い。
攻守走3拍子揃った塚ちゃんが名古屋に転勤を命じられ、今日は彼の送別会なのだ。
監督、キャプテンをはじめ総勢5人が集った。チーム紅一点のマネージャーは少し遅れてくるという。
予約時間の20時ちょうど、我々は入店した。
入り口手前はすぐカウンター。通路が狭く、歩くのにも難儀する。今宵は土曜日、店は満員の客でごった返している。
我々は、店の奥の小あがりに通された。
「Chiba Walker」にお店の記事を掲載するくらいだから、客層はけっこう若い。それでも、小僧のようなお子様は皆無。平均年齢は30歳くらいで女性客もかなり多い。
しかし、それでも店内はかなりざわめいている。小あがりの頭上にある21インチほどのブラウン管テレビがボリュームを絞らずに放映されているせいもあるが、お客の声は大きめだ。それを「活気がある」とは決して表現できない。ちゃきちゃきとした気持ちよさが そこにあるわけではなく、だらだらしたしまりのなさがそこにある。
だが、誤解しないで頂きたい。決してそれが「嫌」というわけではないのだ。それはそれで居酒屋らしく、殊、千葉県の新興地域にある、言わば「千葉都民の店」という趣が漂ってくるのである。
千葉都民=クールになろうとして、背伸びをするが、ちっとも洗練されないのが特徴。
決して侮辱しているわけではない。何故なら、千葉県で育ったわたしもそのうちの一人なのだから。
小上がりはざっと4テーブル分くらい。店内は狭いが、ざっと40人くらいは座れるようになっている。
我々は中央の小上がりに座して、まずは瓶ビールを4,5本出してもらうことにした。
今日は会費が3,500円で2時間制の飲み放題。
「がっつりいきまっせ」という態勢でキャプテンの目はこころなしかギラギラしている。
瓶ビールはサッポロ黒ラベルが運ばれてきた。
そして、次々と運ばれてくる焼き鳥の皿。
おぅぉ~。声にならない雄叫びがオレの心臓をノックする。
日本人は焼き鳥が好きだぁ。いや、アジア人は皆焼き鳥が好きだ!
ヒナ、ネギ間、ハツ、焼きあがったものから次々運ばれてくる。
ひとつひとつの実は大きくて串からこぼれそう。食感ももちもちしてブロイラーの鶏ではないと確信した。
だが、メニュー表を見ても、特段焼き鳥の鳥がどこかの地場で飼われた特殊な鶏であることは一切書かれていない。やはり、ブロイラーか?
最も、おいしかったのはつくね。粗引きのミンチはボール状のものではなく、串全体を覆うひとつの塊だ。これに黄卵が添えられている。いわゆる親子つくね。これが実に見事。これだけ食べに店に押しかける価値はありそうだ。
だが、頂けなかったのは一品料理。一通り、焼き鳥が出てくると次は大皿に盛られた豚キムチが出てきた。これはまるで素人料理。て、いうかこれだったら自分でも作れるし、 オレの作ったものと遜色ないような気がする。
さて、お腹が満たされたところで、ビールは終了。わたしはしそ焼酎の「鍛高譚」(合同酒精㈱)をロックで。キャプテンは「さつま白波」(薩摩酒造)を注文する。
この日の主役、塚ちゃんも「鍛高譚」ロックだった。
しかし、塚ちゃんの野球のプレーは鮮烈な記憶を残すものばかりだった。
中堅を守る塚ちゃんに閃光のようなライナーが襲った。塚ちゃんは猛然と前進してダイビングキャッチ。まさにスーパープレーを見せてくれた。また、足の速さでも相手チームからどよめきが起きるほどの快足ぶりを見せた。お世辞抜きで素晴らしいプレーヤーだった。
その塚ちゃんがチームを離れる。
最後の試合となった前週、ゲーム終了後にチーム皆で胴上げをした。試合には負けたが、そんなことはどうだっていい。塚ちゃんの胴上げには正直うるうるきたよ。
さて、そんな思い出話に一同皆耽っていると、時刻は9時を回りそうな気配。
さてさて、拙者ここでおいとませねば。
何故かって?
実は、妻から1時間で帰る様にと厳しい通達。
それは、草野球仲間と飲むとへべれけになって街を彷徨うこと度々。
いやぁ、これからが盛り上がっていくのにねぇ。
退席!
私なんかは人様に迷惑かけなければ何時まで飲んでてもオッケーよ!
とか言いそうです。
だって自分もそうやって飲みたいからです(笑)。
・・・なーんて言ってられるウチが花ですね。
一昨日は新橋のあの焼き鳥屋(有名らしい)に行ってきました。
焼き鳥はいいなぁ、としみじみ思うこのごろです。
そうそう、「食楽」の今月号(焼き鳥特集」も買っちゃいました。
次なるホッピー研究会は「焼き鳥屋」勝負かな?
さて、「人様に迷惑をかけなければ」とおっしゃるまき子さん。
わたしは、記憶をなくしては街を彷徨い、帰宅します。妻としては、夜中に泥水した夫が心配なようです。
後楽園で浴びるほど飲んで泥水し、その後千住の民家の庭先で全裸になって発見され、翌日急逝した尾崎豊のようにならないで、という妻の心配です。