中国の桂林には水墨画のような奇岩、奇峰があり、
その合間をぬう漓江(りこう)下りは人気がありますが、
期待していた水墨画に出てくるような世界を
見ることはできませんでした。
水が少ない上に、観光船が数多く運航していて、
写真写りを妨げました。
桂林は田舎の都市で、街の中はバイクが多く走り、
上海、北京のような大都会と違った趣をもっていました。
旅の最後は首都北京でした。
まず天安門広場の広さと人出の多さに驚きました。
世界遺産の故旧は明、清時代の皇帝の宮城で、昔は
紫禁城(しきんじょう)と呼ばれ、政治の中枢と
なっていたところです。72万㎡という広大な敷地に
数多くの建物が立ち並んでいました。
その中にたくさんの観光客が押し寄せました。
赤い帽子を被った中国の田舎の老人の姿が目立ちました。
北京観光の最後は万里の長城でした。
紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝が
北方からの匈奴の侵入を防ぐため城壁を建造した
のが始まりとされ、現存のものは
明の後期に建造されたといわれます。
総延長は6350mにも及ぶとか。
観光客が多かったのと歩ける範囲が限られていたので
万里の長城を歩いたという実感はあまりありませんでした。
その合間をぬう漓江(りこう)下りは人気がありますが、
期待していた水墨画に出てくるような世界を
見ることはできませんでした。
水が少ない上に、観光船が数多く運航していて、
写真写りを妨げました。
桂林は田舎の都市で、街の中はバイクが多く走り、
上海、北京のような大都会と違った趣をもっていました。
旅の最後は首都北京でした。
まず天安門広場の広さと人出の多さに驚きました。
世界遺産の故旧は明、清時代の皇帝の宮城で、昔は
紫禁城(しきんじょう)と呼ばれ、政治の中枢と
なっていたところです。72万㎡という広大な敷地に
数多くの建物が立ち並んでいました。
その中にたくさんの観光客が押し寄せました。
赤い帽子を被った中国の田舎の老人の姿が目立ちました。
北京観光の最後は万里の長城でした。
紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝が
北方からの匈奴の侵入を防ぐため城壁を建造した
のが始まりとされ、現存のものは
明の後期に建造されたといわれます。
総延長は6350mにも及ぶとか。
観光客が多かったのと歩ける範囲が限られていたので
万里の長城を歩いたという実感はあまりありませんでした。